第229話 孤独な練習③

凄美恋の力のこもった球を受け止めた富瀬は深いため息をついて、ポツリと呟いた。


「やっぱり全然良いよな。まだまだ粗削りだけど、本気で鍛えたら面白いピッチャーになりそうじゃねえか」


富瀬は中学時代の映像を確認した時から凄美恋のボールが良さそうだと思っていた。メンタルがあまり強くなく、感情的になりやすいからか、勝手に四球で自滅してしまうことが続いていたせいで成績の見栄えは悪いが、凄美恋のトラウマになっている全国大会で4回12失点の大炎上した試合だって、ストライクゾーンに入った球が痛打されることはなかったのだ。


今のお淑やかな見た目とは真逆の荒々しくて重たい、威力のある球はこのまま外野手で終わらせるには勿体ないような良い球だ。


「次はもっとコントロール付けられるか?」


「ムリ!」


そう言って投げた球はど真ん中に構えたグラブには来ず、高めのボール球の高さになってしまっていた。だけど、やはりずっしりと重みのある球が来ている。球威だけなら由里香にも負けていないかもしれない。


「ていうか、もう時間ヤバいやん! もうすぐ8時やし、この間赤点でえらい目に遭ったばっかりやねんから、これ以上何かやらかしらヤバいんで、うち片付けして帰るから!」


「もう1球無理か?」


慌てて逃げようとする凄美恋とは違い、富瀬は冷静に確認する。


「ムリやから! うち部活の時間違反して怒られたくないもん!」


(さすがにこれ以上無理強いしするのはやる気を削ぎそうだな……)


富瀬としては凄美恋が3球もブルペンで投げてくれただけでも進歩だと思った。これ以上言っても仕方ないと思い、今日のところは引き上げることにする。


凄美恋がネットを運んでいるので、ボールを入れた籠は富瀬が運ぶことにした。


「別に監督が運ばんでも、うちが片付けるで」


「いや、大丈夫だ。そんなことよりも、前にもまして良い球投げられるようになってたのに、まだピッチャーはやりたくねえのか?」


一瞬凄美恋が俯いて少し逡巡してから答えた。


「やりたくないって、ずっと言ってるやん……」


「そうか」


それ以上富瀬は説得を続けなかった。


「ああ、そうだ。これはあたしの独り言だけどよ。警備員さんが運動場見に来るのは20時以降だから別に19時半くらいまでなら練習しててもバレないんじゃねえかな。そんなこと完全下校時刻以降にひっそり練習してるような奴に聞かれたらまずいから、あくまでも独り言だけどよ」


富瀬が明後日の方向を見ながら呟いた。


一緒に歩いていた凄美恋が「おおきに」と言って小さく笑った。

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