第89話 誰かさんへのアピール②

「それはさておき、華菜さん、ちょっとキャッチャーをやって頂きたいのですが」


すっかりいつもの雰囲気に戻った怜が華菜に言う。


「いいですけど。何でですか?」


「いえ、わたくしもちょっとピッチャーというものをやってみたくて」


「怜先輩ピッチャー志望なんですか?」


「まさか。あ、ちゃんとキャッチャーの防具はつけるようにお願いしますわ。できるだけ、遠くから見て、一目でキャッチャーをやっているとわかるような形で捕球して頂きたいですの」


それだけ言って怜は華菜と距離を取る。華菜は怜の目的が分からず首を傾げた。


まだできたばかりで、試合ができる人数すら揃っていない野球部が使うグラウンドにバックネットやらブルペンやらが導入されているわけもなく、とりあえず適当に端っこの方で投球を受けようかと華菜が移動する。


「あ、華菜さんこっちでやりますわよ」


そう言って怜が指定した場所はグラウンドの中でも校舎の中から一番見やすい場所だった。


「またすごく目立つ場所にしたんですね」


「ええ」


華菜はまったく意図はわからないが、怜の投げるボールを捕球していく。


とくに投手をやりたいわけではない怜と、今までキャッチャーをやったことは無いし、今後もとくにする予定の無い華菜がこんなことをして何の意味があるのだろうかと疑問に思いつつも、言われるがまま怜の練習に付き合っていた。


当の怜は時折、チラリと校舎の方を見ていた。怜から言い出したことなのに、完全に心ここにあらずの状態になっている。


「ふふ、やはり見てますわね。昨日の話に効果があったみたいですわ」


怜の視線は生徒会室の窓からグラウンドを覗き見ている桜子の方へと向いていた。


☆☆☆☆☆


放課後、桜子は生徒会室の中からグラウンドの様子を見ていた。


昨日の怜から言われた話が気になって生徒会の仕事に集中できなかった。普段はグラウンドに背を向け、廊下側を向いて作業をしている桜子であったが、今日はもう机に座るのをやめてグラウンドの野球部を見ていた。


「小峰華菜にキャッチャーをさせるくらいなら私が……」


昨日生徒会室にやってきた怜の言った通り、本当に華菜がキャッチャーの練習をしていた。


つまり、このままだと怜が言っていた通り由里香と華菜のバッテリーが実現してしまうのではないだろうか。


昨日の由里香から聞いた回答はまんざらでもないものだった。最後まで聞くのが怖くて逃げだしてきたが、あの後に続く言葉はきっと桜子にとって意に添わない言葉であるに違いない。そんなことは容易に想像がついた。


「私が何年間由里香の横でじっと支えてきたと思っているのでしょうか……」


そんなことを呟きながら、桜子は静かにグラウンドを睨みつけていた。

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