第5話 おっさん、綾華のお手前を堪能する
茶室の外から叩きつけるような雨音が響いてくる。
窓は障子で仕切られているため、外の様子は分からないが雨はまだまだ止みそうにない。
雨雲のせいで外が薄暗く障子のせいで採光性も悪いが、茶室特有の間接照明のせいで部屋は暖色に包まれていた。
浴衣に着替えた綾華は和風美人という装いだった。
濡れた髪は後ろで高く留めて白いうなじが見え、巻いた帯が綾華の細いくびれを強調している。
特に華美な浴衣でもないのに清楚な雰囲気を醸し出せるのは、生まれ持った気品のせいかな。
対して俺の浴衣姿はお世辞にも良いとは言えない。
出っ張ている腹のせいでスマートには見えず、温泉上がりの親父感が満載だった。
だが、綾華はそんな俺を「よくお似合いですわ」と褒めてくれた。
それが本音なのかお世辞なのか、十中八九お世辞だろう。
綺麗な浴衣姿の綾華を前にすれば、大抵の男は気が気ではなく、狭い茶室という空間もあり昼ドラ真っ青な行動を起こしていたかもしれない。
二十代の俺だったら間違いなく変な勘違い真っしぐらの行動を起こしていたかもしれない。
だが、四十のおっさんともなれば欲より保身が先に来るし、年の差が大きく恋愛感情も無い綾華を前にすれば尚更だ。
そんな俺の心の内をよそに綾華は笑顔を向けてきた。
「若宮様、温かいお茶でもいかかですか」
「雨で体冷えたしもらおうか」
「かしこまりました。ご用意いたしますので、少々お待ちください」
棚から茶器セットを取り出した綾華は手早く畳の上にセットした。
「えっと、まさか茶道?」
「えぇ、今から抹茶をたてますのでお待ちくださいませ」
いや、そんな時間のかかりそうな物より、ポットでサクッと沸かしてインスタントの粉茶で十分なんですが……
さすがに、そんな内心を出すのも失礼だろうと思い意識を切り替える。
「凄いな、茶道の心得あるの?」
「はい、おばあ様やお母様から習いましたし、学校でも初等部の必修科目でしたわ」
マジか、ということは白菊女学園の生徒は小学生の頃から茶道を習うのか。
俺が小学生の頃なんてお茶なんて苦いからコーラ飲みたいってゴネて、じいちゃんにゲンコツ喰らってたぞ。
なんつーか、やっぱ世界が違うねお嬢様たちは。
浴衣であぐらをかくわけにもいかず正座をし、
茶釜の熱が部屋を暖めてくれて、雨で若干冷えてしまった体にはありがたい。
電熱だから時間がかかると思いきや、特注の電熱器なのか、ほどなく茶釜のお湯が沸騰し始めた。
電熱窯を切り茶釜のフタを厚手の角布巾でつまんで外し、
茶碗を
流れるような一連の所作から、素人目にも綾華の修得の高さが分かった。
一朝一夕で身に着くような動作じゃない。
目の前に出された抹茶茶碗からは、抹茶の良い香りが漂ってきた。
えっと、これからどうすればいいんだろう。
茶道の心得なんて全くない俺は固まるしかなかった。
こんな事なら、ばあちゃんが茶道の話をしてくれた時に真面目に聞いておくんだった。
「あの、抹茶はお嫌いですの?」
固まっている俺を訝しんだのか、綾華が心配そうに覗き込んできた。
……どうしよう、茶道のことが分からないんて恥ずかしくて言えない。
口ごもっていると綾華が気づいた様に言ってきた。
「そうでした。茶菓子をお出ししていませんでしたわ。気が利かなくて失礼いたしました」
慌てて綾華が立ち上がった綾華だったが、数歩もいかないうちにヨロけて転び、浴衣からのぞく足がプルプルしており、しばらく動かない。
どうしたのかと思い、慌てて駆け寄ると俺の視線から逃れるように顔をそむける。
何故か耳まで真っ赤だが、先ほどの立ち振る舞いから熱があるようには見えなかった。
あー、ひょっとしてこれはアレか?
「……えっと、ひょっとして足が痺れた?」
「……はい。はしたなくて申し訳ありません」
「ぷっ」
綾華の健気な返事に思わず吹き出してしまったのが失敗だった。
本気で笑われたと思ったのか、俺の方を向いた綾華の眼が若干涙ぐんできた。
「ごめんごめん、別に可笑しい訳じゃないし責めているわけでもないよ」
「……でも、笑いましたわ」
「ごめんね、なんか可愛いなぁって思ってさ。なんつーか、年相応の姿が見れたっていうか。今までの綾華さんはお嬢様みたい感じで少し接しづらい部分があったから」
涙ぐむのは止まったものの、今度は複雑な表情をされた。
その場で正座し直し、背筋を伸ばしながらも不安げな目で言ってくる。
「わたくし、そんなに接しづらいですの?」
「いや、接しづらいって言うか、住む世界の違くて勝手に気後れしちゃうっていうか」
「ふふふ、若宮様の方が年上なんですし気後れなんてしないでくださいませ」
「そう言われてもねぇ。努力はするよ」
言って直せるもんじゃないし、気にしない様になって慣れたら問題なんだけど。
とりあえず、変な誤解は解かないとな、そもそも世界が違うからかく恥も無い。
「あー、正直に言うと茶道なんてしたことないから、どう飲めばいいか分からなかったんだ。ほら、なんか茶碗をクルクル回すとかあるのは知っているんだけど」
「左様でしたか。気を使わせてしまい申し訳ありません、お気になさらずに飲んでくださいませ」
足の痺れから回復した綾華は棚から高級そうな
俺も綾華と一緒に元の位置に戻り、おたがいに向き合いながら正座する。
懐紙に添えられた
口の中に痺れる様な甘さが広がり、蕩けるような食感が口の中に行き渡った。
「美味い、何この羊かん。羊かんってこんな食感だっけ。甘みもまろやかだし、上品な甘みってこういうことを言うのか」
「恐れ入ります。お気に入りいただけたみたいで嬉しいですわ。代々お世話になっている京都の老舗の品ですの」
さすが千年王都の京都の味だ、格が違う。
そのまま出された抹茶を飲んだら、口の中の甘みが旨みに代わり滑らかに口を通り胃に染み渡った。
抹茶って苦いもんじゃなかったっけ、こんなに美味いもんだったんだ。
「ふぅ、美味かった。羊かんも抹茶もこんなに美味いって感じたのは初めてだよ」
「ふふふ、ありがとう存じます。ご希望であれば、いつでもお出しいたしますわ」
「いや、いつでも食べたいけど、食べ過ぎたら更に太りそうで困るなぁ」
「わたくしは若宮様がふくよかになられても気にいたしませんわ。だから、いつでもおっしゃってくださいませ」
……いや、既にふくよかを通り過ぎて、実は健康診断の結果が色々とやばいんですが。
なんかだかなぁ、都合がよすぎて逆に怖い、実はドッキリでしたぁって看板を持ったおっさんが出てきても可笑しくない状況なんだし。
思わず隠しカメラがないか室内を見渡してしまった。
「どうか、いたしまして?」
「いや、どっかに隠しカメラがあるんじゃないかと……」
キョトンとした顔で顎に人差し指を当てて首をかしげる綾華。
お嬢様は隠しカメラという単語すら知らないのかもしれない。
知っていいたとしても、脈絡なく言われれば混乱するか。
変にとりつくろえばさっきの二の舞だ、ストレートに言った方が伝わるか。
「なんでもない。気にしないでくれ。なあ、それよりちょっと聞きたいことあるんだけどいいかな?」
「何でも聞いてくださいませ」
何でもって言われると卑猥なことも聞いていいのかという考えが頭をよぎるのは下種の極みだろうか。
そっち系の事もいつか聞いてみたい気もするが、聞いた瞬間に軽蔑されこの関係は終わるだろう。
終わってもいいとは思っているが、何もいま彼女を傷つけてまでする事じゃない。
それよりも、今は真面目な質問だ。
「あのさ、前に俺の人生をお世話するって言ってたでしょ。その、なんで俺なの? 俺じゃなくても若くて格好良くて頭もいい人たちは沢山いるでしょ」
そう、亡くなった兄の代わりなら俺じゃなくてもいいはずだ。
亡くなった兄ですら、年齢を計算すると二十六,七で俺よりも一回り以上若い。
何も好き好んで、こんな頭髪の薄い太ったおっさんを選ばなくてもいいだろうに。
綾華は困った顔で顔を赤らめながらも真剣に考えてくれているが、よくよく考えれば恋人同士ですら照れる困った質問か。
ましてや、俺は恋人でもないし流れのままに傍にいるだけで、一緒に住まわせてもらっているだけなのに。
明らかにデリカシーのない質問だ。
質問をとり消そうかと思った時、綾華は優しい目で俺を見てきた。
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