第13話 おっさん、雪菜を痴漢から救う

 ……マジか。よくよく女の子を見ればなるほど白菊女学園の制服だ。

 しかも、見てたら女の子と目が合ってしまった。潤んだ目が助けを求めている。

 俺と目が合ったということは当然俺と向かい合わせの綾華とも目があったという事。


 ここで見て見ぬフリをすれば、綾華が痴漢に遭っている女の子を見捨てたという噂がたつだろう。

 痴漢という存在を知らない綾華が女の子の合っている状況を理解できていないとしてもだ。

 しかも、当の綾華は中年男性に幸せそうに密着し電車に揺られている。


 これで綾華の悪評が立たないわけがない。


 ただでさえ、前回の買い物が原因で駆け巡っているであろう下世話な噂に今回のがプラスされる。

 綾華の評判が駄々下がりになる事は明白。


 はぁ、しょうがない、助けるか。

 一度決めたことをひっくり返されると更にイラつくな。

 前回も今回もすべて痴漢のせいだ。


「綾華、俺の後についてきてくれ。ちょっと、強引に移動するからはぐれないでな」


 俺が強引に体を動かして移動すると何人かが俺を睨んできた。

 こんな満員電車で強引な移動をすれば当たり前の反応。

 だからこそ、痴漢どもも安心してやるんだろうけど。


 睨まれた人にひたすら頭を下げつつ、女の子の元へ着く直前で不自然な奴にぶつかった。

 強引にわきを通ろうとすると、俺の行先にずれてくる。まるで俺を通すまいとしているようだ。

 そのせいで、女の子が俺の視界から完全に消えてしまった。


 移動する俺を迷惑に思っての嫌がらせじゃない、明らかな進路妨害。

 これはアレだ、噂に聞く痴漢仲間の壁役か?

 ふと、視線が合うと不敵にこっちを見てニヤケてきた。


 確定だな、か弱い女の子に寄ってたかってこいつらは。

 ホント、イライラする。ただでさえ、面倒くさいのに手間かけさせんな。


 「邪魔だ、どけ」


 低めのドスの利いた声で脅してはみたが、壁役は相変わらずニヤケながら動こうとしない。


 もう、実力行使あるのみだ。俺は壁役のみぞおちに容赦なく拳を突き入れた。


 満員電車で踏ん張りも効かない状態だから、大した威力ではないが体を鍛えてない奴には有効みたいだった。

 壁役の顔が歪み、よろけて他の乗客に倒れ掛かる。

 壁役がどいたおかげで目の前に先ほどの泣き顔の女の子が現れた。

 女の子の下の方を見れば、見事に痴漢の手の平がぴったりとくっついているのが分かる。


 痴漢は触ることに夢中なのか壁役が倒れたことに気づいていないが、女の子は助けを求める涙目で俺を見てきた。


 カッとなり、痴漢の手首を思いっきり掴んだ。


 痴漢は顔を思いっきりしかめて俺を睨みつけ怒鳴りかけたが、俺がひと睨みすると顔をしかめたまま黙り込む。自分のやった事がバレてると確信したんだろう。


 さて、捕まえたが良いがどうしようか。当然、警察に突き出すのが最善だが、そうするとこの女の子が好奇の目に晒されるし、駅員や警察に根掘り葉掘り痴漢されてた時の状況を聴かれるだろう。


 この子がそんな状況に耐えられるとは思えない。

 お嬢様校である白菊女学園もこんなスキャンダル的なことを快く思わないだろう。


 そっと女の子に耳打ちして聞いてみる。


「どうする? こいつを警察に突き出すこと出来るけど、そうなると君も色々聴かれると思うけど」


 案の定、女の子は真っ赤になりながら涙目で首をフルフルと横に振った。

 はぁ、悔しいけど無罪放免にするしかないのかな。

 腹が立つことに今の会話が聞こえたのか痴漢野郎がニヤニヤしていた。


 周りのサラリーマンたちの中には騒ぐ俺を迷惑がるような視線を向けてくるものもいた。


 やむえず、痴漢の手を放そうとした時、別の細腕が痴漢の手を掴み直した。細腕の先を追うと黒スーツに身を包んだ女性がいた。黒髪は肩で切り揃えられており、目は怒りに満ちていた。


「お嬢様、申し訳ありません。私がついていながらこのような。罰は後で何でもお受けいたします」


 察するのこの女の子のボディガードか。女性が周りを押しのけてきた形跡を見るに、最初は一緒にいたけど缶詰め状態の車内のせいで不可抗力で引き離されて身動きできなかったってところか。


「お嬢様を助けていただいて感謝いたします。この痴漢は私の方で責任もって処理いたしますので、申し訳ありませんがお嬢様を白菊女学園の最寄り駅までお願いできないでしょうか?」


 女性は申し訳なさそうに頭を下げてきた。どうする?っと綾華を見ると微笑んできた。これは俺の好きなようにしていいって事だろう多分。


「別にいいですよ。俺もツレをその駅に送っていく途中ですし」


 そう言って、綾華を見せると女性の表情が変わった。慌てた様子で綾華にお辞儀をしようとしたのだろうが、満員電車のため中途半端に終わった。いい加減周りのサラリーマンどももイライラし始めたようだ。痴漢が捕まったことに気づいた人もいるみたいだが、他人の事より自分の出勤が遅れることを気にして無視を決め込んでいる。

 

 女性も周りを気にしたのか、挨拶をし直すことはしなかった。その代わり、俺に近づきそっと囁いてきた。


「綾華様のご関係者でしたか。改めて雪奈お嬢様を助けていただいてありがとうございます。後ほど、九条家より正式にお礼申し上げます」


 その時、ちょうど駅に止まったため女性は痴漢を掴んだまま降りて行った。九条家って言ってたな。確か、戦前の警察組織を牛耳っていた財閥で、今でも警察組織の要職の多くは九条家に縁ある人が多いっていうよな。そこのご令嬢に手を出したんだ、あの痴漢、一生刑務所の中だな。


 さて、九条家のご令嬢ならハイヤーで通学するのが普通だろうに。なんで、満員電車なんかに乗ってるかね。

 九条という子は未だに真っ赤になって俯き綾華になだめられているし、乗っていた理由も聞くのもデリカシーがないか。


 綾華に任せたよと目配せをして俺は白菊女学園の最寄り駅に電車が付くのを待つ。

 先ほどの駅で結構な人が降りて行ったため、車内の空気は空調が通りムシムシした感じは緩和されていたが気分は涼しくならなかった。


 ほどなく、最寄り駅に着いた。

 改札口を出ると白菊の生徒と思われる女生徒たちがチラホラ歩いていた。

 そうか、お嬢様校とはいえ、全員が金持ちの子供という訳では無いんだろうな。

 だからと言って、騒いで歩いている子はおらず上品な立ち振る舞いで歩いていた。


 九条さんは電車を降りた時点で気持ちを整えたのか泣きやんでいたが、顔色も良くなく足取りも重い。

 自然と俺と綾華の歩くペースは雪奈に合わせる形になる。


 まあ、このペースでも始業時間までは余裕だろな。

 やっぱ、時間に余裕を持って行動するって大事だよね。


 そんな場違いなことを考えているとか細い声が聞こえてきた。


「あ、あの申し訳ありません」


 その声に振り向くと九条さんが俺に頭を下げていた。


「え、いや、ちょっと謝れるような事されてないから頭をあげてよ」

「い、いえ、お礼が遅くなり申し訳ありません。わたくしは九条雪奈と申します。助けていただいてありがとう存じます。」

「あぁ、なんだそんな事か。気にしないでいいからとりあえず頭をあげて」


 通学路の往来で頭を下げられるなんて居心地が悪すぎる。

 慌てて周りを見てみたが、今のやり取りに気づいた人はいなさそうだった。

 九条さんが頭を上げるのを待って歩くように促す。

 お嬢様二人と一緒に俺が歩いているってだけでも奇異の視線を集めること間違いないのに、立ち止まりながら話していたら間違いなく職質ものだ。


「俺は若宮英二。ホント、気にしないでいいよ。男として当然の事っていうか、成り行きでっていうか」


 言えない。助けようか迷ったなんて。

 助けた理由が綾華の評判を気にしたからだなんて。


「いえ、このご恩は一生忘れません」


 いえ、忘れてください。

 そんな重いもん求めた訳じゃないから。


「わたくし、本当に怖かったのですのよ。護身術は嗜んでおりましたが、いざあの様な状況になると体がすくんでしまって。お恥ずかしい限りですわ」

「あー、普通はそうなるもんだから恥ずかしがることじゃないよ。いくら、普段から鍛えていても身がすくむ時はあるからなぁ」

「若宮様はお優しいんですのね」


 俺のをフォローと受け取ったのか、九条さんは恥ずかしそうに微笑みながら俺を見てきた。

 いや、フォローじゃなんだけどね。結局は胆力の問題でさ、いざという時に練習通りに身体が動くかなんてのは肝っ玉の小さい人には無理なんだよ。

 流石にお嬢様に対して肝っ玉がどうのこうのと言うのは気が引けるので黙るしかない。

 むしろ、正直にそう言ったら身体がすくんだのは九条さんの肝っ玉が小さかったらだよと同義だ。


「若宮様も武術の心得がございますの???」

「いや、俺のは我流かな」

 

 何か習っていたわけじゃなく、中高時代に良太とツルんで不良たちと喧嘩をしたから自然に腕っぷしだけは強くなっただけ。空手なり柔道の有段者相手だったら間違いなく撃沈だろう。


「我流で嗜むなんて素晴らしいですわ。向上心がおありですのね」


 いや、どうしてそうなる?

 しかも、何故か顔を赤らめてキラキラした目で俺を見てくるし。


「しかも、先ほどの様にわたくしを助けてくれるような男らしさ。素敵ですわ」

「あ、あの九条さん?」

「そんな他人行儀な。若宮様、できれば雪奈と呼んでいただければ嬉しいですわ」


 いや、俺と九条さんは他人行儀も何も他人でしょう?

 助けを求める様に綾華の方を見ると、何故か綾華はすねたようにそっぽを向いてしまった。

 ここは助けてよ綾華さん。


「いや、九条さん。いきなり名前で呼ぶのは色々とよろしくないんじゃ???」

「わたくしの親しい友人たちは、雪奈と呼びますので若宮様もお気になさらないでくださいませ」


 俺と九条さんは親しくないし、九条さんが気にしなくても俺が気にするし。ちょっと顔を近づけすぎじゃないでしょうか九条さん。

 そんな心の抵抗もむなしく、白菊女学園の校門が見えてきた頃には雪奈と呼ぶように押し切られてしまった。

 校門での別れ際に、綾華の微笑みが心なしか冷たかったのは気のせいだろうか。

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