第34話 大灯台(10)

 嫌な感じにたまらずキョー助はあたりを見回した。


 赤城は姫を探している。


 由木の姿は見えない。いまは身を隠しているはずだ。


 あのときみたいに白い車なんて走ってくるわけがない。


 春日は……。春日はキョー助を見ていた。


 春日の中のなにかがキョー助を見ていた。不気味な違和感にキョー助は春日の目の奥をうかがい、後悔した。春日の目の奥に、あの冷たくて静かな暗闇があった。あの暗闇が春日の中からキョー助を覗き込んでいたのだ。


 キョー助の全身が震える。春日の中の暗闇はキョー助の背後も見ていた。振り返ると魔王の後ろ姿があった。


 まさか。嫌な感じが喉までこみ上げてきた。


 ガギン。


 空で何かが割れる巨大な音がした。音はアレキサンドリアの街中に響き渡った。


 キョー助も赤城も反射的に空を見上げた。月も星も灯台の明かりもなく、ただただ暗い空。


 次の瞬間、キョー助の視界いっぱいに巨大な白亜の壁が落ちてきた。


 白亜の壁は轟音を上げて海に落ち、海を割り、堤防とその上にあったもの全部を叩き潰した。


 キョー助は眼の前を白い壁に塞がれ、頭の中が真っ白になって立ち尽くした。


 後ろで赤城が叫んでいるが、耳鳴りで何も聞こえない。


 ふっと、キョー助の唇に残っていた柔らかい感触が消えた。


 魔王は?真っ白だったキョー助の意識が一気に色を取り戻していく。


 壁の全体が見えてきた。高さは20メートル以上、幅は100メートル以上ある。キョー助は目を疑った。白亜の壁の端に大灯台の先端がついていたのだ。


 まさかとキョー助は大灯台を見上げ、そして唖然とした。


 なんと大灯台の上部1/3がなくなっていた。キョー助の眼の前に横立っている白亜の壁は、大灯台の上部だったのだ。


 赤城が何をしようが壊せないと言っていたのに、まだ魔王は機雷を爆発させていないのに、それなのに、大灯台が折れてしまっていたのだ。


「魔王ーー!!!」


 轟々と逆巻く海に向かって、キョー助は喉から血が出るほど叫んだ。返事はない。キョー助が落ちた大灯台に駆け寄るも、巨大な質量の前に何もできなかった。


「どけ!」


 赤城がキョー助を突き飛ばした。赤城は左腕に抱えた姫に回復魔法をかけながら、落ちた大灯台に向かい右の拳を振りかぶる。右の拳に光が集まり、星のようにまばゆく輝く。


「おおっ!!」


 赤城が拳を振り下ろすと、ドンっと白い壁に大穴が空いた。次の瞬間粉々に砕けて海に崩れ落ちていった。


 もうもうとしたホコリの中、キョー助の目が大きく見開かれた。


 破壊された堤防の上に、赤黒く染まったボロボロのピンクの布切れがあった。ピンクの布切れのいたるところから、布が包んでいた中身が、臓物が飛び出していた。キョー助はボロボロの布切れを瞬きもせず見つめ、へたりこんでしまった。


 いきなりキョー助の膝の上に、白いものがそっと降ろされた。アレキサンドリアの姫だった。姫はスースーと穏やかに眠っている。キョー助が呆然と見上げると、赤城が怒鳴った。


「今度余計なことをしたら本当に殺すぞ」


「……なにを」


「蘇生魔法を使う」


「魔王を生き返らせるのか?」


「いま死なれたら俺も困るからな」


「できるのか?」


「この世界で俺に不可能はない」


 赤城はそういってジャンプした。そして魔王の遺体のもとに膝をつき両手をかざすと、赤城のまわりに銀色の光がゆっくりと集まっていった。


 キョー助は全身から力が抜けた。涙が流れた。よかった。本当によかった。


 赤城を包んでいた銀色の光がさっと消えた。蘇生が終わったのかとキョー助は様子をうかがう。


 赤城はもう一度両手をかざした。銀色の光が集まっていき、さっと消えた。


 赤城は三度両手をかざした。銀色の光が集まっていくが様子がおかしい。蘇生魔法の光がさっと消えた。赤城は膝をついたまま動かない。


「どうしたんだ!」


 キョー助が呼びかけた。だが赤城は振り返らない。


「おい!赤城さん!!」


 もういちどキョー助が呼ぶと、赤城が首を振った。


「蘇生魔法が効かない」


「なんだって?」


「だから魔法が効かない……いや作動しない!」


 キョー助は姫を抱えて立ち上がり、魔王のもとへ急いだ。間近でみた魔王の遺体は、血と肉と汚物の塊だった。醜怪な現実を目の当たりにしキョー助の声が荒ぶる。


「あんたに不可能は無いんじゃなかったのか!?」


「ああそうだ!俺はどんな状態異常でも確実に回復できる」


「できてないじゃないか!」


「俺にもわからないんだよ!!」


 赤城は怒鳴り返し、四度両手をかざし銀の光を集めるが、魔王はもとに戻らなかった。


「まるでバグだ」


 力なく赤城がつぶやくと、キョー助は苛立ちを隠さず笑った。


「バグ?そんなゲームじゃあるまいし……」


 いいかけてキョー助ははたと思い出した。


 ここは現実世界ではなく春日が作った異世界だ。泉はこの世界のことを、主人公の赤城が魔王を倒すゲームのようなものだと言っていた。現実世界にバグなんてないが、人が作った世界ならバグは生じうる。


 キョー助は振り返った。離れた場所で春日はひとり立っていた。


 春日の奥のあの暗闇がキョー助を見つめていた。


 そして春日涼水も、ガラスの影のような透明で冷たい笑み浮かべてキョー助を見つめていた。それは由木に白い車が突っ込んで行くとき、キョー助の意識の端にあったのと同じ笑顔だった。


 キョー助の頭の中で様々な連想が猛スピードで繋がっていき、ある確信へと至る。


 その瞬間、ぜんぶぷつんとキレた。


 キョー助は抱えていた姫を赤城に押し付け、ピンクのボロ布の下の血と肉と汚物をかき分けはじめた。


「なにを?」


 キョー助は眉をひそめる赤城を無視してどろどろになった魔王のポーチを掴み取ると、中からメカニカルなスイッチを取り出し、握りしめ、立ち上がった。


 胃に異物感と熱を感じると、キョー助は春日に向かっていく。


 春日の正面に立つと、春日は冷たく微笑んだ。キョー助は魔王の血で染まった手で春日の首を無造作に掴んだ。


「お前が魔王を殺したのか」


 春日は透明で冷たい笑みを浮かべたままキョー助を見つめている。


「お前は由木を殺そうとしたのか」


 キョー助は春日の首を絞め上げた。後ろで赤城が叫んだ。


「貴様っ、オーナーに何を……ぐあ!?」


 赤城の怒声がなにかに遮られた。見ると姫が赤城を羽交い締めにして抑え込んでいた。


 赤城は必死に振りほどこうとするが、姫の腕は赤城の顔面にますます食い込んでいく。大灯台を拳一つで砕く世界最強の男が、姫の細腕に締め上げられてる様にキョー助は愕然とする。


「おとなしくしていなさい」


 春日の声だった。春日は透明な冷たい笑みを浮かべてキョー助をみている。その声も目の輝きも正気のものだった。


「お前、姫を……?!」


 春日の首を掴んでいるキョー助の手が震えだす。春日はそんなキョー助の右手にそっと触れた。


「あんたに触れられるのを邪魔されたくないのよ」


 春日は嬉しそうに笑っている。キョー助の手の震えが全身に広がっていく。


「なぜ殺す?なぜ殺した?」


「だれも殺してないわよ。だってはじめから私とあんたしかいないんだから」


 そのときの春日の可愛らしい笑顔をみて、キョー助は理解した。


 春日にとって世界は思い通りになる点と線の塊に過ぎない。そのなかで唯一ままならないのがキョー助だ。


 キョー助は春日の悪夢だ。


 春日は点と線でできた世界の中にただ一人で、キョー助という悪夢と戯れているだけなのだと。


 キョー助の震えが止まった。


 視界の隅から誰かが猛スピードで飛んでくる。だがそんなことに目もくれず、キョー助は起爆スイッチを左手に握りしめ、春日を抱き寄せた。


「!」


 春日の息が一瞬止まる。


 由木が、赤城が何かを叫んでいる。


 キョー助は春日を抱いて波と亡者が渦巻く黒い海に飛び込んだ。そして腕の中で笑っている春日に怒鳴りつけた。


「お前も一回死んでこい!」


 キョー助が起爆スイッチを押すと、魔王に飲まされた爆弾が起爆。黄金と蒼銀の炎が渦を巻き、爆発し、北の港の水を逆立て、キョー助と春日の体をバラバラに吹き飛ばした。

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