第12話 おっさん、綾華の誘惑に耐える

「わ、若宮様、この電車に乗らなければいけませんの?」


 綾華は朝の通勤ラッシュ特有の超満員電車を目にして身体をこわばらせていた。

 前回の買い物で乗ったような日曜の空いている電車とはまるで違う。

 初めから最後尾の車両のところに並んだのだが混雑差は他の車両とさほど変わらない。


「うん、これが綾華の学校の最寄り駅に着く電車だからな。俺みたいなおじさん連中と密着したくなければ女性専用車両ってのがあるけどどうする?」

「それですと、若宮様と一緒に乗れないのではなくて?」

「うん、そりゃあ女性専用だからなぁ、俺が乗ったら変質者扱い決定だ」

「若宮様と離れるなんて嫌ですわ。他の殿方に触れるのは良い気がしませんが、若宮様が一緒なら大丈夫ですわ」


 触れるっていうか不特定多数と密着するんだけど分かってないよなぁ、このお嬢様に耐えられるかね。

 時々、おっさんリーマンたちの加齢臭やオーデコロンの臭いのせいで気持ち悪くなって途中下車する学生さんたちよく見るし。

 ましてや、綾華は超満員電車は初体験。不安しかない、他にも不安要素はあるんだけど、それは俺がにらみを利かせてればいいか。


 それに、今さら四条家に戻って車に乗り換えてる時間なんて無いしな。


「じゃ、乗るか。電車に乗ってて気分悪くなったらすぐに言うんだぞ」


 さすがに今回は安心させるために最初から手を握ってあげた。

 綾華は驚いた顔で見てきたが、嬉しそうに握り返してくる。

 名門お嬢様校の制服を着た和風超美少女が、四十歳の三段原薄ハゲ親父の手を握る。

 既に周りから奇異の目を向けられているが、気にしたら負けなので気にしない。


 車掌のアナウンスとともに入ってきた電車は相変わらずの満員状態だった。

 電車の扉が開いても降りる人数はあまりいない。

 ホームに並んでいた人たちと一緒に、既に電車に乗っている人たちを押し込みながら乗り込む。


 綾華が後続に押されない様に俺の前に来させて庇うような立ったため、意図せず綾華のすぐ後ろに俺が密着する形になってしまった。

 綾華の柔らかな感触が直に伝わってくるしし、綾華の髪の毛が目の前にあるからシャンプーのよい匂いがする。


 ……これはヤバイ、ヤバすぎる。

 この状況で反応しない男なんていないわけがない。

 アカン、アカン、何か他の事を考えなければ。


 そうだ、こういう時は円周率だ。

 サンテンイチヨン、サンテンイチヨン、イチヨンの次なんだっけ?

 迷った瞬間に綾華の柔らかさを意識してしまう。


 思わず反応してしまいそうになり腰を引いたが、満員電車のため後ろの人に腰を押し返されて綾華に余計に密着してしまう。

 リーマン時代ならビジネスバックを相手と自分の間に割り込ませてセーフだったのだが、今回は付き添いのためカバンなんて持ってきていない。


 後ろでもぞもぞする俺を訝しんだのか、身動きがとりずらい中、綾華が強引に反転してきた。

 周りのサラリーマンたちが少し迷惑そうに体をゆする。


「知らない殿方の背中より、若宮様が目の前にいてくださった方が安心いたしますわ」


 はにかみながら俺にしか聞こえないぐらいの声で囁いてきた。

 男なら誰でも言われて喜ぶような台詞だが、俺は喜べる状況ではない。

 先ほどとは違い綾華と真正面から密着する形になったからだ。


 後ろ向きでいてくれれば、何とか腰の密着回避を試みれたが真向かいで密着で無理だ。

 腰を引いた分だけ、俺の顔の位置が下がって綾華の顔に近づいてしまう。

 何より真向かいで一番困るのは、綾華の胸の感触が分かってしまうことだ。


 綾華の頭は俺のアゴくらいの高さ、綾華の胸は俺の腹のところに密着している。

 赤の他人の女性なら相手がカバンか両手で密着をガードしてくれるのだが、綾華はノーガード。


 ……綾華さん、少しは警戒心を持ってくれ。

 恋愛フィルターかかりまくっている君は大丈夫なのかもしれないけど、こっちは気を紛らわすのに必死なんだよ。

 しかも、見た目に反して結構ボリュームありますね綾華さん。


 胸の大きさだけなら俺も負けてない自信があるが、俺の腹に伝わってくる綾華の胸の感触は明らかに柔らかい。

 挙句の果てに安心しているから俺の胸に頭を置いてきて、再度意識してしまう良いシャンプーの香り。

 

 もう本当にヤバイ、必死に自制しているのに無邪気な天使が俺をガードを突き破ってくる。

 綾華さん、わたくし童貞ですの。もう妖精が見えるを通り越して賢者なんですよ。

 今までここまで密着して意識したことないんだからヤバいんですって。


 ラブコメだと積極的な女の子が、「あれあれあれぇ? 若宮さんってばどうなさったんすかぁ?」とか小悪魔的な顔で体を密着して責めてくる場面だけど、綾華に他意や悪戯心がない事は分かってる。

 でもね、例え、相手が清純清らかな美少女でも反応してしまうのが悲しいかな男のサガなんだよ。


 もう、円周率は役に立たない。百人一首をそらんじようと思ったけど、一個も覚えてない。

 このまま気が紛らわせずに痴漢冤罪路線まっしぐらの予感。

 いや、でも綾華なら不思議に思わずというか知識無くて気づかず、反応してもスルーしても許してくれそう。


 駄目だ、そんなことを考えちゃ駄目だ、それは完璧に痴漢の思考だ。

 そういう時はアレだ、社畜の思い出だ。

 思い出せ、理不尽上司にいびられながらも歯を食いしばった時期を。


 同僚と愚痴を言い合いながら二四時間パソコンに張り付きながらプログラムを作りまくった。

 バグ取りに追われながら三日三晩貫徹で栄養補給はカップラーメンオンリー。

 周りで仮眠と言いながら八時間爆睡する同僚たちの分まで馬車馬のごとく働いた日々。


 ……やばい、思い出したら吐き気してきた。


「若宮様、大丈夫ですか?」


 綾華が心配そうな顔で覗き込んできたため、自然と腹に当たる感触が余計に強まる。

 電車が強めに揺れて綾華の身体がさらに押し付けられる。もう反応するなという方が無理だ。

 世間教育係として男のサガというものを教えてやるのも道理だろう。

 むしろ、ここまで自制心を働かせた俺をほめてくれてもいいくらいだ。


「わ、若宮様、あの、ちょっとお話が」


 俺の雰囲気がおかしくなったのに気付いたのか、綾華が少し焦り気味に緊張した面持ちで囁いてきた。

 今さら焦ったところでもう遅い、俺をこんな状態にしたのは君なんだよ綾華。


「あそこにいる女の子の様子が変ですの」


 綾華の視線の先には顔を真っ赤にして今にも泣きそうな女の子がいた。

 微妙に身体をゆすり場所を移動しようしているが、非力な女の子がすし詰め状態の電車内を移動できるわけがない。


 ……あぁ、あれは完璧に触られてるな。


 周りの大人たちはスマホをいじってたり、立ち寝状態で気づいていない。

 そもそも、女子高生くらいの背丈では満員電車の大人の男たちの背丈の中に埋没しやすく、何かされていたとしても気づかれにくい。女の子が体を揺すっていたとしても電車の揺れの方が強く無言のSOSはかき消されてしまう。


 女の子と同じ視線の綾華だからこそ電車が揺れた拍子に隙間が出来て気づけたのだろう。


 気づけたのはいいが、さてどうしよう。


 若い頃の俺なら正義感に駆られて痴漢を捕まえただろう。

 実際、捕まえたこともある。だが、その後の助けた女性と駅員の対応がひどかった。

 痴漢してたのがイケメンで、助けたのが三段腹の若ハゲの俺だったいうことから人を見た眼で判断し、途中から俺が痴漢をしたんじゃないのかと疑われた。


 結局、イケメンが罪を認めて解決したが、冤罪をかぶせようとした助けた女性と駅員からは謝罪されなかった。

 まあ、変に正義感に駆られて行動するとロクな結果にならない良い教訓だと今は納得しているが、当時の事を思い出すと今もイライラする。


 というか、イライラしてきた。


 今回も倫理上、助けてあげるべきなのだろうが面倒ごとになる。

 だが、女の子を助けて痴漢を捕まえたら、俺は女の子と一緒に駅長室へ同行することになるだろう。

 警察が呼ばれて状況説明などで時間がかかる。


 そうすれば、一緒にいる綾華が学校に遅刻することになる。

 普段から綾華が電車通学をしていれば一人で行かせることも可能だが、今回が初めての電車通学。

 恐らく、学校の最寄り駅から学校までの道順も分からないだろう。

 ましてや、一人で行動させている時に事故でもあったら四条総裁に申し訳が立たない。


 と、言う事でここは女の子には泣いて我慢してもらおう。


 第一、女性専用車両があるのに男が沢山いる満員電車に乗ってきて痴漢に遭うなんて自業自得だ。

 次回はキチンと女性専用車両に乗るんだぞ。

 そう心の中で女の子にアドバイスを送っていると、綾華がふと気づいた表情で言ってきた。


「あら、あの子はわたくしと同じクラスの方ですわ」

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