第111話 桜子の苦悩⑥
「……ですが、それは今の野球部の人たちの為ではなく」
「湊さんがまたマウンドに立ちたくなった時に、いつでも立てるように場所を用意していましたのよね?」
言いたいことをそのまま怜に引き継がれてしまって、桜子は困惑する。
「わたくしはそのことについて、まず桜子さんに心底からのお礼を言わなければなりませんの」
「だから、別に野球部の為にしたわけでは……」
「桜子さんが湊さんの為にしたこととはいえ、結果的にわたくしたち野球部員は大きな恩恵を受けましたの。そして、あなたの当初の目的通り、今野球部があることは、湊さんにとっても得になる話だと思いますわ」
「それなら……よかったです」
桜子はため息をついた。結果的に華菜の為になることをしてしまったことに悔しい思いをしていたが、それが由里香の為でもあるのならば、やはり嬉しい。
ため息を吐きだした桜子の心の中には、様々な感情が入り乱れていた。
誰にもバレないように腐心してきたつもりが、怜には思い切り筒抜けになってしまっていて、なんだか恥ずかしい気持ち。
だけど、こうして野球部ができて活動しているおかげで、由里香がまた彼女の意思でマウンドに戻れるのなら、それは桜子にとっても幸せな事。由里香はマウンドで躍動する姿が一番カッコいいのだから。
だけど、マウンドで幸せそうな表情を浮かべて投げ込むミットがよりにもよって華菜のものだったら、やっぱり桜子は嫉妬してしまう。
そこにいるのが桜子自身ならどれほど良かっただろうか。
そんな自分勝手なことを考えて、桜子は必死に心の中で否定した。どうせ自分には由里香とバッテリーを組むための資質や才能はないのだから、と。
「あの、桜子さん。わたくし、これだけ奔走して下さった桜子さんだけが寂しい思いをするというのは納得できませんの。桜子さんにも幸せになって頂きたいですわ」
桜子は怜のことをゆっくり見上げて、しっかりと視線を交わした。どう返したらいいのかわからず、ジッと黙っていると、怜は言葉を続けた。
「別に強要はしません。ですが、わたくしはやはり、桜子さんに入部して頂きたいですわ。そして湊さんのボールを受けて頂きたいですの。ただ、それを最後に決めるのは桜子さん自身。あなたが後悔しない選択をしていただきたいと、わたくし心の底から思いますの」
怜が桜子に微笑みかけた後、背を向ける。そのまま振り返ることなく静かに生徒会室を出て行った。
1人残された桜子の耳には、グラウンドから聞こえてくる打球音が聞こえていた。
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