第36話 溢れる死、零れる想い(2)
「なんでお前がそんな顔するんだよ」
体の下からいきなり声がした。驚きのあまり由木の息が止まる。
恐る恐る下を見ると、殺したはずのキョー助が呆れ顔で由木を見上げていた。まだ手にキョー助の首を折った感触が残っているのに、キョー助は殺される前と変わらない顔で声で由木に語りかけていた。
由木は全身に怖気が走り、咄嗟にキョー助の首に手をかけた。右手がキョー助の首に食い入る。キョー助の顔がみるみる青黒くなっていく。それでもキョー助は笑っていた。
由木は泣いた。親とはぐれた迷子のように目を真っ赤にし、泣き声を上げた。
キョー助は首を折られそうになりながら、由木のクシャクシャな泣き顔を見て、由木も一人ぼっちなのだと気がついた。春日の影響を受けない由木は、改変され続ける世界からただ一人はじき出されきた。
殺される男は笑って、泣いて殺そうとしている女に手を伸ばした。
由木のコンクリート色をした顔が青ざめる。怖い。由木はキョー助を縊り殺す右手に、必死に狂ったように力を込めた。それでもキョー助の腕は近づいてくる。由木が固く目をつむった。
キョー助から断末魔の喘ぎが漏れたとき、キョー助の人差し指が由木の額をパチンと叩いた。
デコピンをされて由木が目を白黒させると、喉を握り潰されているキョー助が墓の底でうごめくような不気味な声で笑った。首をありえない方向に曲げられ、青黒くなった顔で、それでも目は愉快そうに笑っていた。
由木の全身から力が抜けた。右手が緩み、キョー助の首からはらりと離れた。気道を開放されたキョー助はゲホゲホと激しくむせた。大きく揺れるキョー助の腹の上で、由木は力なくうつむいていた。
「なぜ手を離した?」
キョー助が喉をさすりながら聞くと、由木はか細く答えた。
「……どうせまた笑って生き返るんでしょ」
キョー助は腹に由木の冷たい体温を感じながら、石造りの天井をながめている。
「たぶん……、そうなんだろうな。なんか慣れてきた。それでお前はなんでそんな顔をしている?」
由木は答えない。
「俺を殺したがる理由を教えてくれないか?」
由木はしばらく口を開かなかったが、やがてコンクリートのひびから水が漏れ出すように言葉が漏れ出した。
「あなたを……春日涼水から自由にしたい」
キョー助は目を大きく開いて由木を見つめた。
「まるで俺のために殺そうとしているって言い草だな」
「あなたのために、私はあなたを殺したいの」
「殺されることが、どうして春日から自由になることになる?」
「春日が支配する世界であなただけに死の可能性があるから」
「おいおい、俺はもう70回以上春日の手で生き返ったんだろ?」
「あなたの死は春日涼水でもどうにもできない。現実ではどうにもできないから異世界を使って書き換えてきた」
「なぜ異世界なんだ?」
「可能性を一つに収束させるため」
「?」
「現実の世界ではあらゆる可能性が開かれている。未来は誰にもわからない。しかし春日が作ったこの異世界はロールプレイングゲームのような世界。物語が進めば複雑だった世界も必ず一つの状態に収束する」
キョー助はかつて赤城が冷え冷えとした顔で吐いた言葉を思い出した。
「世界が平和になるだけ、か」
由木がうなずく。
「赤城が魔王を倒せばこの異世界は平和という一つの状態に収束し、異世界にいるあなたの生も確定する。春日はそれを利用して、あなたを生きているように現実世界の他のすべてを改変しごまかしてきた」
「……俺ひとり生き返らせるのに、なんて大層な」
「あなたは特別だから」
「特別?泉は俺の普通さに太鼓判を押してたけどな」
「あなたは特別。なぜなら春日のいる世界であなただけが普通だから」
「……」
「でも春日はあらゆる存在を改変し、あなたの死を覆し続ける。決して……、決してあなたを手放さいっ」
由木は全身を震わせて叫んだ。無力な自分を呪うかのような声で。
キョー助は馬乗りにされながら、そんな由木を黙ってみていた。いま腹にまたがっている女は、無機質でも機械のようでもなく、普通の少女だった。
「なあ、俺を春日から自由にしてお前のなんの得がある?お前や泉が所属しているという組織のお偉方が喜ぶのか?」
「そんなんじゃないっ」
由木は強く頭を振りキョー助を睨むが、キョー助と目が合うと、眼差しから逃れるようにうつむき、黙ってしまう。まるで子供を相手にしているようだ。
「お前の願い、応えてやってもいいぞ」
「死んで……くれるの?」
由木の目に小さな希望を灯ったのをみてキョー助は苦笑いした。
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