第112話 由里香と桜子①

桜子が由里香と待ち合わせをしていたシロクマ公園に着いた頃には、時刻はすでに21時を回っていた。桜子が、公園のベンチでスマホを見ている由里香の元へと急いで駆け寄った。


6月の夜はすでにほんのり暑い。由里香は時折、手うちわで扇いでいた。そんな由里香の横に握り拳3つ分くらいの距離を開けて、桜子は座った。


「本当にごめんなさい、少し生徒会の仕事が立て込んでしまいまして」


怜との話し合いの後、自分の気持ちと向き合っていたら、ついつい遅くなってしまった。


「あんまり無理しちゃだめよ? 桜子はいっつも一人でいろいろ抱えちゃってるから」


「ええ、ありがとうございます」


桜子が俯き、膝の上に乗せていた手の位置を少しずらした。由里香にはバレないように静かにゆっくりと深呼吸をして、心の準備をする。


「それで、今日は何の用ですか?」


「今日、華菜と2人で話をしたのよ」


「そうですか」


桜子は心の動揺を悟られないように、限界まで感情を抑えて返事をする。


「私、華菜たちと一緒にもう一度野球を始めようと思うの」


「おめでとうございます」


由里香が自分でそう判断したのなら心の底から祝わなければならない。桜子は下唇を無意識のうちに強く噛んでいた。由里香がせっかく前に動こうとしているのだから、桜子は笑顔で送り出してあげたかった。


それなのに、言葉にうまく感情が入ってくれない。


「桜子?」


由里香が桜子の顔をのぞき込んでいた。多分さっきの返事が涙声になっていたのがバレてしまっていたのだと思う。


「どうしたのよ?」


由里香に心配そうな声を掛けられた。何か返事をするといよいよ涙が止まらなくなりそうだから何も言えなかった。


これがもし純然たる由里香の新しい門出を祝うための涙だったら、きっと遠慮なく泣きながら、素敵な言葉をかけてあげられただろう。だけどこの涙は純度何%くらいあるのだろうか? 柑橘系炭酸飲料の果汁の割合にも満たなさそうな涙の純度だ。


「ごめんなさい……」


「だからどうしたのよ? 別に桜子に謝られるようなことされた覚えはないけど」


「心の底からは、由里香の野球部入部を祝えないです……」


言葉の後ろの方は涙にかき消されたせいで届いていなかったのではないだろうか。わがままにもほどがあると自己嫌悪してしまうが、由里香に自分の気持ちを偽りたくはなかった。

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