初恋


 私、伊集院司は男子が怖かった。

 私は家の事情で渚ちゃんと一緒に学校に通うように言われた。

 家の命令には逆らえない……。でも、渚ちゃんと一緒に学校に通えるなら日本に戻る事も全然問題なかった。


 私は男子に言い寄られないように男装をすることにした。そうすれば渚ちゃんも守ることができる。我ながら冴えた提案ね。

 婚約者として振る舞えば渚ちゃんに変な輩が寄ってこないはず。

 そう思っていた。

 実際効果は絶大だった。


 ……まさか、私が男子から嫉妬で絡まれるとは思わなかったよ。


 三年生グループに囲まれた時は凄く怖かった。

 渚ちゃんがいなくて良かったと思ったけど、渚ちゃんがいたら絡まれなかったかもね……。


 凄く理不尽な言いがかりだった。聞いてて頭が痛くなる。

 大声を上げる男子が怖かった。野蛮な男子が大嫌いだ。

 どうしてこんなにも精神的に幼いんだ。

 走って逃げ出したかったけど、足が震えて動かなかった……。


 だから――


 あの男子が助けに入ってくれた時はドラマみたいで胸がドキンと跳ね上がった。

 それに手も握られてびっくりしちゃった……。

 思わず男子である事を忘れてしまいそうでだった。


 で、でもね、ま、まさか、胸を叩いてくるとは……、全く破廉恥極まりないよ。

 うん、私の事を男子だと思っている証拠だから我慢できたけどさ。


 でも……彼も渚ちゃんを見た目で告白してきた輩だ。

 だから甘い顔を見せちゃ駄目。


 さっき部室で再会出来たときは思わず顔がにやけてしまった。

 ……あれは違う! 渚ちゃんを守るために警戒したんだ! うん、きっとそうだ。

 私はあいつの事なんて気になってない……。異性を気にしちゃ駄目なんだ。私にそんな権利はない……。


「司? 顔がにやけてますわよ? どうしたの?」


「ふえ!? や、や、これは……、な、何でもないよ!」


 私達は図らずしも羽柴と名乗る男と、その彼女であろう女子を部室から追い出してしまった。

 抱き合っていたからきっと彼女なのだろう……。

 なぜだか胸がチクリと痛む。心臓の鼓動が激しい。


「悪いことをしましたね……。後で謝らなきゃ……。それに、本当に葵なら――」


「渚ちゃん、私が調べて見るね。あの男が渚ちゃんがずっと探していた葵っていう人なら……」


 渚ちゃんは普通にお弁当を食べているけど、心はここにあらずという感じだ。

 子供の頃に別れた親友と出会う事ができたのに……ひどい言葉をかけてしまった。


「私……葵ちゃんにひどい事言ってしまったわ。告白かと思って話も聞かずに切り捨てて……。でも、葵ちゃんは女の子だと思ったのに、私の勘違いだったの?」


「……私には、わからないよ。でも、羽柴優作から渚ちゃんに対する好意はビシバシ感じたよね? 私達が勘違いしてもおかしくなかったよ。……ねえ、きっと話し合えば大丈夫だよ」


「う、ん、謝らなきゃ。子供の頃の約束を……」


 こんなに弱っている渚ちゃんを見たのは初めてであった。


「羽柴優作……」


 突然、手を繋いだ感触が蘇ってしまった。

 温かい気持ちが生まれたことに心が動揺してしまう。

 抱いた事のない感情が胸を締め付ける。

 幼い頃の絆で結ばれた二人。ずっと聞かされていた思い。

 ……私が入る隙間はない。


 ――わ、私は……渚ちゃんに嫉妬を? いや、そんなはずはない。私はこんなにチョロい女性ではないでしょ? 渚ちゃんの大切な人なんだ。自分の感情は殺せ……。それが家の役目。


 私は心を押し殺した。嫌な感情が漏れ出す前にーー





 **************




「うーーみーー!!! にしし! ゆーさく、打ち上げられたなまこ探そ!」


「おい、今日はボランティア部のゴミ拾いだろ!? ったく、仕方ねえな」


 ボランティア部はほとんど活動していない。だが、週に一回海のごみ拾いをすることによって部活の存続ができる。明美ちゃんが泣いて俺たちにお願いした事であった。

 部活をやめると言ったが、まだ手続きはしていない。

 そもそも片桐たちが入部しなかったらそのままでいいわけであって……。


 はぁ、面倒だ。


 海は学校から歩いて5分もかからない。

 この時期の海は閑散としているけど、海には常にゴミが一杯だ。


 俺たちはなまこを探しながら海に落ちているゴミを拾う。


「にしし、ゆーさく、はい!!」


「おわ!? お前わかめ投げんなよ!?」


 これが俺たちの日常である。

 常に二人で行動をする。俺と理央は深い絆で結ばれている。

 学生の戯言かと思うかも知れないが、理央は大切な親友だ。

 理央の敵は俺の敵。全力で理央を守る。


 理央が暴れる理由は俺に対する理不尽が起こる時だけだ。


 理央は他人から何を考えているのかわからない、とよく言われる。

 他人とは違う。それだけでクラスから浮いてしまう。

 理央は心優しい子なのに。


 ……理央がいなかったら、俺は片桐にフラレて自暴自棄になっていただろう。

 夜の街に繰り出して暴れまわっていたかも知れない。


 思い出を忘れる。

 それは苦しくて大変な事だけど……、思い出さなきゃいいんだ。

 空気を読まない俺ならできるはずだ。


 理央が大量のゴミを抱えて俺に近づいてきた。


「隊長! ゴミ拾い終了しました! 理央少尉は帰還したい所存であります!」


「よし、お努めご苦労様! さっさと帰ってゲームでもしようぜ」


「了解であります! にしし……?」


 理央の雰囲気が変わった。俺は振り向いて理央の視線の先を見た。

 伊集院司が革靴で浜辺を歩き、こっちに向かってきた。


 できるならば伊集院とは話したくない。

 あいつは片桐の婚約者だ。伊集院を通して片桐を思い出してしまう。


「どうする? ゆーさくが嫌なら……」


「いや、大丈夫だ。片桐もいない。話だけ聞くか」


 伊集院は息を切らしながらまっすぐに俺を見ている。

 真剣な表情だ。何か大切な話があるのかも知れない。


「は、羽柴優作!! き、君に聞きたい事がある!! ふう、ふう……」


「あ、ああ、とりあえずここで座って休めや。息切れてんぞ」


「あ、ああ……」


 どうやら彼は残念イケメンらしい。浜辺を少し歩いたくらいで息を切らすなんて。

 理央も毒気を抜かれて呆れた顔で、砂の上に座っている伊集院を観察する。


 呼吸が落ち着いた伊集院が少しずつ話し始めた。


「ふう…、羽柴優作、君に聞きたい事がある。君の名前は葵ではなかったのか?」


 なんだそんな事か。


「ああ、それは旧姓の名字だ。中学の頃に家のゴタゴタがあってな。葵の姓は捨てて、今は羽柴優作だ」


「……そう、か。くそ、やっぱり、渚の勘違い……昔は……ポンコツ……でも……」


 何やらブツブツ言っているけど、もう終わりか?


「帰っていいか? 俺たちこれからゲームで忙しいんだよ」


「いや、すまない、まだ質問は終わっていない」


 もういい加減にしてほしい。こいつは悪い奴ではない。感覚が少しずれているだけで、悪気がないのがわかる。それでも、顔を見ると片桐の事を思い出してしまう。


「手短に言ってくれ」


「あ、ああ、君と渚は幼い頃、知り合っていたんだろ? 彼女はずっと君の事を探していた。いつもいつも君の話ばかりしていた。……振ったのは彼女と私の誤解だ。だからもう一度彼女と向き合ってくれ! お願いだ!」


 誤解か……。人の顔を確認もせずにいきなり振られたからな。


 こいつは渚の婚約者だろ? 渚を守るのはお前の役割だ。

 伊集院は返事をしない俺にまくしたてるように喋る。


「君にとっても大切な親友だったんだろ? なら仲直りできる筈だ。……もしかして君は怒っているのか? 渚は君を忘れたわけじゃない。勘違いをしてただけだ。……むしろ、君はそれくらいの事で渚の事を諦めるのか? 渚の事が大切じゃなかったのか? ……もしかしてそこにいる彼女が君の恋人だから――あっ」


 俺は大きく息を吸い込んだ。

 そして――




「ああ!? ふざけんな! 俺が渚を忘れた事なんて片時もねーよ!! 俺の大切な親友で初恋なんだ!! 逢いたかったに決まってる!! 大好きだった!! 好きで好きで仕方なかった! 夏休みに海外へ探しに行くつもりだったんだ!! 胸が苦しいに決まってんだろ!! 好きな人に振られたんだぞ!! ――あとな理央の事を勘違いするじゃねえよ!! 俺の大切な親友なんだよ! なんでも色恋沙汰にするな!! ったく、俺の気持ちも知らねーのに外野がゴタゴタ言ってんじゃねよ!! ――はぁはぁ……すまねえ、外野じゃねえな。お前婚約者だもんな」




「羽柴優作……君は……」


 伊集院は顔を赤くして目を潤ませている。

 俺は伊集院の頭をグシャグシャに撫でつける。。


「……お前が渚を幸せにするんだ。俺は――過去の人間だ。だから、渚への思いも捨てた。比喩じゃねえぞ? 俺は心に決めたら実行する。――伊集院、お前は気にすんな。過去の亡霊はおとなしく退散するぜ」


 お前がそんな悲しそうな顔するんじゃねーよ……。

 伊集院は泣きそうになりながら俺に叫んだ。


「……そ、そんなの君の心が……痛いじゃないか!! ほら、渚ちゃ……渚と話しよ? ね、私が取り持つからさ」


 なんだ、やっぱりこいつ良い奴じゃねーか。

 なおさら俺の出る幕じゃねえ。

 俺は笑顔を伊集院に向けた。ほら、泣くんじゃねえよ。

 伊集院の涙をハンカチで拭く。


「ははっ、キレイな顔してんだから泣くんじゃねーよ。優しい奴だな――まあ、何かあったら相談しろよ? 絡まれたら助けてやるからさ。はは、伊達にボランティア部じゃねえし」


「はしばゆうさく……、うぅ、わ、私……ううぅ……」


「じゃあな、片桐を頼むぜ、お前だったら任せられる」


 伊集院の頭をぽんぽんっと軽く叩いて俺たちはその場を立ち去る。

 夕日が綺麗だった。


 俺は伊集院と会った時から感じていた胸の痛みを忘れるように砂浜を歩く。

 大丈夫、理央が隣にいる。


 歩くごとに思い出を消す。

 感情のコントロールは慣れたものだ。



 だから――お前らは幸せになれよ。




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