第40話 溢れる死、零れる想い(6)

 キョー助が公園に足を踏み入れると、同時に春日と目が合った。春日の目の奥からあの暗闇が覗いている。あの嫌な感じがはらわたをじわりと握ってきた。だが春日は少し千枚通しを持つ手を止めただけで、すぐに目を鉄板に落とした。


 キョー助は頬をバシバシとはたいて気合を入れ直し、前へ踏み出す。だが足が動かなかった。何かに引っ張られていた。


 みると青白くボロボロと崩れていく手が、地面から伸びてキョー助の脛を掴んでいた。そして手のすぐ横の地面が割れ、地下から腐った死人が這い出してきた。


「そういうことか」


 キョー助は表情を変えずに、もう片方の足で死人の顔を蹴り潰す。だがその足も次に這い出してきた死人の手に掴まれしまった。


 見渡すと周囲360度あらゆるところの地面から死人たちが湧き出し、みる間に囲まれてしまった。まさに死地。死人たちがうぞうぞと迫りくる。赤城が言ったとおり、春日に会うのは簡単ではないようだ。


「由木」


「応っ!!」


 銀光一閃、由木のナイフが死人たちの腕が切り落とした。由木はキョー助の前に立つと、ちらりと振り返る。キョー助は死人を見ず、由木も見ず、前方の一点だけを見ていた。


「……おおっ!!」


 由木は雄叫びを上げると死人たちに突進した。


 死人の群れに単騎躍り出、隻腕でナイフを走らせ、死人を切り、ちぎり、裂き、首を落とし、人間の形をした残骸を積み上げ、キョー助の道を拓いていく。


 キョー助は人間の形をしたモノを踏み砕きながら、その道をただ前の一点だけを見て歩いていく。


 死人が腐肉にたかる蛆のごとくうぞうぞと湧き出し、その数を十数倍にしてキョー助を殺そうと押し寄せる。


 由木は自らの体を黒い波濤を切り裂く白刃と化した。死人の波が大きくなるほど由木は猛り、キョー助が春日に近づいていくほど苛烈さを増した。


 由木はフードを脱ぎ捨てた。息があがり、汗が目に入る。腐った血と肉が体中にまとわりつく。シャツは汗でずぶ濡れになり、スパッツに包まれた足は傷だらけだ。手の感覚などとっくない。


 春日の姿はまだ見えない。キョー助は由木のことなど見ていない。


 だが由木は笑っていた。キョー助が前に進むごとに、由木は力を得て躍動し、さらに多くの死人の波を打ち砕いていった。


 突然、キョー助と由木に悪寒が走った。春日の中の暗闇がドクンと蠢いたのがわかった。地面が小刻みに揺れ、地の底から重く暗い声が響いてきた。キョー助があたりを警戒すると「ぎゃっ」とひしゃげた悲鳴がキョー助の頭上を飛んだ。


 由木が吹き飛ばされ地面を転がっていく。動かなくなった由木の体は首や足や体のいたるところが不自然に折れていた。


 キョー助に大きな影が覆いかぶさった。見上げるとそこには5メートルを超える巨躯の死人が立ちはだかっていた。


 その死人は異様だった。大きな和太鼓のような胴体に、それぞれが男の全身ほどある両足がついていた。右腕はショベルカーのアームのようで、左腕は巨躯に不釣り合いなコンクリート色をした細い女の腕が短刀を握っていた。


 頭は二つあり、片方は風化した仏像を思わせ、片方は西洋人形のような女の頭だった。


 その姿にキョー助は舌打ちした。女のような左腕は由木の、そして西洋人形のような顔は魔王の首だったからだ。


 キョー助は巨躯の死人の向こうに見える春日を睨む。春日はキョー助を見ない。


「バカは死んでも治らんか」


 キョー助はまた舌打ちし、巨躯の死人に正面むかって歩き出した。


「逃げ…………」


 キョー助の無謀に由木は死にかけの虫のように体をガクガクと震わせながら声を絞り上げたが、キョー助は無視して行ってしまう。


 巨躯の死人に縫い付けられた魔王の首は廃棄物のように朽ち、西洋人形のような美しい顔は見る影もなかった。魔王の燃えるような赤い瞳は黒く淀み、監視カメラのようにキョー助を観測している。


 キョー助はいらだちを膨れさせ、真っすぐ歩いていく。


 由木を吹き飛ばしたショベルカーのような右腕が振り上がった。


 キョー助は止まらない。


 巨躯の死人が猛然と腕を振り下ろした。だが大きすぎる右腕に死人はバランスを崩して膝をつき、右腕は狙いを外してキョー助のすぐ横に叩きつけられた。死人の右腕は大量の土石を巻き散らし、それらがキョー助を直撃した。


 吹き飛ばされたキョー助の周りに血の池が広がっていく。


 由木が声にならない叫びを上げる。


 魔王だったものの黒く淀んだ目がキョー助を観測している。


 キョー助はなんとか意識をつなぎとめていた。血の中に手を付き、膝を立て、止まらない額の血を拭い、よろよろと立ち上がった。


「にげ……」


 叫ぼうとする由木にキョー助はほんの少し振り返った。そして「伏せとけ」とだけ言って、また春日に向かって歩き始めた。


 巨躯の死人が今度は短刀を持った左腕をヒステリックに振りあげた。


 しかし左腕は振り上げられたまま動かなくなった。巨躯の死人は体をよじるも、かつて由木のものだったコンクリート色をした左腕は意思が乗り移ったごとく頑として動かなくなった。


 その間にもキョー助は春日に近づいていく。


 巨躯の死人は右腕で邪魔になった左腕を掴むと、何事もないように自ら引きちぎり、キョー助に向かって投げつけた。


 キョー助は間一髪でそれをなんとかかわす。だが巨躯の死人の攻撃は止まずすぐに背後からショベルカーのような右腕が襲いかかってきた。


 キョー助は低く身を投げ出しそれもかわしたはずだった。だが巨大な右腕が巻き上げる風で吹き飛ばされ、地面に叩きつけられてしまった。


 キョー助は強かに全身を打ってしまい息もできずに動かなくなった。


 巨躯の死人が右腕をぬっと伸ばし、キョー助の頭をがっちりと掴んで捕まえた。


 巨躯の死人は捕まえた虫を観察するように、キョー助を自らの顔の高さまで吊し上げた。キョー助は左腕をだらんと垂らし、右腕をポケットにつっこんだ格好のまま死んだように動かない。


 死人の右手に血管が浮き出てわかに膨張した。


 為す術のない由木は、目をつむり顔を地面に叩きつけた。


 同時にキョー助の頭は赤い飛沫を撒き散らしてあっけなく潰されてしまった。


 頭蓋の上3分の2を失ったキョー助の体が地面へ落ちていく。


 黒く淀んだ魔王の目がキョー助の亡骸のその単調な落下運動を追う。だが、なんの感情もなくキョー助を捉えていた魔王の目がわずかに瞬きをした。頭を潰されたキョー助の口が悪魔のように笑ったのだ。


 次の瞬間、金と銀の炎がキョー助の腹を突き破り吹き出した。


 二つの炎は螺旋を巻き、収束し、大爆発を起こした。爆発の炎は巨躯の死人を吹き飛ばし、蛆のように湧き出る無数の死人たちを一瞬で焼き尽くした。


 伏せていた由木が顔を上げると、そこには左半身を失った巨躯の死人と、春日の屋台と、首をコキコキと鳴らして歩いていくキョー助の後ろ姿しか残されていなかった。


 巨躯の死人はボロボロにされながらも再びキョー助の前に立ちはだかり、残された右腕を振り上げた。キョー助は表情を変えずにポケットから黒い球体を取り出し、ひょいと巨躯の死人の前に放り投げた。


 魔王の爆弾だ。由木は目をみはりすぐさま窪みに身を隠した。爆弾は金と銀の炎を吹き出して大爆発し、キョー助もろとも巨躯の死人を焼き尽くし、消し飛ばした。


 由木が窪みから這い出したとき、すでにキョー助はもうもうとした煙の中を歩き始めていた。


 不意にキョー助は立ち止まり、地面からなにかを拾い上げた。それは赤い色をした眼球だった。キョー助はしばらく眼球をみつめていたが、突然それを高く持ち上げ飲み込んでしまった。


 キョー助の背中をみていた由木は呆れた。まさかこんな玉砕ゾンビアタックを切り札にするとは思ってもみなかった。由木はため息をつくと、キョー助の背中を追おうとした。


 だが由木はそれ以上キョー助に近づけなかった。踏み出そうとする足が震えていた。由木とキョー助の間に目に見えない深い奈落が口を開けているように思えて動けなかった。ついさっきまでキョー助をすぐそこに感じていたのに、いまは近づくことすらできない。


 キョー助は由木からはるか離れた春日の屋台へひとり歩いていってしまった。

 

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