第32話 大灯台(8)

 魔王を焼く炎は海中ですら勢いを増し、まわりの海水を爆発的に気化させていく。キョー助の体はもう激痛すら感じない。それでもキョー助は魔王を離さない。


 夜の海の中の全くの暗闇の中で、キョー助の足がなにかに掴まれた。振り払おうとするも今度は腰を掴まれた。右手を掴まれ、顔を掴まれた。死人たちがキョー助を暗闇の底に引きずり込もうと群がってきた。


 キョー助は魔王をもっと強く抱きよせた。炎がキョー助の内蔵を次々に凝固したタンパク質にしていく。炎は群がってくる死人も片っ端から灰にしていく。


 キョー助は魔王の炎に焼かれ、守られ、やっと海上にたどりつくと目一杯口を開けた。ほんの少しだけ肺に入ってきた空気は人の肌が焼ける匂いがした。


「しっかりしろ!!」


 キョー助はまだ動く口と手を使い呼びかける。


 焼きただれた魔王は別人どころか生きているようすら見えなかった。金の縦ロールの髪はすべてなくなり、白い美少女の顔はほぼ炭化している。黒いマネキンのような魔王の口は壊れたように「消え……たくない、消えたく……な……、消……」 と同じ動きを繰り返していた。


 死人たちが作りだしたあの黒は、キョー助が怯えるあの暗闇によく似ていた。


 そしてあれは魔王を全否定していた。


 仲間をすべて殺され、世界中から無視され、呪われ、生きる場所を見失い、いまある形すら奪われようとしている。


 そんなこと耐えられるわけがない。すべてが奪われる前に最後に残されたものはだけは、自分の死だけは守らなければならない。どう生きてどう死ぬか。それすら奪われたら、人は人ではなくなってしまう。この炎は魔王が自分でいるための最後の抵抗だった。


 だがこのままではダメだ。死は心に傷をつけ壊してしまうと魔王は言っていた。世界に呪われ、ひとりぼっちだった魔王はもうボロボロだ。このまま死んでしまえば、魔王の心は完全に壊れてしまう。たとえ蘇生しても、もう魔王は笑えない。そんなのはダメだ。


「行くな!!」


 キョー助はほとんど動かない体のありったけで叫んだ。すぐそばにあの死の暗闇がやってきている。だがキョー助は振り返らず、目の前の魔王に叫んだ。


「俺はお前の手下だろ!だったらひとりで行くんじゃない!!」


 同じ動きを繰り返していた魔王の口が静かに止まってしまった。


 届かないっ。


 キョー助も声が出せない。体が海に沈もうとしている。


 だが魔王を助けたい。伝えないといけない。


 キョー助が本当に最後の力で、魔王に顔を近寄せた。


 髪の毛や眉がパチパチと火花をたて灰になった。眼球が蒸発した。頭蓋骨が露出し灰になっていく。そしてキョー助は魔王に唇を重ねた。


 ブツンとキョー助の意識が暗転した。


 あの冷たく静かな暗闇がキョー助を飲み込んでいく。何もかもが冷たくなる。怖くて泣き出しそうになる。瞼が鉛のように重い。


 ふと凍えた体に何か触れた気がした。こじ開けるように瞼を上げると、胸に小さい光が灯っていた。そこだけとても暖かい。


 見上げると暗闇のなかに一筋の光が差していた。キョー助は目を大きく見開き、すがるように光へ手を伸ばす。


 光は遠く、手は届かない。だが不思議なことに手を光に伸ばすほど体に力が戻ってきた。光がどんどん近くなり、そしてとうとう光に手が届いた。


 そのとき、キョー助の目いっぱいに美しい少女の顔が飛び込んできた。少女は西洋人形のような白い顔に金髪縦ロールの美少女だった。


 少女は目を閉じていた。目尻が少し赤くなっている。キョー助がおもわず歓声をあげようとしたが、口は柔らかいもので優しく塞がれていた。


 少女が顔を離すとキョー助の口も自由になる。少女が瞼を開けると、濡れた紅の瞳がキョー助を見つめていた。


「キスいうんは、こうするやぁ」


 魔王はごまかすように美しく傲岸に笑った。 


「っしゃあーーー!!!」


 キョー助は魔王を抱きしめた。華奢な体の柔らかな感触が心地よかった。

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