お花屋さんで2

「あの。ちょっと聞いてもいいですか?」

「はい?」彼女は百合を選びながら僕を見た。

「この前の…」と、言った所で、僕は言うのが気が引けた。

きっと嘘だった。冗談だった。

また真面目に聞くのは馬鹿らしい。

「本当ですよ。」彼女は少し目を伏せて笑う。

その仕草は何処か悲しみを帯びていて、何故か僕まで悲しくなった。

「本当というのは?」

「私、花しか食べられないんです。」

そう言うと、彼女は買ったばかりのユリを持って、僕を公園の草むらへと招いた。

僕は言われるがまま、草むらに行く。

相変わらずの人いない公園。歳のそう遠くない僕らが二人でいると、周りからはどう思われるだろうか。

そんなことを脳裏で掠めていると、彼女は僕をじっと見つめ、そして笑った。

僕は、目が離せなくなった。

彼女は、ユリの花をそっと、食んだ。

薄い、淡いピンク色の唇は、柔らかくユリの花弁を食み、そして少し咀嚼しては飲み込んでいく。

音も立てず、食べ進んでいく所を、僕は目をそらすことが出来なかった。

それは、妖艶で、人間とは思えないほど、美しかった。

そして、食べ終わると、ほらね、とでも言うように僕を見て笑うのだった。


それからというもの、僕は何度もあの公園を訪れた。

特に約束した時間なんてないのに、彼女は律儀に待っていた。

だが、食べるところを見せてくれたのは、あれ以降1度もなかった。

きっと、彼女なりの冗談だったのだろうと、思い、彼女に言うと、

笑いながら濁された。


春も暑さを帯び始め、徐々に日が暑くなって行く。

「ねぇ、良かったら駅前まで来て貰えませんか?」

彼女は腕いっぱいのかすみ草を零した。

「え、そんなの。無理ですよ、私。」

「でも、夏場の移動販売はやってないんですよ。お花がすぐ傷んでしまうので。」

彼女はかすみ草を拾い上げる。

「分かりました。」

しかし、彼女は駅前に現れることはなかった。


ヤキモキとした気持ちをずっと抱えていることは出来ず、閉店後に店の余り物でブーケを作り、彼女のいる公園へと向かった。

もう随分暗いのだが、居てもたってもいられなかった。


公園には、彼女がいた。

ベンチに座りぼうっとしていた。


声をかけようとして、目を見開いた。

彼女は食事をしていた。


公園のどこかに生えていたたんぽぽの花を

ちぎっては、少しずつ口に運んでいた。


その様子を見て、僕は

今見ているものが現実かどうか、むしろ彼女といた時間は全て、幻だったのではないかと錯覚する。


彼女はこちらに気がついて、大きく目を見開いた。


「君は、本当に、…」

僕が言いかけたと同時に、彼女は、

「ごめんなさい!!」

と言った。

そして、もう一度小さくごめんなさい、と呟くと、その公園から姿を消してしまった。



「あら、エンちゃん。どうしたのよ。またぼーっとして。」

お客さんに話しかけられてはっとした。

バイトで雇っているおばちゃんと、買い物にきたお客さんが、談笑していた。

「あー、いや。ちょっと疲れが溜まっちゃって。」

適当に誤魔化した。

「なに、失恋?」おばちゃんに、ここぞとばかりにいじられた。この頃ぼーっとしている僕に対して、元気づけてくれているのだろう。

「え、僕が?ないない。僕の恋人はほら、ここにいるお花たちだからさ。」

と、笑って返す。


実際のところ、失恋と言う言葉に、

何故かしら、心がジクリと音を立てた。


分からなかった。


「そういえば、移動販売辞めちゃったの?坂の上に住んでる八代さん、エンちゃんが来るの楽しみにしてたのよぉ。」


「そうですね、夏はちょっとお花が傷んじゃうので。」

僕はまた、うっかりと顔を陰らせてしまった。

そうだ、僕はあの夜から、何度も花を持ってあの公園に行った。

でも彼女のことを見つけることは出来なかった。


冗談だと思われたあの出来事は、間違いなく本当の事だった。

彼女は、花を食べていた。



だけど何故、彼女は僕に、食べているところを見せたのだろう。

疑ったからだろうか。でも、本当のことを言うことほど、危険なことは無いのだ。

何故、彼女は…。

また、心がジクリと音を立てた。


「じゃあ、お疲れ様でした。」

「お疲れ様ですぅ。」

僕はひとり、閉店作業を始めた。

いつもより何故か、作業が遅い。

気がつけば、もう10時を過ぎていた。

シャッターを閉めていると、声をかけられた。

「こんばんわ。」

彼女だった。


随分と痩せていた。

僕は自分の中の何かが、慌ただしくひっくり返ったり逃げ回ったりするのが分かった。

「久しぶり。」

彼女は目を伏せた。

そして、目を開けて、こちらをじっと見た。

街灯の青白い光が、彼女の瞳に反射して、泣いているようだった。


「駅前に、大きな公園があるんだ。行ってみない?」

彼女はこくりと頷いた。


彼女と僕は、暫く無言のまま、公園の中を歩いた。

月夜と街灯のおかげで、公園のレンガ道は浮き上がるみたいに明るい。

「どこに行っていたの?」

僕はようやく、口を開けた。

「ずっと、家にいた。」

「なぜ?」

「出るのが、怖くて。」

彼女は少し震えていた。


「ねぇ、わたし、人間じゃないの。」

彼女は振り返る。

その顔は、悲しげで。そうだ、最初にあった時も、こんな顔をしていたのだ。


「気がついたら、お花以外食べられなくなっていたの。どんなに美味しい料理でも、全部、吐いちゃうの。病院にも行ったけど、原因は分からなかった。」

彼女は、泣きそうな顔で照れ笑いをしながら、僕に言う。

「精神的なものだの、なんだのって言われたんだけど、結局治らなかったの。

しかも、何故だがそれで生きていけてるのよ。花びらだけしか食べてないのに。」

街灯に照らされたレンガに、ポタリと雫が落ちた。


「なんだかね、自分が人間で無くなっている気がするの。でもね、それでも、良かった。遠くの鳥の声が聞こえるのも、風で天気がわかるのも、とてもとても心地がいいから。人間から、人間でなくなっていくのは、心地よかったのよ。」

「私はね、きっと人間から、人間ではない、何か綺麗で崇高なものになれるんじゃないかと思ってたの。だから、本当に寂しくなんてなかったし、悲しくなんてなかったのよ。」


彼女の言葉はどんどん涙声になっていく。


「でも。」

大粒の涙が、ポロポロと、レンガに落ちていく。


「好きになってしまったの。人を。貴方を。」


泣きじゃくる彼女を抱きしめた。

涙で湿り気を帯びていた。しかし、その体はやはり、ひんやりと冷たかった。

彼女は、人間でないのかもしれない。

それでも確かに今、泣いている彼女は人間らしさそのものだった。

「ごめんなさい。ごめんなさい。」

彼女は泣きながら謝った。

「好きになってしまって、ごめんなさい。」



駅前は夏日が落ち着いて、休日は多くの人で賑わっていた。


「いらっしゃいませ!こんにちは!何になさいますか?」


「あら、可愛いお嬢さんねぇ。じゃぁ、この仏壇用のを、くださいな。あと百合も欲しいわ。あるかしら?」

「はい、かしこまりました。少々お待ちください!」

彼女はトコトコと走りよってきた。

「縁さん、縁さん、ユリってまだありますか?」

「ああ、まだあるよ。僕が持ってくよ。」

「ありがとうございます!」

バケツをよいしょと持ち上げて、お客さんのところまで持っていく。

「お待たせ致しました。」

「あら、エンちゃん。バイトの子雇ったのねぇ。」

「ええ、まぁ。」

僕はなぜだか照れくさくなって頭を搔く。

「元気があっていい子そうじゃない。お店が賑わうわね。」

「そうですね、つまみ食いもしなくなりましたし。」

お客さんは首を傾げる。

「あら、どういうことかしら?」


「いえ。なんでもありませんよ。百合は何本になさいますか?」


















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