第115話 由里香と桜子④

「ねえ、桜子。野球部に私が入ったら8人になるのよね」


しばらくして、桜子の気持ちが落ち着いてきたのを見計らってから、由里香がゆっくりと話し出した。


「ええ、そうですね」


「今どこのポジションが空いてるか聞いてるかしら?」


「キャッチャーがいないから華菜さんが練習していると……」


「そうなの?」


「ええ」


「華菜に私のボールが取れるとはおもえないけど……」


由里香が苦笑した。


「桜子って中学時代ソフトボール部でキャッチャーやってたわよね?」


「やってましたけど」


「ずっと疑問に思ってたけど、なんでソフトボール部にしたのよ?」


「え?」


「中学の時の部活のこと。桜子は野球には興味なかったの?」


大いにあった。厳密には由里香の球を取ることに大いに興味があった。


だけどそれは自分にはできないことだということもわかっていた。由里香の球威のある球はきっと自分には取れないだろうとわかっていたから、身を引いた。


「どうしてそんなことを聞くのですか?」


「なんで野球にしなかったのかしら、と思って」


「なんでって……」


「野球だったら桜子に私の球を受けてもらえたのに、と思って」


「え?」


怜か華菜あたりに何か言われたのだろうか。桜子を勧誘するための言葉として、そう伝えろとでも言われたのだろうか。


「それは本心からの由里香の言葉ですか?」


「そうに決まってるじゃないの? 私が桜子に嘘つくわけないじゃないの」


由里香がしっかりと桜子の目を見て、言い切る。


「怜さんや小峰さんからの受け売りとかではなく?」


「どういうことよ? 当たり前でしょ? 私がなんで自分の心に嘘ついて華菜や春原さんの言葉を使って、桜子に思いを伝えないといけないのよ」


由里香の言葉が真実だとしたら、桜子と同じ気持ちを持っていてくれたことになる。


「ねえ桜子、小学3年生のときの学級文集のこと覚えてる?」


「……はい」


しっかりと覚えている。後にも先にも自分の気持ちを唯一外に出したあの文集。


「桜子の卒業までにやりたいことの欄にさ、『由里香とバッテリーを組むこと』って書いてあったから、ずっと待ってたのよ? でも桜子は小学校の途中で野球をやめちゃうし、中学に入学したらソフトボール部入っちゃうし」


「それは……」


桜子が小学生の頃、由里香の姉である唯の影響もあって、由里香と一緒に野球をやっていた。小学校低学年の頃は、由里香の投手としての実力に桜子もまだついていけた。


だけど、次第に2人の実力の差は悲しいくらいについていった。普通の女の子と世代を代表するピッチャー。もはや一緒にバッテリーを組めるようなレベルではなかったし、桜子から一緒にバッテリーを組みたいなんておこがましくて言えなかった。


それでも未練たらしく、由里香とは一緒の道に交わるわけにはいかないけど、夢は捨てきれずソフトボール部に入部した。


普通の公立中学校の部活動だけど、やり始めたらとことん突き詰める桜子の性質から腕前は順当に上達していった。いつの間にか桜子は成績学年トップを維持したまま捕手でキャプテンとチームの要になっていた。


だけど由里香と桜子はソフトボールと野球という似ているけど厚い壁の間に阻まれている。


そして由里香も中3の秋に完全に野球を捨ててしまったのだ。桜子が由里香と一緒にバッテリーを組むという極めて難易度の高い夢は2度と実現しないものになったはずだった。


それなのに、今その夢が実現しかけているのだ。

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