第10話 おっさん、ご学友に試される

「わたくしの大事な方ですの」


 綾華の迷いのない即答に、何もない空間にひびが入った様な音が走る。

 いや、実際に入るわけがないのだが、明らかにお友達の三人が固まった。

 慌てて否定しようとした時に、柔らかなソプラノ声が入り込んできた。


「まあ、それは素敵ですわ。綾華様は良き殿方を見つけられたのですね」


 声の主は出会った時に俺に訝しげな視線を向けなかった女の子だ。

 質素で上品なコーディネートをしており、身なりからして他の三人とは別格だと分かる。

 小柄な体格だが雰囲気は大人びており、長袖のブラウスの上に紫色のカーディガンを羽織り、黒基調としたロングスカート。

 高身長な割りに小顔で丸い瞳が印象的で、綾華とは別タイプの美少女。


「はい、麗奈様。わたくしの理想の方ですわ」

「ただ、若宮様も同じ想いですの? ご振る舞いを見ていると何か違うような感じを受けますの」


 麗奈と呼ばれた子は意味深な表情で俺を見てくる。

 眼力などまるでないが、こちらの内心まで見透かすような瞳で一瞬引き込まそうな違和感を受けた。 


「いえ、それは……」


 気まずそうに言いよどむ綾華を見て、三人がさらに驚愕の表情で俺を見て小声で話し出す。


「まさか、綾華様にご不満が!?」

「あり得ませんわ。社交界で綾華様をご慕いしている素敵な殿方は沢山いますのに何様ですの」

「庶民は勿論、上流階級でさえ高嶺の花ですのよ」


 おい、全部聞こえてるぞ。


 しまいには、「これは社交界の大スキャンダルですわ」と言い出す始末。

 流石にイラッとし、口を挟もうかと思った時、麗奈が三人をたしなめた。


「皆さま、お止しなさいな。綾華様の選んだ殿方ですのよ、失礼ではなくて?」


 三人がピタリを黙るあたり、麗奈は三人よりも上の立場なんだろう

 少しほっとしたのも束の間、若干視線を鋭くさせた麗華が俺を見てくる。

 物腰が柔らかい印象は変わらないが、なんとういうか圧が凄い。


「綾華様は社交界や白菊女学園でも特別な立場ですの。もっとも綾香様はご自覚がないようですけど。お二人の事を広める事は致しませんが、人の口に戸は立てれないと申します。わたくしたちが黙っていたとしても、ここで買い物をする以上、自然と噂は広がりますわ」


 周りを見渡す麗奈につられて俺も周りを確認すると、普通に買い物していた一般客の中に慌てて視線を逸らす輩がちらほらといた。

 当たり前の事ながら、麗奈たち以外にも綾華の学校関係者が買い物に来てても不思議じゃない。


 この後で綾華に男の噂が立つのは確実であり、その相手が薄ハゲ進行中の中年太りの俺。

 下手すりゃ、綾華が中年男に遊ばれてるらいしいと広がるだろう。


「噂なんて放っておけば勝手に消えるよ」

「噂にさらされるのは若宮様ではなくて綾華様ですのよ」


 なんだ? 何が言いたい?


 別に俺が気にする事じゃないだろ。

 ここを買い物場所に選んだのも綾華なんだし、俺に噂を気にしろとか理不尽じゃなかろうか。

 世間から見れば綾香が俺に惚れてるなんて思うはずもなく、俺が口説いてデートしていると映るだろう。

 綾華をチャラ男から助けた件は白菊女学園と総裁が揉みつぶしたし。

  

 横目で綾華を見れば、不安と申し訳ない表情でこちらを見ていた。

 綾華の世間体を気遣うのであれば別れるのが筋だろうが、それだと綾華が再び闇落ちする。

 だったら、堂々と付き合っている言えば俺は後に引けなくなるし、実際のところそんな覚悟もない。

 四十歳まで庶民で生きてきた人間が上流階級の仲間になんてなれるわけがない。 


 面倒くさいなぁ、社畜時代の方が気楽だった気がする。


「言い過ぎましたわね、申し訳ございません。ですが、真剣に悩まれていますし綾華様を弄んでいるという訳ではなさそうで安心いたしましたわ」


 麗奈は軽くひざを折りながら俺に頭を下げた。

 他の人がやれば芝居がかって見える動作も自然に見えるとはさすがお嬢様。

 麗奈は話が終わったという感じで、綾華に笑顔で会釈をして他の三人を促した。


 麗奈が俺の隣を通り過ぎる時、綾華に聞こえないように囁いてきた。


「綾華様と本気でご交際されるのであればお気をつけあそばせ。綾華様のお兄様が亡くなられたのは偶然ではないとの噂もございますのよ」


 聞捨てならない言葉を残しながら麗奈たちは下の階に向かっていった。

 今のはどういう意味だ、綾華の兄貴は交通事故で死んだじゃないのか?

 まさか、ミステリー小説みたいに事故に見せかけた殺人とかいうんじゃないだろうな。

 しばらく、麗奈たちが去ってい言った方を凝視していると彩華が不安げに声をかけてきた。


「あの、若宮様、お気を悪くなさいましたか?」

「大丈夫だよ、ごめんな。はっきり、答えてやれなくて」

「そんな、謝らないでくださいませ。わたくしこそ、若宮様の優しさに甘えてばかりで申し訳ありません」

「……俺は特に何もしていないぞ?」

「若宮様がわたくしを想ってくださってないことは承知しておりますわ」

「あ、いや、それは」

「でも、わたくしの事を思って傍らにいてくださいます。それがどれだけ嬉しくて幸せな気持ちにしてくださっているかお分かりならないでしょう」


 こういう気恥しい言葉を臆面もなく言えるのは純粋培養のせいだろうか。

 俺から言わせれば、俺の方こそ綾華や四条家に甘えてしまっている気がする。


 教育係になっているとは言え、綾華に何かを教えられるほど教養があるわけじゃない。

 一般常識なんて俺じゃなくたって総裁たちが教えればいい。


 綾華の俺に向ける好意は、失った兄の喪失感を俺に向けているせいだ。

 さらに無意識の恋愛フィルターで俺を無条件に美化しているだけ。


 現状、俺はただのヒモだ。


 あぁ、そうだな、甘えてしまっている分、綾華を支えるために受ける批判や奇異の視線ぐらいは我慢しなきゃ。

 せめて、二年間半は綾華が気持ち良く過ごせる様にしないと。

 名目上とは言え、教育係としての給料分は働かないと。


「俺は綾華の教育係だしな。クビになるか、綾華が一人前になるまでは傍にいるさ」

「わたくしはクビになんて致しませんわ。それに、わたくしは一生半人前だとお父様が常々おっしゃっていられますの。つまり、若宮様はわたくしの傍にずっと居てくださると言うことですわね」


 綾華は顔の前で手を合わせて、うっとりした幸せそうな顔で微笑んだ。

 その可愛らしさに周りの買い物客が男女問わず見惚れいた。

 だが、俺は反対に背中に冷や汗をかいていた。


 どうあがいても平穏無事に暮らせる将来が見えなかった。

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