第41話 溢れる死、零れる想い(7)

キョー助が春日の屋台の前に立つと、春日はチラとキョー助を見た。


「遅かったじゃない」


「……」


 キョー助は呆れた。春日は死人の群れにキョー助を襲わせたことも魔王を殺したことも、まるで何一つなかったかのような顔をしている。


「ちょうど出来たところよ。食べていきなさい」


 屋台の鉄板に上には、見計らったように焼き上がったたこ焼きが並んでいた。春日は千枚通しを右手で繰って、左手に持った船皿にあつあつなところを盛っていく。


 キョー助は春日に近づこうと、屋台の裏に回る。とにかく春日に触れられるところまでいかなければいけない。ところがキョー助が近寄ると、春日は体をこわばらせ、たこ焼きを船皿ごと取り落してしまった。


「おいおい」


 落ちたたこ焼きを拾おうとキョー助が手を伸ばすと、春日はビクっと一歩後ろに飛び退いた。握っている千枚通しを先が少し震えている。様子がおかしい。


「そっちでまってなさい。作り直すから」


 春日は鉄板の反対側を指差してキョー助を離れさせ、袖で額の汗を拭い新しい生地を鉄板に流し込んでいった。


「(無理には近づけないか……)」


 春日は何かに怯えているようだ。もし強引に迫って、気が動転でもしたらまずい。相手はこの世界の神に等しい女だ、何が起きるかわからない。


 キョー助はイスを引っ張ってきて、屋台の前に腰を下ろし、春日がたこ焼きを作る様子を黙ってみていた。


 春日の手際は信じられないぐらい悪かった。焼きムラができるし、タコの大きさはバラバラだし、ひっくり返すたびにたこ焼きを崩していく。以前の手際の良さは見る影もない。それでも春日は額に汗し真剣にたこ焼きと向かい合っている。


「気合入ってるな」


 キョー助は自然に声をかけた自分に驚いた。春日に緊張も不安もなく話しかけるなんていつ以来だろう。


「黙ってて。いま集中してるから」


 春日はキョー助の感慨のことなど知らず、鉄板を凝視したまま手を動かし続けた。


 なんとか次のたこ焼きが焼き上がると、春日は船皿を突き出した。たこ焼きにはたっぷりソースが掛けれていたが、崩れていたり、焦げていたりしているのはごまかしきれていない。


 キョー助が差し出されたたこ焼きに手を伸ばすと、春日がまたたこ焼きを落としそうになったので、慌てて受け取る。春日は慌ててキョー助から飛び退いて距離をとった。


 何をそんなに警戒しているのかと疑問に思いながら、キョー助は二本の爪楊枝で船皿からたこ焼きを取り、目の高さに持ち上げてまじまじと見た。


 このままこのたこ焼きを食べていいのだろうか。これを食べると世界が変わるような気がする。いや、幼いとき食べさせられたたこ焼きで生死の境をさまよったときから、キョー助と春日の世界は変わってしまったのかもしれない。


 キョー助は春日のたこ焼きがまだ怖い。当然だ、死ぬ目にあったのだから、その恐怖を簡単に忘れることなど出来ない。


 春日はどうなのだろう。死んだことすら全部都合よく忘れてしまえるものだろうか。


「春日」


「ん?」


「俺に殺された感想はどうだ?」


「なに……言ってんのよ……」


 不躾な問いに春日は不快というよりも困惑していた。やはり都合よく忘れているのだろうか?


 だが春日の肩が震えていた。頭は忘れようとしていても、春日の体はキョー助を怖がっていた。あの冷たい暗闇は春日の心に深い傷をつけたのだ。あの死人の群れも、春日の意識下の拒絶の現れなのかもしれない。


「早く食べなさいよ」


「……食べないって言ったら?」


「作り直すわ。あんたが食べるまで何回でも」


「俺が逃げたら?」


「世界を私の料理で埋め尽くしてやる」


「なんでそこまで……。あ、もしかして料理研を使って学校の飲食を牛耳ったのってそれか?俺に料理を食わせるためだけに!?」


 驚き呆れるキョー助に、春日は気まずそうに視線をそらした。


「大したことじゃないわ」


「無理やり食べさせたらいいじゃないか。お前ならわけないだろ」


「世界にはあんたと私しかいないのに、そんなことやったら無意味じゃない」


 春日はキョー助に確信に満ちた目をまっすぐ向けた。


 自信に満ちた春日の目にキョー助のほうが不安になった。本当に世界には二人しかいないのではないか。現実世界も異世界も蜃気楼で、魔王も、赤城も、泉も、由木もみな影法師なのではないか。


 いや違う。そんなことはないとキョー助は思い出していく。


 仲間を皆殺しにされた魔王の暗く透き通った瞳を。


 現実に絶望し異世界にしがみつこうとする赤城の歪んだ顔を。


 神がどう思おうと自分は自分だと胸を張った泉の言葉を。


 悔しくてもひとり何度でも立ち上がる由木の涙を。


 彼らの声はいまもキョー助の中で聞こえている。有限な存在だからこそ彼らは叫んだ。世界には無数の叫びがあがっていることをキョー助は知っている。それらは決して蜃気楼ではない。


 キョー助はひょいと口にたこ焼きを放り込んだ。春日がこれ以上ないほど目を見張った。


 たこ焼きはお世辞にもうまいとは言えなかった。タコは大きすぎるし、火は入りすぎてるし、かと思えばダマになってて生焼けのところがあるし、ソースはかかりすぎだ。でもゴクリと飲み込んだとき、涙が滲んだ。本当にひさしぶりにまともなものを食べた気がした。


「……どう?」


 たこ焼きを食べただけだと言うのに、春日は喉をこわばらせ、まばたきを忘れ、呼吸も忘れ、鉄板の向こうからキョー助の顔を覗き込んでいる。


 キョー助はそんな春日を見つめて一言、


「うまい」


 そうしっかりと頷いた。


 春日は全身をブルっと震わせ、慌ててキョー助に背を向け、鉄板の向こう側でしゃがみこんでしまった。


「春日?」


「見るな!」


 春日はしゃがみながら背後に右手を突っ張り顔を隠している。


 キョー助は鉄板の反対側に回り込んで、しゃがんでいる春日の前に、同じようにしゃがんで、この世で最も珍しい現象を観察していた。キョー助は、触れられるほど近くにいる春日をはじめて可愛いと思った。


 だがキョー助の胸の奥底に冷たく暗い影がさした。これは好機だ。


 キョー助は70回以上殺され、生き返えさせられてきた。春日のなかのキョー助は、春日にとって都合のいい記憶のモザイクでできている。そのモザイク画をつくるために、春日は世界を改変し続け、一人だけの世界に閉じこもってきた。それを終わらせるためにキョー助はここに来た。春日があの暗闇に触れ、死を恐れている今が好機だった。

 

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