第228話 孤独な練習②

「よし、じゃあ投げてみろ」


少しして、戻って来た富瀬が凄美恋に声をかける。キャッチャーミットを構えてしゃがむと、富瀬の長くてあまり手入れされていない茶色い髪が地面につきそうになっていた。


「なんで投げんとアカンねん!」


「だからさっきからずっと監督命令だって言ってんだろ」


「監督命令って言っておいたら何やってもええって勘違いしてへん?」


「勘違いじゃなくて事実だよ。少なくとも野球に関係することにおいては」


「絶対事実ちゃうから! それにうちは華菜みたいに素直に監督の言うことに従う子とはちゃうから!」


そう言いつつも、凄美恋は観念したのか長い手足を大きく使ったダイナミックなフォームで思い切り投げ込んだ。芸術作品みたいに繊細でバランスの取れた由里香のフォームとは違い、とにかく体を目一杯使った、雑だけど、豪快で力のこもったフォーム。


初球、富瀬のミットは左打者の内角低めを想定して構えられたものだったが、富瀬とは言え、一応監督相手に投げることに緊張して、凄美恋の手先が思わず狂ってしまった。


「あ、やば……」


左打者の内角低めとは真逆の方向。右打者のバッターボックスの方へ球は行ってしまった。高さも打者の頭を超えるような大暴投になってしまった。当然キャッチャーをしてくれてる富瀬が取れる筈もない場所へボールはいったものだと思っていた。


「すいません! うちがボール捕ってくるか……ら?」


「雲ヶ丘、もうちょっと落ち着いていけよ。別に試合じゃねえんだから落ち着いて投げりゃいいんだよ」


富瀬が凄美恋の大暴投をカエルみたいに大ジャンプして捕った後、何ごともなかったかのように涼しい顔で凄美恋に返球した。


「あたし相手に緊張してどうすんだよ。ど真ん中でいいから、力を抜いて、思い切り投げてこい」


そう言って富瀬は今度はストライクゾーンのど真ん中の位置にキャッチャーミットを構えた。再び凄美恋が思い切り投げ込む。今度もミットから外れた場所ではあったが、左打者の外角高めくらいの位置に投げ込めた。

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