第146話 由里香の背中③

「で、富瀬さんは何ておっしゃってましたの?」


華菜がマウンドに集まるみんなの輪の中に入ると、怜が開口一番聞いてくる。


「えっと、由里香さんに任せるって言ってました」


「任せる?」


華菜の回答に怪訝な顔をした由里香の心中はよくわかるが、そう伝えるしかなかった。


「富瀬先生は由里香さんが勝負したいのなら若狭さんと勝負してこいって言ってましたよ」


「そう、わかったわ。若狭さんをアウトにすればいいのね」


華菜の言葉を聞いて由里香が力強く頷いた。勝負するのだ。由里香の決意は間違いなく固まっていた。


それを確認して、華菜は三塁側ベンチからこちらを見ている富瀬の方を向いて不本意ながら堅い笑顔で手を振った。不本意というのは、言うまでもないが勝負をすることに対してではなく、笑顔で手を振るという行為についてである。


「ちょっと小峰さん、試合中に何ふざけてるんですか?」


桜子に少し怒ったような口調で言われて、華菜が思わず背筋を正す。


「いや、ふざけてるんじゃなくて……」


「桜子、華菜は場を和ましてくれてるのに怒るのは良くないわ」


困っている華菜のことを由里香が庇ってくれる。華菜は別に和まそうという意図なんて無かったのだが、由里香にそう言われて、なぜ富瀬が笑顔で手を振るなんて変な指示を出したのか腑に落ちた。


きっと4番の美江との勝負を前に、緊張した空気を和ますためにさせたのであろう。そのおかげもあってか、由里香と桜子のバッテリーの表情に少し余裕が出てきているようにも見える。


やはり富瀬は何も考えていないように見えて、しっかりとチームが良くなるためを思って考えてくれているのだということを理解し、華菜は富瀬のことを見直した。


その件を後日富瀬に聞いてみたら、ただ面白そうだったから意味もなくやらせた、と返答されて華菜の富瀬への評価が下がったことはまた別のお話である。

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