第18話 おっさん、綾華にときめく

 厳かな前奏曲が流れ、キャンドルライトを手にした聖歌隊が後方から入場して来る。

 薄闇に照らし出され聖歌服に身を包んだお嬢様たちは誰もが幻想的に見えた。

 麗奈は聖歌隊の中に綾華もいると言っていたな、どれだろう。


 いた。


 普段とは違う神秘的な雰囲気なせいか別人だった。

 キャンドルライトに照らされる顔は薄化粧がされており、淡い光に照らされる綾華は普段の何倍も綺麗だった。

 思えば、綾華の化粧姿を見るのは初めてだ。

 スッピンでさえ可愛いのに化粧をすると大人びた雰囲気になり、いつもと違う鼓動を感じてしまう。


 聖歌隊はキャンドルライトを舞台の前に並べ、厳かな雰囲気で舞台上へと上がっていく。

 舞台に並び終えると、舞台袖の牧師の台詞に合わせて聖歌隊が歌い始める。

 天使のような歌声に耳を傾けていたが、ふと綾華の様子が気になった。


 よくよく見てみると、歌に集中しきれてない感じがする。

 最前列にいるおかげで、綾華が姿勢を崩さずとも視線で誰かを探しているのが分かった。


 あー、探しているのは多分俺か。麗奈も綾華は気が気でないって言っていたし。

 なんとなく迷子の子犬のようだな。

最前列なら舞台の明かりが届いているので手を振れば分かるだろうか。


 俺は目立たないように、だけど綾華に分かるように胸の前で手を軽く振ると綾華と目が合った。


 途端に綾華の周囲に幸福のオーラが解き放れた。

 いや、霊能力者じゃないからオーラなんて見えるわけが無いのだが、綾華の嬉しそうな雰囲気がヒシヒシと伝わってきた。


 迷子の子犬がご主人様を見つけて尻尾を振りながら駆け寄ってくるような感じだ。


 明らかに雰囲気の変わった綾華に、隣で歌っている女の子も戸惑い気味だ。

 俺を見つけたが最後、俺から視線を離してくれない。もはや、視線だけで俺を射殺す勢いである。


『若宮様、何故、遅くなられたのです?』

『家で奥様に捕まってお洒落させられてね』

『若宮様、前から奥様じゃなくてお義母様と呼んでくださいとお願いしているではありませんか』

『いやいや、お義母様って呼んだら色々とアウトだからね?』


 テレパシーではないが、普段の他愛のない会話を視線だけで行えた気がした。

 俺を見つけて安心した綾華は終始リラックスした状態で歌っている。

 歌が一段落すると聖歌隊は舞台袖に去り、講堂内が明るくなると同時に舞台が回転し、巨大なパイプオルガンが姿を現した。


 思わずどよめく会場。

 それもそのはず、回転して出てくるパイプオルガンなんて初めてである。

 しかも、彫刻の様に美しく並び立つパイプは楽器というより巨大な装置。

 そこから響いてくる重厚な音色。体の芯まで響いてきて悪い氣が飛んでいきそうである。


 しばし、パイプオルガンのヒーリングに浸っていると、ふと俺の左手が握られた。


 ビックリして左を見ると制服に着替えた綾華が座っていた。

 綾華は嬉しそうに微笑み、握る手に力を込めてきた。


 流石に校内はまずいよ、綾華さん。

 この前の送迎場での時もそうだったけど、外でもナチュラルに手を繋ぐようになったよね、綾華さん。

 そんな俺の内心を知ってか知らずか、幸せそうに俺の顔を見てくる。


 初めて見る綾華の化粧顔。先ほどは遠めだったが、今は至近距離。

 普段はスッピンであどけなさの残る顔立ちなのに薄化粧でこうも雰囲気が変わるのか。

 大学や社会人になれば、一気に社交界の注目の的だろう。

 何故か、俺の心臓が早鐘のように鳴っている。

 おかしいな、今までこんな事はなかったし、見つめられるのは四条家で慣れているはずなのに。


 そんな事を考えていると綾華が顔を寄せ、俺の耳元で囁いてきた。


「若宮様、遅かったですわ」


 薄い暗い講堂の中で女性が男性の耳元に顔を寄せているなど、周りから見ればカップルがいちゃついていると思われてもしょうがない。当の綾華には特にそういう意識はないのだろうが。

 やむえず、周りを気にしつつ俺も綾華の耳元で囁き返す。


「悪い、ちょっと奥様に……」


 変に意識しているせいか、普段は慣れている綾華の香りを変に意識してしまい鼓動が倍速である。

 そんな俺の内心を知らず、再び耳元に口を寄せてくる。

 待って、綾華さん、今の状態で耳元に吐息は刺激が強い……


「えぇ、お母様と桜庭さんにお洋服を選んでいただいたのでしょう?」

「なんで、分かった? まさかテレパシー!?」

「テレパシー? 講堂で準備していた時に桜庭さんから連絡がきましたの。ですから、遅れる事は分かっていたのですけど、なかなかお見えにならず心配いたしましたわ」

「あぁ、ちょっと講堂の位置が分からなくてな。偶然会った西園寺さんに案内してもらった」


 本当は偶然ではないのだか、言えば要らぬ波風を起こすことになりそうなので、真実は伏せておいた。

 俺の手を握る綾華の手に少し力が入り、顔も心なしか動揺したように見える。

 俺から視線を少し離し、下を向いたかと思えばまた視線を上げてくる。


「どうした?」

「若宮様が西園寺様と一緒に校内を歩いているのを想像したらちょっと悲しくなりましたの」

「いや、ただ案内してもらっただけだぞ?」

「それは分かっておりますわ。でも、最初に若宮様と校内を歩くのはわたくしだと思っておりましたのに」


 だったら、事前に講堂の場所を分かり易く説明してね、綾華さん。

 麗奈も初めての人が講堂にたどり着くのは難しいって言っていたし、あなたは大きい建物としか情報くれなかったじゃないですか。

 そんなことを綾華に愚痴っても逆効果なので、言葉をぐっと飲みこんだ。


「ごめんな、じゃあ、後で校内を案内してくれ。西園寺さんには中庭から講堂まで連れてきてもらっただけだし」

「えぇ、後ほどご案内差し上げますわ」


 再び握る手に力を込めて、綾華は柔和な目で微笑んだ。

 気づけばパイプオルガンの演奏が終わり、今度はハンドベル隊が入場してきた。

 舞台袖から牧師が現れ、聖書の一節を読み上げる。

 綾華はもちろんのこと、講堂内のお嬢様方は一説の続きを唱和する。

 さらに矢継ぎ早に牧師とお嬢様方が交互に朗読し、最後に「アーメン」と唱和されると、会場内は神聖な雰囲気に包まれた。


「綾華って内容を全部暗記しているの?」

「入学したての頃は、礼拝用書を見ながら唱和していましたが今は覚えましたわ。中等部の頃も三年間行っていましたから」


 すげぇなとは思ったが、俺もブラック企業の頃に朝礼で社訓を暗記できるほど大声で唱和してたわ。

 こっちは神様の有難いお言葉で、向こうはブラック企業の洗脳に等しかったから比べるのも神様に失礼だが。

 神様なんざ信じちゃいないけど、綾華との巡り合わせが運命だというなら神様の仕業なのかな。

 どっちのための巡り合わせかは分からんが。


 講堂内が再び薄暗くなり、ハンドベルの合奏が始まると心地よい音色が響き渡る。

 普段はパイプオルガンやハンドベルには縁のない俺だが、こうやって聴くのもたまには良いのかもしれない。

 リラックスして聞いていると肩に軽い重みを感じた。


 ……綾華さん? ここ、校内ですよ。あなたもリラックスするのはいいです。

 けど、流石にイチャップルみたいに俺の肩に頭を乗せてくるのはまずいでしょう!

 

 俺は慌てて周囲を確認したが、ハンドベルの合奏に夢中で俺らを見咎める人はいなかった。

 講堂内が薄暗いので余計に目立つこともないのが救いか。

 そうはいっても、早めに綾華の頭をどかさないと誰に何を言われるか分からない。


 早くどかさないといけない。

 だが、悲しいかな。自分の肩に美少女が寄り添うように頭を乗せている。


 この状況で、その頭をどかせる男なんているだろうか?


 否!断じて否!


 通学・通勤電車で座っている時に、肩にリーマンの頭が乗っかってくれば体を揺すって頭をどかす!

 だが、それが女子高生や綺麗なお姉さんだった時にどかしている男なんて見たことが無い!


 あぁ、神よ、煩悩を振り払えない私をお許しください、アーメン。


 程なくして綾華の重みを堪能もとい我慢した俺は、ハンドベルの合奏が終わると同時に綾華に姿勢を戻させた。

 綾華は名残惜しそうに離れたが、さすがに明るくなれば周りが気づくしね。


「さ、約束だ。校内を案内してくれ」

「え、えぇ、そうでしたわ。参りましょう」


 綾華は俺の手を取り、講堂の出口へと向かった。


「あのさ、綾華。流石に校内で手を繋いで歩くのはまずくないか?」

「何故ですの? クリスマス礼拝や文化祭の時は来校された殿方と手を繋いで歩いている方々も多いですのよ。それに、女性同士でもよく手を繋いでいらっしゃる方々もいますわ」


 それって恋人同士だから繋いでいるのだろうし、女性同士は女の子特有のスキンシップだろう。

 でも、説明したところで綾華は離してくれないだろうなぁ。

 本当に少しは自分の社会的ステータスや注目度の高さを自覚して欲しい。


 案の定、周りから好奇の目を向けられながら綾華に校内を案内してもらう羽目になった。

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