第37話 溢れる死、零れる想い(3)

「確認だが、春日は俺が70回以上死んだことを忘れてるんだよな?」


「ええ。もし春日があなたの死を覚えていれば、現実世界に矛盾が生じて改変が破綻する」


「だったら簡単だ」


 不意にキョー助は由木の胸に手を押し当てた。由木は瞬きをしてキョー助の手を見ていたが、次の瞬間には顔を紅潮させキョー助から飛び退いた。


「殺すわよ!」


「どうぞ」


 キョー助は手に残っているフニフニと柔らかい、冷たい石を掴んだような不思議な感触を面白がりながら起き上がる。由木はキョー助の軽口に違和感を覚えた。


「……怖くないの?」


「死ぬのは怖いし痛い」


 キョー助は首をポンポンと叩いて言う。


 由木はキョー助がさっきまでと違っていると感じた。キョー助の目が何か違うモノを見ている。


「何を……するの?」


 由木はそっと覗き込むように聞いた。


 何をすればいいか。異世界に来てからキョー助はずっとそれを考えていた。


 はじめは生き返ろうとしていたが、それはただの惰性だった。惰性ではなく自分の意志でこの世界に何を思い描くか。わかってしまえば簡単なことだった。


 キョー助のすべきことは春日が世界を書き換えるのをやめさせること。居心地のいい独房から引きずり出すことだ。


 なぜならキョー助はとっくに死んでいるのだから。


 だからこの異世界を壊す。それが本当の死を意味するとしても。


 キョー助は口元にいたずらをするような笑みが浮かべた。


「春日に人を殺すことの意味を教えてやる」


 キョー助はホコリを払いながら、あのくたびれた猫の姿を探した。


「泉は?」


「死んだわ」


「……はい?」


「あそこよ」


 由木が指差す先の黒ずんだ壁の前に、白いような黒いような、トラのような三毛のような、なんとも表現しにくい丸い塊があった。それは生気がなく、もう動くようには見えなかった。


 キョー助は「ああ……」と呟いた。あのくたびれた猫の姿にどこか懐かしさを感じた理由がわかった。幼い頃にこの猫の死骸を見たことがあったのだ。


 その猫がなぜ死んだのか知りたいとは思わない。一緒にいた春日がどんな顔をしていたのかも、思い出そうとは思わなかった。


「いつ?」


「あなたが自爆したあとすぐに」


「現実の泉は無事なのか?」


「わからない。休眠状態に入っただけなのか、そうでないのか」 


 キョー助がくたびれた猫の亡骸に近寄り撫でようとして腰を下ろすと、鼻が強烈な臭気に襲われた。生臭く、酸っぱく、重い臭いに思わず口鼻を手で覆う。


 猫の死体が腐乱しているのかと思った。だが違った。臭気は壁から放たれている。


 キョー助がどす黒い壁に目を凝らすと、壁から手が突き出していた。数は一や十ではない。足も突き出している。顔が埋まっている。いくつもの淀んだ目がこちらを見ている。そもそもそれは壁ではなかった。壁だと思っていたそれは、積み上げられたおびただしい数の人の死体の山だった。


「なんだ、生き返ったのか」


 立ち尽くしていたキョー助の背後から、男の声と何かを引きずる音がした。


「赤城……さん?」


 振り返ったキョー助は赤城と、赤城が引きずってきたものを見て言葉を失った。赤城は百近い死体を引きずっていた。


 赤城は死体の壁の手前で立ち止まると、引きずってきた死体を無造作に放り投げ、積み上げていく。くたびれた猫はあっという間に死体に埋まり見えなくなった。すべての死体を積み終えると、赤城は目をつむりしばしその場で手を合わせていた。


「赤城さん、これは……」


「モルグに死体を運んできただけだ」


「モルグ?死体保管所?ここが?」


 キョー助が死体の壁を見たまま聞くと、赤城は冷たくキョー助を見た。


「お前たちのせいでこうなった」


「……」


 キョー助は改めて死体の壁を見た。死体には餓死や衰弱死したものは見当たらなかった。どれも大きな刃物で切られたものや、強かに殴打され破壊されたものなどが多い。


「何があった?」


「……見ればわかるさ」


 赤城はキョー助と死体の壁に背を向けて歩いていく。キョー助もその後を追って、暗い石造りの空間から出た

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