第4話 おっさん、綾華と散策する

 広い、広すぎる!


 本当に俺はこの部屋に住んでいいのだろうか。

 三人掛けのソファが二つに、モダンなリビングテーブル、特大の液晶テレビと冷蔵庫に北欧調のクローゼット。

 リビングとは別に十二畳ほどの寝室、大きな窓からは日本庭園風の庭が見えた。


 まるで、テレビでよく見る高級ホテルのスイートルーム。


 俺が住んでいた六畳一間のボロアパートとは月とスッポン。

 そんな部屋には不釣り合いな段ボールが四つほど置かれていた。

 アパートで桜庭さんと一緒に荷造りした引っ越しの荷物だ。


 綾華も来たがったが、さすがに散らかった一人暮らしの男部屋を見せたくなかったので桜庭さんに頼んだ。

 綾華はすごい不満そうな顔をしていたが、お嬢様に見せていい部屋ではない。

 それに男には女性に見られたくない品々があるし。


 その埋め合わせというわけではないだろうが、綾華は荷解きを手伝う気満々だった。

 何故かピンク色の花柄エプロンまでつけている。


「えーと、やっぱ手伝ってくれるのかな?」

「はい、当り前ですわ。アパートには連れて行ってくださらなかったのですから」

「いや、それはごめんね。でも、やっぱ、か弱い女の子に手伝ってもらうのは男として気が引けるというか。だから、荷解きも自分でやりたいんだが」

「そんな、か弱いだなんて……」


 綾華は顔を赤くして、指をもじもじしながら俯いてしまった。

 本当は見られたくない品があるんだ。なんて言えないもんなぁ。

 桜庭さんには男同士共感してもらえたけど、さすがにお嬢様に見せていいもんじゃない。


「で、ですが、やはり若宮様のお世話をすると決めた以上、お手伝いさせて頂くのがわたくしの努めですわ」


 いや、そんな妻の務めみたいに重く考えないでくれ。

 てか、そんな大和撫子みたいな考えを持っている女子なんて絶滅危惧種並みの貴重さだぞ。


 綾華は本当に悲しそうに上目遣いで俺の方を見てくる。

 ヤバイ、恋愛感情抜きでもこの視線はヤバイ。

 上手く断りたいのに、この可愛さの前では断れる気がしない。


「お嬢様、殿方の意思を尊重するのも淑女のマナーでございます。代わりに家の敷地のご案内をされてはどうでしょう?」

「でも、それは桜庭さんがお父様から頼まれていたのではなくて?」

「実は急用が入ってしまいまして。出来れば、代わりにご案内していただけると助かるのですが」

「そういうことでしたら、しょうがないですわね。若宮様、よろしいでしょうか?」


 異論などあるはずがない、むしろ願ったり叶ったりである。

 俺は目線で桜庭さんに礼をした。桜庭さんは温かい目を細めて返してくれた。

 綾華は準備すると言って部屋を出て行った。


「さあ、お嬢様が戻ってくる前に手早く終わらしてしまいましょう。衣服は一通り洗濯させていただきますので、こちらへ。本類はそちらの本棚でいいですね。DVD類はTVボードでよろしいですね」


 まだ足が痛む俺に代わって、桜庭さんはテキパキと動き三十分とかからず整理し終えた。

 その手際の良さに呆然としていると、思い出したように最後の段ボールから雑誌数冊とDVDを取り出し俺の元へ寄ってきた。

 綾華に見られたくなかった大人向けの本とDVDであり、桜庭さんは小声で話しかけてくる。


「若宮様、こちらはどこへ隠しましょう?」

「お嬢さんに絶対に見つからない場所がいいんですが」

「お嬢様の身長であれば棚の上とかなら絶対に見えませんし、届きませんが?」

「では、そこでお願いします」


 桜庭さんは踏み台を持ってきて手早く本棚の上に置いてくれた。

 踏み台を降りた後も綾華の目線の高さに腰をかがめて、見えないかチェックする入念ぶりは流石だ。

 完璧に見えないことを確認すると、俺の方を見て右手の親指を立てた。

 片付けの手際といい、隠すことの徹底ぶりといい桜庭さんマジ有能、四条グループのメイドたちを束ねる執事は伊達じゃない。


「色々とありがとうございます桜庭さん。そうだ、この家の敷地ってどのくらいあるんですか?」

「確か二千五百坪でございます」

「……は?」

「ですから、二千五百坪です。」


 マジか。どんだけ広いんだよ、うちの実家なんて六十坪だぞ。

 実家が四十軒くらいは建つのか、半端ねえな四条家。

 ホント、金持ちの家って広いんだな。


「ちなみに敷地全部を見ようとすると、どのくらいかかるんですか?」

「二時間以上はかかるでしょうな。いやいや、年寄りにはきつい。お嬢様が引き受けてくださって本当に助かりました」

「ちなみに、俺、一応はケガ人なんですが」

「セグウェイやゴルフ場のカートも用意してありますが、せっかくですのでお歩きください。その方がお嬢様も喜びます」


 何気に鬼だな桜庭さん。いや、単純に綾華を気遣ってことか。

 傷も少し痛む程度まで治ってるから、リハビリのためにも歩くかね。


 そう思い、歩きやすい服装に着替えたところで、ロングTシャツ・ジーンズ姿の綾華がやってきた。

 長い髪はポニーテルでまとめており、軽快な印象を受ける。

 単純な服装でも魅力的に見えるのは、綾華自身によるものかセンスがいいのか。


 俺が同じ服装をしたとしてもダラシナイ中年としか見られないだろう。

 お嬢様がジーンズとは意外だったが、まだ暑さの残る外を歩き回るなら日差しを防ぎ涼しげで動きやすい服装の方がいいだろうから正解だ。


「お待たせいたしました、若宮様。さあ、ご案内いたしますわ」



□ □ □ □ □ □ □ □



 夏が終わる九月下旬、昼は過ぎているので太陽は傾きつつあるが、残暑はまだまだ厳しい。

 明るいうちに外を案内してもらうと決めたけど失敗だったかな。なるべく、日陰を歩いていけばいいか。


 アンティークが飾ってある広い玄関で、綾華と一緒に外に出ようとしたときに気づいた。

 大抵の女性が外に出るときに持っているアレを持っていなかった。


「なあ、日傘は持って行かないのか? 日差しキツいよ。高校生でも街中で使っているのよく見るけど」

「普段は使っているのですが、若宮様を案内するのに日傘をさしていたら失礼かなと思いまして」

「いやいや、そんなこと気にしないでいいから。むしろ、そのせいで日焼けしちゃう方が嫌だし」

「若宮様はお優しいんですのね」

「いや、そんなの普通だから。後、若宮様って言うのはやめてくれないかな。どうにも慣れない、若宮さんでいいよ」

「申し訳ございません。それは流石に失礼ですわ」


 うーん、世の中のお嬢様ってみんなこうなのかな。

 俺の中のお嬢様のイメージって、甘やかされて育てられて、周りを振り回して、ブランド物で身を固めて、イケメンを侍らす感じなんだけどな。

 それとも、綾華が特別なんだろうか。


 本当は敬語もやめて欲しいんだけど無理か。

 庶民には分からない上流階級なりの習慣があるんだろう。


「わたくしからもお願いがあるのですがよろしいでしょうか?」

「いいよ、何?」

「わたくしを名前で呼んでいただきたいのです。ずっと、名前で呼んでくださいませんわ」

「いや、流石にそれは馴れ馴れしすぎでは。せめて、四条さんじゃ駄目?」

「それでは、お父様やお母様と混同してしまいますわ」

「……分かった。じゃあ、綾華さん」


 綾華が頬を染めながら満面の笑みになった。

 名前で呼ぶのは親しい仲になってからじゃないと失礼ってのが庶民の間隔なんだけど違うのかな。

 まあ、今回の場合はしょうがないか、確かに名前で呼ばないと区別が出来ない。


 日傘を取り出した綾華と玄関を出た途端、俺は足が止まった。玄関の前がロータリーになっている。

 個人宅にロータリーがあるなんて映画でしか観たことない。マジであるんだな、ビックリだ。


「どうかいたしまして?」

「いや、家の前にロータリーって初めてでさ。ちょっとビックリ」

「そうですの? わたくしの友人たちの家には必ずありますわ」

「……さようですか。あ、まずはどこから案内してくれるの?」

「門までご案内いたしますわ。そこまで歩けば大体の敷地内の配置は分かりますの」


 ……玄関から門まで歩いて五秒、そう思っていた。

 実家でもボロアパートでも玄関を出れば五秒で道路に出れる、それが普通のはずだった。


 四条家の家は敷地の奥にあり、更に道が緩いカーブになっているせいで、玄関から門まで歩いて二分。


 金持ちの家は門から玄関まで車で移動ってマジなんだろうな。

 急いでる時や雨の日にここを歩くのなんて億劫だろうし。

 敷地は高い塀で囲まれており、途中には高級車が数台並んだガレージ、テニスコートやプール、バラ園もあった。


 今までテレビでしか観たことの無い世界。

 当分は慣れなさそうだ、慣れたら慣れたで問題だけど。


「雨が降りそうだな」


 気づけば湿っぽい空気が吹いおり、空にはどんよりとした灰色の雲が出てきた。

 戻った方がいいかと思った矢先に、雨が降り出し、雨足が強くなってきた。


「近くに茶室がありますわ。そこで雨宿りしましょう」


 近くとは言われたが、茶室に着く頃には二人ともずぶ濡れになってしまった。

 雨足が強まったこともあるが、足が痛み速く走れない俺に綾華が歩く速度を合わせてくれたのが原因だ。

 先に行っていいと何度も言ったのに頑として行かなかった。

 綾華だけでも先に行けば、雨足が強まる前に茶室に着けただろうに。


「風邪をひいたらいけないので、奥の部屋で着替えてくださいな。私も着替えてまいります」


 綾華は茶室の入り口の棚からタオルと、男性用の紺の浴衣と女性用の花をあしらった浴衣を取り出してきた。

 髪の毛まで重く濡れた毛先からは水滴が垂れ落ち、シャツは若干透けていたがなるべく意識しないようにした。

 学生時代の俺ならガン見していただろうが、さすがに四十歳にもなるとTPOをわきまえるようになった。


 受け取ったタオルと浴衣は特に見栄えのする物ではなかったが、受け取った瞬間に手に吸い付くような触り心地がした。

 高級品に疎い俺でも分かる、これはきっと数十万はする代物だな。


「桜庭さんに電話しておきますわ。それまではここで休憩いたしましょう」


 そう言い、綾華は着替えるために茶室の奥の部屋に消えて行った。

 ってことは、しばらくこの狭い茶室で浴衣姿の綾華と二人っきりになるのか。

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