第38話 溢れる死、零れる想い(4)
死体安置所から出ると空は曇天の夕暮れのように暗く赤かった。
街は一変していた。あの狂ったような喧騒がなくなっていた。朝だろうが夜だろうがお構いなしに騒いでいた人々がいなくなっていて、活気で沸騰していたのが嘘のように静かだった。
白亜の大通りに出てもやっている店はなく、人が出歩いていない。大理石でできた白い壁や道のいたるところに、赤茶けた血がこびりついていた。
赤城は大通りの真ん中を北へ歩いていく。キョー助たちもついていくと人の姿は無いのに息苦しくなるほどの視線がまとわりついてきていた。
前に東西に伸びる大通りと、南北を貫く大通りとが交わる十字路が見えてきた。広場のように開けたそこには大勢の人がいて、死骸に群がる蟻のように何かに群がっていた。
誰も口を開かない。しかしどの目も見開かれ、血走り、誰も彼もいまにも爆発しそうな感情をうちに抑えていた。
「始まるぞ」
赤城が言うと、十字路の中央に十数の人が鎖に繋がれ引かれてきた。年齢、性別、身なり、顔つきなどバラバラだったが、みな一様に悲嘆に沈んでいた。
十字路で待っていた人々の感情が一気に爆発した。
怒号を上げ足を踏み鳴らし、大理石を敷き詰めた道を揺らした。
凄まじいエネルギーだ。だが飲み食いで騒いでいたときとは比べ物にならないほど、危うい感情の高まりだった。
中央にごつい男が進み出て剣を振り上げた。群衆の怒号がピタリと止む。千を超えるギラつき血走った眼球が鎖で繋がれた十数人目を取り囲んでいる。
キョー助の息苦しさが増す。
ごつい男が剣を掲げ、大声を発した。内容はよく聞こえなかったが、男が最後にこういったのははっきりと聞こえた。
「魔王を殺せ!」
叫びとともに剣が振りおろされ、鎖で繋がれていたひとりの首が切り落おとされた。
鮮血が赤暗い空に吹き上がると、それを合図に群衆が一斉に鎖で繋がれた十数人に飛びかかった。
群衆が発する狂った熱、鈍い音、獣が決して出さない歓声とその隙間から微かに聞こえる悲鳴。
死骸に群がる蟻のような黒い塊の中で何が起きているのか、鎖で繋がれた人々がどうなったか、直接見ずとも容易に知ることができた。
キョー助は人間の狂気と凶行を目にしながら、意外と冷静な自分に驚いていた。
「彼らはあれで魔王を殺せると信じている」
赤城は淡々とした口調でキョー助に教えてやった。
「なぜ黙ってみてる?」
「俺は手が出せないし、出すつもりもない」
「どういうことだ?」
「もう誰も俺の言葉に耳を貸さない。いま住人たちを動かしているのはオーナーだよ」
「春日が。やっぱり生き返ってたか」
「大灯台倒壊の次の日、いつの間にか王宮にいたよ。オーナーはその日のうちに姫の口を使って、住人たちにこの魔王狩りを命じた」
「自分で魔王を殺しておいてか?」
「魔王の首が見つからないんだ。あれがないと勇者は姫の願いを叶えたことにならない」
「あの姫さんはどうした?」
「姫はオーナーに作り変えられたよ」
「………。手を出すつもりがない理由は?」
赤城はゆっくりキョー助に振りむいた。
「このリンチの熱狂が、いまの俺の力だからだ」
「……」
「街の活性度が俺の力になっている。それは正しい。だが飲み食い以外でも人は活性度を上げることができる。現代史でやったろ?おかげで俺は前より強くなったぞ」
キョー助は、苦虫を噛んで笑うようなやつれた顔をじっとみて問う。
「そんなに力が欲しいのか?」
「ああ欲しいね」
「あんたが魔王を殺さなかったのも、異世界を終わらせて現実に帰りたくなかったからだよな」
「そうだ。ここなら力さえあればなんだって手に入る。もとの世界に帰ったらまた社畜に逆戻りだ。帰る理由がどこにある?」
いつになく早口で言う赤城の目が微かに左右に振れていた。
目は口ほどに物を言う。いまの赤城はつけ入る隙だらけだ。
キョー助は蛇の目になった。
「ここじゃ、春日は手に入らないぞ」
耳元でささやくと赤城は覿面に目をそらした。キョー助の口角が上がる。
「赤城さんも気がついてるだろ。あいつは手の届かないところにいる」
「それは……。でもオーナーとは話もできるし触れることも」
「そうだな。なんならセックスもできるだろう。でもそれはあんたじゃなくてもいいんだよ。なにせここはあいつの思いのままになる世界だからな。いいのかそんなので?」
「現実でうまくいくとは限らないだろ」
「でもここじゃ可能性は完全にゼロだ。ここでオナニーに耽るのと、現実であいつを自分のものにする可能性に賭けるのと、どっちがいい?」
「……どうするつもりだ」
「この異世界を壊す」
「不可能だ。まず異世界を終わらせるための魔王の首が見つからない。俺が死ねば終わるかもしれないが、物理でも呪いでも毒でも寿命でも、この世界に俺を殺せる手段は存在しない」
「もし神様がこの異世界を見捨てたら?」
「は?」
赤城が虚を突かれ、抜けた声を出した。すかさずキョー助は笑みを作って言う。
「あのさ、この前俺に使った薬もってないか?」
「薬?ああ記憶の……」
「それ都合つかないかな?」
キョー助が手を合わせると、赤城は腰につけたバッグから鈍い銀色の小箱を取り出しキョー助に差し出した。
「ほら」
「さすがチート系主人公。気前がいい」
キョー助は白い小箱を受け取り長め眇めし、ポケットにしっかりとしまった。
「何に使うんだ?」
「春日はどこ?」
キョー助が質問を笑顔で流して聞くと、赤城は東を向いた。
「公園の屋台にいる」
「屋台?またやってるのか」
「何をするつもりかは知らんが簡単には会えんぞ」
「なんで?」
「さあな」
「一緒に行かないか?」
「俺はこの世界にいたいんだ」
「それは嘘だ」
「ああ?」
「あんた、なんだかんだで優しいんだよ」
「……ふん」
リンチが終わった。群衆は興奮冷めやらぬままバラバラと広場を後にしてく。
彼らの使命感と達成感を満たした明るい顔は、ネットやテレビでよく見たのとあまり変わらなかった。残されたのは無残な死体だった。それは元の世界でもあまり見たことがなかった。
死体を弔うため赤城が十字路の中央へと歩いていく。その後ろ姿は戦場の追い剥ぎのようにも、英雄のようにも見えた。
「あんたらなら、春日も振り返るさ」
赤城の背中に、キョー助は独り言のように言うと踵を返して春日の屋台のある公園にむかった。
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