第240話 アクシデント⑥

「まあ、嘘ついたのは悪かったよ」


富瀬がため息をついた。


「けど、雲ヶ丘に投げさせるにはそんくらい言わないといけねえだろ。あいつ絶対投げたがらねえじゃねえか」


富瀬が不貞腐れたように2人から視線をそらす。


「呆れました」


華菜が富瀬に言う。とはいえ凄美恋に投げて欲しいという気持ちは華菜も持ってはいたので、それ以上の文句は富瀬には言わなかった。


「それにな、雲ヶ丘にそんな嘘をつかなかったとしても、準々決勝の先発は雲ヶ丘でいくつもりだった。お前には投げさせるつもりは初めからねえよ」


「なんでですか! 私は絶好調ですし、準々決勝勝つ為には私が投げないとダメだと思いますけど?」


由里香が富瀬のすぐ目の前まで歩いて行き、座っている富瀬のことを威圧するみたいに見下ろしていた。いつも冷静な由里香が珍しく感情的になっていた。


そんな由里香を見て、華菜は口元に手をやってあわあわしているが、富瀬は相変わらず気怠そうな表情のままだった。


「夏合宿を経てかなりスタミナはついて来たみたいだけど、まだ全試合完投できるほどのスタミナは戻って来てねえだろ。ていうか湊はそんなに雲ヶ丘が信頼できねえのか? お前程じゃねえにしても、あいつはそれなりに実力はあると思うぞ」


「別にそういうわけではないです。凄美恋に素質があることはわたしにだってわかります。ただ……」


少し由里香が言い淀んでからまたしっかりとした表情をした。


「あんなにもマウンドに立つのを嫌がっている子に、私の大好きな場所は任せられないです」


「私の大好きな場所……」


華菜が由里香の言葉を小さな声で復唱した。由里香が一度離れたにも関わらずまた帰ってきてしまった場所。思わぬ形で熱い気持ちを聞かされることになって華菜は下を向いた。


たしかにそうかもしれない。


凄美恋があれほど立ちたくないと言っている場所に、立ちたくても立てない人はどれほどいるのだろうか。どの学校の子たちも投手はそこを目指して頑張るのだ。だけど、そこに立てるのは限られた子だけ。競争に負けた子たちは泣く泣く諦めてその場を離れて行くのだ。


でも、凄美恋はそこに立ちたがらない。立ってもらいたいと切望されているにも関わらず。

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