第133話 試合前日の呼び出し④

「あの、由里香さん、まさかと思いますけど、8割くらいの力で投げたストレートと簡単な変化球だけで明日の試合挑むつもりじゃ……?」


「ねえ、華菜。ここだけの話ってことにしてて欲しいんだけどね、今の桜子に私の変化球が全球種捕れると思うかしら?」


「それは……」


素直に答えることは桜子に悪いから、逡巡してしまうが、正直かなりリスクはあると思う。


女子の中では上位クラスの速球が投げられるから、速球派のピッチャーと勘違いされがちではあるが、由里香は本来明らかに変化球ピッチャーなのである。切れ味の鋭いスライダーや揺れながら沈む魔球シンカー、打者の直前で突然ブレーキのかかるチェンジアップ等を器用な手先で投げることが武器の投手。


だけどそれらの変化量の大きい変化球は、壁性能の高いキャッチャーでなければかなり捕球の際のリスクも高くなる。


「ランナー無しで投げるとかは……?」


「たとえランナーがいなくとも、後ろに逸らし続けていたら、桜子が野球での捕手経験が少ないことが露呈してしまうわ。野球の経験が浅いことがバレてしまったら、随所で揺さぶってくるようになるでしょうね。それは絶対に避けたいの。少しでも桜子の負担は少なくしておかないと」


「……わかりました。そこまで考えた結果なんだったら、私も仕方ないと思います」


由里香の言葉に華菜は頷いた。桜風学園野球部には多分まだまだ問題点が山のようにあるのだろう。その中で勝ち抜くためには、適宜臨機応変に作戦を練らなければならなさそうだ。


由里香が全力とは程遠い状態で投げなければならないという現実に、気づけば華菜はどんよりとした表情を浮かべて俯いてしまっていた。


「まったく、そんなに暗い顔しないでよね。私の凄さは華菜が一番知ってるでしょ? どんな状況でもきっちり抑えるから大丈夫よ」


由里香が冗談めかして笑う。


きっと、その言葉は由里香自身を鼓舞するためのものではなく、華菜を元気づけるためのものなのだろう。


由里香自身も久しぶりのマウンドに不安でいっぱいだろうに。


華菜は不安になっている場合ではないと顔を上げた。


「あと、困ったらサードに打たせるつもりだから、そこのところはよろしく頼むわね」


由里香がポンポンと華菜の肩を叩きながら笑う。


「コントロールが健在なんでしたら良かったですよ」


由里香の宣言に華菜は苦笑する。信頼されて嬉しいような、プレッシャーがかかって少し怖いような、なんだか複雑な気分である。


「球速を落とす分だけ制球にはいつも以上に気合を入れるわ。ストライクゾーン9分割で投げるつもりよ」


由里香が頼もしそうに笑顔を向けた。復帰したてで9分割で投げるなんてできるのだろうかと半信半疑ではあるが、なんだか由里香ならやってのけてしまうのではないだろうかと期待をしてしまう。


やっぱりこのチームの明暗を握っているのは間違いなく目の前にいる天才投手湊由里香だ、と華菜は改めて思った。


「頼みますよ」


華菜の言葉に由里香が頷いた。いよいよ夏の岡山県大会の幕が開けるのだ。

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