第113話 由里香と桜子②
「桜子、ほんとにどうしたのよ?」
慌てる由里香の声は桜子のことをとても大切に思っていることがひしひしと伝わってくる。そのせいで、余計に涙が出てくる。
「由里香が小峰華菜のところへ行ってしまうんだなって思ってしまって」
「え?」
「私じゃなくて小峰華菜のところへ行ってしまうと思ったら寂しくなってしまうの。いえ、もちろん由里香が再び野球を始めるなんてそんなに喜ばしいことはないと思います。ようやくあなたが前に進んでくれるのは本当にうれしいことなんです。でも、でも……」
桜子がせき込んだ。涙で蒸せてこれ以上は話せない。
「今は思う存分泣いたらいいわ」
由里香が桜子を抱き寄せた。温かい体温とほんのり香る汗と制汗剤の混ざった匂いが桜子を包み込む。由里香の優しい匂いがしっかりと感じられた。
ただ何も言わず、桜子の感情が静まるまで、由里香はゆっくりと頭を撫でてくれた。
こんなところを由里香の取り巻きの子たちに見られたらどう思われるのだろうか。桜子にとって、由里香は小さなころから良く知っているただの幼馴染。
だけど、その由里香を思う気持ちは、“湊由里香ファンクラブ”なんて作っている、ふざけた子たちには絶対に負けないと思っている。由里香が一番輝ける場所に立っていた時代の姿すら知らないあの子たちに、由里香を愛する気持ちでは絶対に負けたくなかった。
そして華菜にも、負けたくなかった。でも、負けてしまった。由里香が野球部に入ったら、もう桜子と会ってくれることもとても少なくなるだろう。
桜風学園の生徒会長としてこんなところを見られてしまうと良くないのだろうけど、今は一旦由里香に甘えていたかった。
しばらくすると心が落ち着いてきた桜子は、ゆっくりと由里香の体から離れた。
「ごめんなさい、ありがとうございます」
「落ち着いた?」
「ええ」
桜子が頷くと、由里香がペットボトルの水を差しだしてきた。
「あの、これは?」
「飲んで一旦心を落ち着けたらいいわ」
中の水は半分以上無くなっていて、明らかに由里香が口をつけた後の物である。そのまま貰うと間接キスになってしまうが、由里香はあまり気にしていない。
そういうサバサバした性格と、端正なルックスのせいでファンクラブができてしまうくらい人気になってしまうのだ、と由里香の優しさが少し恨めしくなる。
「いいですよ。自分のを飲みますから」
そう言って桜子はステンレスボトルに入れた、まだ半分以上残っていた緑茶を一気に飲み干した。やけ酒をする大人というのはこういう気持ちなのだろうかと思ってしまう。
「勢いよく飲み過ぎよ」
横で由里香が笑っていた。
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