第31話 大灯台(7)

 アレキサンドリアの姫は唖然としていた。ゴツい黒いブーツを履いた長身の男が、魔王と姫の間に立ちはだかったからだ。


男は勇者赤城。魔王を殺し、世界に平和をもたらし、姫と一緒になると誓った男だ。


 それなのに魔王は赤城の背中の向こうでまだ生きている。姫は眼の前で起きたことを飲み込むことができない。なぜ赤城は自分の横ではなく魔王の横に立っているのか?


 魔王はあと少しで死人たちに押しつぶされていたはずだ。だが寸でのところで赤城が死人たちを吹き飛ばし魔王を守った。


 魔王を殺すと誓った勇者がなぜ?姫の思考は二人を挟む海よりも濁り、乱れ、形にならない。


「どういうつもりなの?」


 詰問する姫。目をそらす赤城。


「魔王の首を捧げてくれて、世界を一つにして、一緒になると誓ったじゃない!」


 姫が叫ぶと、赤城が苦しそうに口を開いた。


「魔王の首を捧げたら俺はどうなるんだ?」


「え……」


「どのRGPでも同じだ。平和になった世界で英雄がどうなったか誰も知らない。世界を乱す魔王が消えれば、それを殺す英雄も消えるんじゃないのか?俺は消えたくない。まだこの世界で遊んでいたいんだ」


「じゃあ、私はどうなるの?」


「魔王はもう無力だ。街はこれ以上無いほど平和だ。あなたの願いは叶えられているのも同然だろ」


「魔王は殺さないといけないのよ!」


「どうしてだ?」


「魔王は人々の心を乱す。生きている限りみんな私の思い通りにならないからよ!」


「あなたが思い通りにしようとする中には俺もいるのか?」


「もちろんよ。平和になった世界であなたと幸せに暮らすのよ」


「たった一人、何百万の人形に囲まれてか?」


「えっ……」


「魔王を殺した時この世界はどうなるのか。俺たちはどうなるのか。それがわかるまでは魔王の首をやる訳にはいかない」


 赤城は魔王に「おい!」と怒鳴る。が、魔王は慄えることしかできない。赤城は舌打ちすると、群がってくる死人に電撃を放ち一掃、魔王の首根っこを掴かみ上空へ飛んだ。


「俺が魔王を管理する。死なないように殺されないようにな」


「魔王の首を捧げなさい。さもないとこの女を殺すわよ!」


 姫が奴隷がかぶっていた布をはぐと、虚ろな目をした春日涼水の顔が現れた。


 赤城は仕方なさそうにため息をついた。次の瞬間、赤城は春日の背後に回り込んでいた。春日を捕らえていた死人たちはすでに消し炭になっていた。


「え?!」


 姫が振り返ったときには、赤城は春日と魔王を抱えて空へと飛び上がっていた。


「だめよ!」


 姫が叫ぶと、あたり一面が死人で溢れかえった。死人たちはお互いを踏みつぶし、折り重なりながら巨大な山を作り赤城に腐ちた腕を伸ばす。だが赤城はそれを軽々とかわし逃げていく。


 姫は歯ぎしりした。一つになりたいと願った男が他の女と逃げていくのを見上げ、姫の心は呪詛で黒く焼かれていく。


「その人を返して、返して、返して、返して、返して、返して、返して、返して………」


 心を焼く呪詛は声となり、魔を織り上げ姫の心を取り囲んでいく。姫が呪詛に完全に飲みこまれると姫の頭の中に声が聞こえた。


―返してくれるだけでいいの?―


 姫は戸惑った。声は年老いた男のようにも、幼い少女のようにも聞こえた。


―返してくれるだけでいいの?―


 声が繰り返す。姫は誰とも知らないその声に答えた。


「……足りない。全然足りない」


―どうしたい?ー


「………」


―どうしたい?―


「……殺したい。そして私が一番愛しているのだとわからせたい」


―願いなさい。叶えてあげる―


「死んで……」


―もっと―


「死んでちょうだいっ」


―もっとよ―


「死んでしまえ!」


 姫の呪いが、黒い海を覆う死人の呪いとなり伝播していく。「死んで」「死ね」「一人だけずるい」「死んでしまえ」「死ねよ」「こっちにこいよ」、100万の死者が一斉に生者を呪い、妬み、まわりにあるものを手当たり次第地獄へと引きずり込もうとする。やがてバラバラだった呪詛は共鳴し、増幅し、オンオンと北の港全体を震わせた。


 赤城は眼下の異様な様に息を呑んだ。大灯台の明かりは消え、死人で覆われた海は月明かりを呑み込んだ。北の港が真っ黒になった。その黒は現実感が危うくなるような不自然なまでの完全な黒だった。


 世界最強の勇者である赤城ならば、いま視界にあるものすべてを焼き払うことができる。だが赤城は早く離脱したかった。地獄への入り口が口を開いたと思った。あれはヤバイと、脳の奥が警鐘を鳴らしている。これ以上呪詛を聞けば気が狂いかねない。あの完全な黒を見続ければ自ら飛び込み消えてしまうかもしれない。


「やめてぇ!!」


 突如、抱えていた魔王が絶叫した。


「いやや!いやや!いやや!いやや!!」


 魔王は両手で耳をふさぎ半狂乱で頭を振る。


「おい、しっかりしろ!!」


 赤城が魔王の腹に膝蹴りを入れ黙らせようとする。だが魔王は更に泣き叫んだ。かつて赤城によって心に刻み込まれた最悪の恐怖が蘇ってしまった。


「うちは消えとうない、消えとうない、うちはうちやっ!!」


 取り乱した魔王はピンクのポーチからドクロが描かれたスイッチを取り出し、躊躇いなくボタンを押す。すると激しいドス黒い炎が魔王を一気に包み、全身を焼き始めた。


「なにをっ!?」


 慌てた赤城はすばやく呪文を唱え、魔王を焼く炎を解除しようとしたが全く効果がない。


 赤城への攻撃ではなかった。


 炎は赤城ではなく魔王自身を焼いている。魔王は自殺しようとしていた。


 まずい。赤城は選択を迫られた。どす黒い炎は尋常ではなく、一緒に抱えている春日が危ない。だからといって魔王を放せば、魔王は死に、この異世界が終わってしまうかもしれない。迷う間にも魔王は焼かれていく。赤城は空中で窮まってしまった。


「おおおおおおおおー!!!!」


 突然死人たちの呪詛の共鳴に、男の絶叫が割って入ってきた。赤城が天に目をみはると、なんとキョー助が頭上から突っ込んでくるではないか!


 驚いた赤城が反応できない間にキョー助はどす黒い炎ごと魔王を抱きしめた。


 炎は一瞬でキョー助に大やけどを負わせるが、キョー助は落下の勢いそのままに赤城から魔王を奪い、死人で埋め尽くされた黒い海の中へと飛び込んだ。

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