この空の下で2

「お願いだ、お願いだから妹の薬を!死にそうなんだよ!」

ビルを上っていくと

泣きそうな顔で、錆びた扉を叩く、小柄な男に会った。

「うるせぇなぁ!第3部隊のくせに!」

医者は扉を開けるやいなや、そう怒鳴って、扉を閉めた。


見たことの無い、男だった。

防衛部の上層部では無いことはすぐに分かった。

最近、また予知の回数が増えて眠れないから睡眠薬を貰いに来たが、余計なものに出くわしてしまった。

案の定、

その泣きそうな男の未来が見えてしまった。


幸せそうに泣き笑いをする顔や、誰かを想って泣いている顔。しかしその中に、妹が死んで絶望する顔は入っていなかった。


とんだ取り越し苦労だな、とため息が出た。


男は相当取り乱していて、私のことは見えてないようだった。

「おい、邪魔だ。」

男は私の顔を見て、目を丸くするとぱっと顔を背けた。そして小さく、「すいません」といった。

正しい反応だ。

この現代では、周りの人がよく死ぬのは当たり前のことだ。

だが、何度が私が「あいつはもうすぐ死ぬ」だのなんだの言って、それが的中すると、

皆は寄って集って、

私の顔を見ると死期が早まる、と言い出した。

無論、そう仕向けたのは私だ。

そうすれば、無駄に人を予知しなくて済んだ。


「土山さん、薬。いつもの頼む。」

「ああ、岬さん。来る時は事前にと何度もお伝えしたでしょう。」


「外のあいつはなんだ?」

土山ははぁ、溜息をつきながら、薬を紙袋に包んだ。

「ああ、あいつね。第3部隊の輝(テル)って奴さ。妹の喘息の薬をもう1年も滞納してやがる。」


「ふぅん。」

土山がもじゃもじゃの白髪を、弄りながらニヤリと笑う。

「ところで岬さん。あんた死神だなんて呼ばれてるんだって?」

「そうだね。私の顔をそんなふうに見る奴はアンタぐらいだね。」

「人間から神様が生まれるんなら、この戦争なんざすぐ終わらせてくれりゃいい。」


世界中に突如として湧き出た虫。

正確には微生物にしては巨大すぎる微生物を模した、謎の生命体達だった。

彼らは、地球上に住む生き物とは違う次元に住んでいたのだろう。

立体にはなれないそのからだで、地面や壁を這い回り、ありとあらゆる物を摂取し始めた。

世界は瞬く間に崩壊し始めた。

都市という概念がなくなり、人口は減り、

目の前で色んなものが食われていった。


黒い影に沈んでいく、母親の叫び声は、五年経った今でも、耳に張り付いて離れない。


ドンドン!ドンドン!

先程の男がまだ、扉を叩いているらしかった。

どうせ妹は死にはしないのに、めでたいことだ。

まあ、本人はそんな事知る由もないのか。「土山さん、喘息の薬はいくら?」



扉を開けると、泣きそうな男がこちらを見た。

しまった、目が合った。

不意にそらす。

生まれついて予知能力のある私には、感情の昂っている相手はあまり得意ではない。

顔を見ずとも、感情の流れだけで、未来を見てしまうこともあるからだ。

しかし、彼からは、恐怖や焦りの感情よりも、申し訳ないと言う気持ちの方が大きいようだった。

なるほど、先程の「すいません」は、

後ろにいる事に気が付かなくてすいません、ではなく、

目が見れなくてすいませんという意味なのか。

そう分かると、何だか面白い。


「ほら。薬。」

男はぽかんとしている。

そしてまじまじと私を見つめた。


「お前の妹は死なない。少なくともお前が生きてる間は。死神の私が保証しといてやるよ。」ニヤリと笑った。


ありがとう、とかそういう言葉を聞きたいわけでは無かったから、何かを言われる前に桟橋に戻ろうとした。

しかし、男は薬を貰うと、私を追い抜き、私より早く桟橋に走っていった。


そして、後ろを向きつつ、

「ありがとう!!」

とだけ言うと姿を消してしまった。



その日は、久々に家族の夢を見た。

まだ、普通に道路を歩き、床で寝転ぶことの出来た時。

私はよく分からない夢ばかり見ては、

眠れずに泣いていた。

崩れていくビル。泣き叫ぶ人。血と煙の匂い。怒号と悲鳴。地を這う、謎の影。

いつも母は、泣いている私にホットミルクを作ってくれて、落ち着くまで背中をさすってくれた。

私が見ていたものが、予知夢だと分かったのは、彼らが出現してからだった。


それから程なくして、父と母が泣き叫ぶ映像が浮かぶようになった。


彼らが液体の上は移動できないと分かると、誰もが海へと逃げた。

私たち家族も急いで救助船に乗った。

あの映像は単なる私の妄想だ。

もう船の上だし、安全だろう。そう思いたかったが、心がどうも休まらない。

倒れていくビル群を見ながら、色々なところで悲鳴が上がる。

ふと、足元を見ると、

夜の影よりも暗い何かが、足元で蠢いているのが分かった。


危ないと叫びたかった。

近くにいる父と母の手をひいて、海へと飛び込みたかった。


でも、声が出ない。体が動かせない。

頭の思考さえ、遮断されているかのように、考えることもままならない。

まるで、もう、こうなることが当たり前であるかのように、私はただ目の前を見つめることしか出来なかった。

黒い闇が、いきなりぽっかりと大きな口を開けると、その目の前にいた人たちは、大きな悲鳴をあげた。

そして、闇の縁にしがみつこうとするが、そのまま徐々に引きずり込まれた。


父が母を持ち上げようとするが、上手くいかない。必死に私の名前を呼ぶが、私の身体は微動だにしてくれない。


そして、絶望の顔と悲鳴が消え去ると、

船に大きな風穴を空けて、どこかへ消えた。


父と母は、私の目の前から跡形もなく消えてしまった。

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