友達


「にしし、今朝はゆーさくの顔すっきりしてるね」


「ああ、ゲームが楽しかったからな」


 俺と理央は駅から学校までの道のりを歩く。

 学校まで5分もかからないけど、二人の大切なルーティーン。


「あっ、にゃんこ発見! にしし、かわいいね!」


 理央は上機嫌であった。俺の心も自然と和む。

 この時間帯は生徒も多いけど、俺の隣には理央しかいない。


「ねえ、あの人って……」

「片桐さんに振られたらしいよ」

「伊集院様が浜辺で泣いて……」

「うわー、最悪……あいつのせい?」


 人の噂なんて他に面白い事があればすぐに消えてしまう。

 だから俺は陰口なんて気にしない。どうでもいい。


 理央の温度が低くなるのを感じた。

 俺だって理央の悪口を言われたら黙っていない。


「……ちょっと黙らせてくるね。せっかく気持ちの良い朝なのに……ゆーさく、待っててね」


「気にするな。それよりも、ほら」


 俺は理央の手を握った。

 仲の良い友達同士で手をつなぐ。

 親友なら当たり前の事だ。恥ずかしがる理由なんてない。手を繋ぐと心が通じあえる。


「ふへへ、うん……」


 気を取り直して学校へ向かうと、校門のところに片桐と伊集院が立っていた。

 見目麗しい二人はお似合いのカップルだ。

 二人だけで世界が完結しているように見える。


 周りの生徒は二人を遠巻きに見るだけで、話しかけようとしない。

 ……俺たちとは違う意味で学校の異物のようだな。


「むむむ、めんどいのがいるね……」




 伊集院は片桐に何やら呟いてこっちに向かってきた。

 片桐はそれを見届けると先に教室へと向かった。


 うん、案外俺の心は落ち着いている。伊集院が良い奴だとわかったからかな?

 いつか普通に話せればいいな……。


 伊集院は小走りで俺たちのところにやってきた。


「はぁはぁ……、お、おはよう、羽柴優作、それに早川理央さん」


「お、おう、おはよう。って、あれだけで息切れてんのかよ!?」


「……おは」


 伊集院の呼吸が落ち着くまで少し待つ。


「ふう、すまない、運動は苦手でね。……渚は口下手だから君と話すと拗れると思って私が来たんだ。ところで羽柴優作……昨日は取り乱して済まなかった。なにやら生徒たちに変な噂が立っていて、気になってしまって」


「ああ、そんな事か。いつもの事だから気にすんな」


「……君は本当に。いや、渚に色々言伝を頼まれたが、今はやめておこう。……君の気持ちを逆撫でするつもりはない。だ、だが、せ、せっかく知り合えたのだから少しくらい世間話してもいいだろう? いや、君の気持ちを考えると不躾なお願いかも――」


「そんな事か? ああ、良いぜ、俺はお前の事応援してるからな」


 俺の心からの言葉であった。

 思い出は意識的に消していく。恋心は鋼鉄の蓋で閉じる。


 ふと、伊集院の視線が気になった。

 俺と理央が繋いでいる手を見ていた。

 理央は伊集院を威嚇する。


「むむむ、しゃーー!!」


「す、すまない、そんなに見るつもりはなかった。……君たちは本当に仲の良い友達なんだね」


「にしし、ゆーさくは世界で一番大切な友達」

「当たり前だ、理央は大事な親友だ」


 間髪入れず反応する俺たち。

 伊集院は引くかと思ったけど、感心していた。


「そ、そうなのか。……いや、素晴らしい。本当に素晴らしい。友達か……、友達なら手を繋いでもいいのか……。私には……友達なんて……」


 そういえば伊集院が渚以外と喋っている姿を見たことがない。

 友達いないのか?


 伊集院は自分の手を見つめる。何やら考え込んでいた。


「は、羽柴優作! お、お願いがある。……わ、私と知り合った証として……あ、握手をしてくれないか? あ、あれだ、生徒たちが見ているところで友好を示せれば悪い噂なんてなくなるよ」


 なんだその可愛らしい語尾は? まあいいか。


「それくらいお安いご用だぜ? ほら、手を出せよ」


 伊集院が恥ずかしそうに顔を下に向ける。

 震える手を恐る恐る出してきた。


 俺は伊集院の手を取って力強く握り締める。

 相変わらず柔らかくてすべすべな手だな。


 伊集院は顔を赤くして恥ずかしがっているが、笑顔を浮かべていた。

 なんだ、笑えるじゃないか。すっげーキレイな笑顔だな。……でもなんでそんな感情なんだ? 


 俺は伊集院が満足するまで握手をした。


「もう、大丈夫だ。……羽柴優作、ありがとう。……また渚の件で来るかも知れないが、今はこの気持ちを忘れたくない。それでは」


「おう! またな、伊集院……、ってちょっと待て」





 満足そうな顔の伊集院を引き止めた。

 俺は伊集院の顔にぐいっと近づいて観察する。


「き、き、君は――」


「お前……、なんで悲しそうなんだ? 片桐とうまくいってないのか? 友達いないからか? なんだか……見てて……苦しい」


 伊集院は目を大きく見開いた。


「――えっ」


「ははっ、何かの縁だから俺たちに言ってみろよ! この前言っただろ? 困ったことがあったらボランティア部の俺たちが――、おわ!?」


 突然だった。


 伊集院は俺の胸元を両手で掴む。

 それは何かにすがるような姿であった。

 顔がぐしゃぐしゃに崩れていて、涙を流している。

 存外、こいつは涙もろいな。昨日も泣いていたしな。

 俺にはわからない何かの限界が達しただけかも知れない。


 人は脆い。伊集院が特別おかしいわけじゃない。何かの拍子で人は崩れる。


 理央は周りの生徒たちを近付けないように威嚇していた。伊集院にしたみたいに遊びの威嚇じゃない。ただ周囲を冷たく威圧していた。理央の怖さを知っている生徒は俺たちに近づこうともしなかった。





 伊集院は嗚咽を漏らしながら俺に――懇願をした。


「ひ、ひっく……ひぐ……、わ、わたし……、と、とも――」


 俺は耳を近づけた。


「とも? とも、って何だ?」



「ひぐ……。わ、わ、わ、わ、私と……初めての、と、友達に、なってほしぃ……」


 理央がため息をついていた。

 俺に向かって頷く。好きにしろって意味だ。


 ……こいつは片桐の婚約者だ。色々思うところはありすぎるが、不思議と嫌な気分にはならない。別に片桐に対して敵対したいわけじゃないし、冷たくしたいわけじゃない。ただ、そこに悲しみがあるだけだ。

 


 それに――伊集院からはなんだか同じ匂いを感じる。



「まあいいか。よし、それじゃあよろしくな!」


「え、あ、ほ、本当に……友達になってくれるの? こ、こんな私と? ひぐっ」


「どんなお前か知らねえから、これから知っていけばいいんだろ?」


「羽柴優作……お前は――本当に……」


「あん? 俺がなんだって?」



「――良い男だよ」



 理央が俺たちに割って入った。どうやら寂しかったらしい。


「ゆーさく! 男子にデレデレしないの! 私の方が可愛いでしょ!」


「デレデレって……、してねえよ!? ていうか、お前も男子みたいなもんだろ!! ったく」


「むむ、そんな事言うと昼休みしらすの天ぷらあげないよ!」


「あ、わりい、ごめん。理央は超かわいい」


「にしし、分かればよろしい。ゆーさく隊長! ……伊集院新兵! 早く教室へ行くであります!」


「おう!」


 伊集院は戸惑いながらも理央に向かって返事をした。


「は、はい! よろしくね!」


 やっぱりなんでそんな可愛い口調なんだ?

 

 俺たちは学生たちの好奇な視線を跳ね除けて、教室へと向かった。



 俺はこの時の二人の表情を見て、心から想った。

 

 片桐に振られた俺は、思い出を忘れて友達と青春をしたい、と。

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