第125話 もう1時間もない⑤

「いずれにしても、どんな秘密兵器が向こうのチームにいようとも、私たちが勝てばいいだけの話です。由里香さんなら皐月女子打線を完璧に抑えてくれますよ! なんなら由里香さんなら星空学園だって0点に抑えちゃうんですから!」


華菜がまるで自分の事のように胸を張って誇らしげに言う。そんな華菜の自慢げな様子を見て、富瀬がため息をついた。


「お前が湊の大ファンなことはよくわかるから、もう湊を持ち上げることに関しては、あたしは何も言わねえよ。でも、今の湊の球はお前の知ってる湊の球とは全然違うんだぞ? ていうか、お前だって本当は気付いてんだろ?」


そう言われて、華菜は先日打席に立った時の由里香の球が明らかに中学時代に比べて劣化していたことを思い出す。あわよくば自分が見た、由里香の球が劣化しているように見えたことが気のせいであって欲しいと思っていた。


そんな華菜の心に、現実を見ている富瀬の冷静な指摘は突き刺さった。


「普通に考えてみろよ、中3の夏から高2の春先まで野球から離れてたんだ。その期間がどれくらい長いか、お前もよくわかってんだろ?」


「やっぱり希代の天才投手の由里香さんでもブランクがあったらきついんですかね?」


「お前どんだけ湊のこと持ち上げてんだよ……。まあ、別にいいけどよ、湊が好投手だとしても1年半のブランクは普通に考えて尋常じゃねえくらいいてえよ」


「で、でも由里香さんなら、きっと……!」


半ば縋るように華菜が富瀬に言う。だけどそのブランクの重さは内心では華菜もわかってはいた。なにより現実として練習中に球を見ているのだから。


華菜が俯き、露骨に落ち込んでいるのを見て、富瀬は大きなため息をついた後に宥めるように優しく話しだした。


「お前が湊を信じたい気持ちはよくわかるし、あたしだってそりゃ湊の才能を信じてえよ。だけどな、現実を見た上で、いかにして勝つ為の作戦を練るか、それが大事なんじゃねえのか? 一応みんなの前ではこんなに暗くなるようなことは言わねえけど、あたしと、一番良かった頃の湊の球を知っているお前は現実を見ながら戦っていかなきゃなんねえよ」


「はい……」


「あと、あたしから一個謝罪だ」


「え?」


富瀬美香という人間に謝るという概念はないものだと思っていたから思わず華菜は驚いて富瀬の顔を見てしまう。


ハンドルを握っているから前を向いたままだが、その視線はしっかりと強い意志を持って、前を見ていた。


そんな真剣で美しい顔をした富瀬のことをこれまで華菜は見た事が無かったから、驚いてしまう。


「あんまり練習見に行けなくて本当に悪かったな。その上、試合までに練習試合を取り付けることすらできなかった」


「いえ……」


練習を全然見に来てくれなかったことに関しては本当に反省してほしいからあまり強くは否定しなかったが、少なくとも練習試合を組めなかったのは大会直前に野球部が出来てしまったのだから仕方ないことである。


いずれにしても、華菜は富瀬美香という人物のことを少し見直しつつあった。やる気な無い人だと思っていたが、意外と冷静に桜風学園野球部のことを見てくれているように思えた。


これなら少しくらいなら信用できるかもしれない。


そんなことを華菜が考えていると、突然車から大きな音でクラクションが鳴った。


「おい、信号もう青じゃねえか! 早く動けよ!」


運転席で富瀬が信号が変わったことに気が付いていない車のことを、クラクション音に負けないくらい大きな声で煽っている。窓が開いていたら大喧嘩に発展していたかもしれない。


「ああ、もうやめてください! 変な波風立たせないでくださいよ!」


華菜の中で富瀬への信頼感が少し下がった。

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