第29話 大灯台(5)

魔王は火柱で溶かされた堤防の突端で姫と相対し、こみ上げる喜悦をそのままに渦巻く海より大きな声で呼びかけた。


「うれしいわぁ。あんたがそんな目で見てくれるなんて!」


 姫はベールを取り、魔王に問いかけた。


「たった一人になったのに、なぜあなたはまだ生きているの?」


「あぁん?」


「あなたが死ねば世界は私の物になり、あの人は私の物になるのに」


「そんなん知らへんよ」


「あなたの仲間はみんな私のために死んでくれたわ」


「はぁ?」


「仲間が私のために死んだのだから、あなたも私のために死ぬべきだわ」


「……」


「あなたは王でありながら自分の仲間の想いを踏みにじっているのよ」


「!!」


 魔王は顔の骨が軋むほど凄烈に笑った。


 仲間の死を自分のためとぬかした姫の思い上がりが逆鱗を撫でた。


 魔王はピンクのポーチから爆弾を3つとりだし、姫に飛びかかった。だが魔王の足が動かなかった。


 足が黒い海から伸びた腐ちた手に掴まれていた。海から次々と腐ちた手が、顔が、かつて人間だったものがゾワゾワと這い上がり、魔王にまとわりつこうとしてる。


 赤城の死人か!?


 魔王は爆弾で死人たちを吹き飛ばし、後方に飛ぶ。新たに這い上がってきた死人たちが間髪をいれず魔王に突っ込んでくると、魔王は笑みを浮かべて右手を払った。すると金色の炎が巻き上がり、死人たちは一瞬で灰になった。


 だが死人の数が多すぎた。炎を逃れた新手が、灰の中から魔王に爪を振り下ろした。


「痛っ」


 虚をつかれ魔王の白い頬が赤く裂けた。魔王の顔から笑みが消えた。赤城以外に傷をつけられたのは初めてだった。


「うざいわ!!」


 魔王が怒声と共に両手を払うと一面に無数の爆発が起き、すべての死人を吹き飛ばした。


「集団で乙女を襲うなんて、女神やいわれる人のやることかぁ?」


 魔王が灰になった死人を踏み潰して言うと、姫は申し訳なさそうな顔になった。


「一人ぼっちで寂しいだろうとおもって気を使ってあげたのに」


「うちは面食いなんでなぁ」


「あらひどい。この者たちが誰かわからないの?」


「知るわけないやん」


「この者たちはかつてあの人よって7日で滅ぼされ、蘇生されず棄てられ腐ちた亡者たちなのに」


「!?」


「あなたを殺すのは、かつてあなたの民であった105万1598人の亡者たちよ」


 姫の声が聖堂で歌い上げられる鎮魂曲のように空気を震わせると、うねりのような呻きが渦巻く黒い海のいたるところからせり上がり、腐ちた死体たちが堤防の上を埋め尽くした。


「ええかげんにせぇ!」


 魔王は怒髪を逆立て、海を割るかのように大喝。ピンクのポーチから十数の爆弾を掴む。


 赤城に虐殺された仲間たちを呼び寄せたなど、できの悪い駄法螺を叩くその口に突っ込んでやろうとした。


 だが激した魔王が凍ったように止まった。魔王は耳を疑った。誰かが魔王の名を呼んだのだ。魔王の名は赤城に殺された仲間たち以外だれも知らないはずだ。 西洋人形ような顔が青ざめる。


 うねり寄せてくる亡者の呻きのところどころに、懐かしい言葉が聞こえる。魔王たちが赤城に焼き払われて以来、使われなくなった言葉。もう魔王しか話すものがいないはずの言葉。それが失われたはずの魔王の名を確かに呼んでいた。黒い海から亡者たちが魔王の名を呻きながら這い上がってくる。


 いや魔王の名だけではない。怨嗟、怨念、恨み、呪い。なぜ生き返らせてくれないのか、なぜ一緒に黄泉に来てくれないのかと、亡者たちは口々に訴える。


 たまらず魔王は爆弾を投げ捨て、両手で耳をふさいだ。それでも低いうめき声は白く小さな手をすり抜け、脳を浸すように響いてくる。


「やめて……」


 魔王は後ずさり声から逃れようとする。だが自分の名を呼ぶ声の一つ一つが、魔王の悲しみを、罪を、孤独を呼び起こす。また呼ばれたいと願っていた自分の名が、どうしようもなく魔王を責め、地獄へ引き込んでいく。


 魔王はとうとう小さくうずくまった。亡者たちの腐ちた手が、腐臭のする息がかかるが、もう魔王は夜に怯える子供のように動けなくなってしまっていた。




 渦巻く海を挟んで魔王を見ていた姫はすっと目を閉じた。術の集中を高め、無残な姿になった魔王を思い描く。


このまま魔王を押しつぶす。これであの人は私のものになる。それを思うと胸がときめき、一瞬集中が途切れた。


姫に生じたその空隙に小さな疑問が浮かんだ。なぜ私が魔王を殺せるのだろうか?この力は一体?魔王を殺せるのはあの人だけのはずなのに。


 ……あの人?


 あの人とは誰だったか。思い出そうとするが、その姿はぼやけている。


 ……あの人。


 私の願いを叶えてくれると言ってくれた人。魔王の首を捧げてくれる人。ずっと一緒にいてくれる人。だれにも渡したくない、私だけの遊び相手。幼馴染。何度も殺しても生き返らせてきたあいつ。世界には私とあいつだけしかいない。他の人間なんてどうでもいい。


 あの人、あいつ、あの人、あいつ……。


 姫はハッと目を開いた。眼の前には渦巻く黒い海。後ろを振り返ると、白い大灯台と鎖に繋がれた奴隷が立っている。黒い海から亡者たちが這い上がり、魔王は無力にうずくまっている。


 魔王。そう、魔王を殺す。いまはそれだけでいい。集中を欠いてはいけない。


 あの人を手に入れるために。


 あいつを生き返らせるために。


 姫は再び目を閉じる。そして目を開き人差し指を静かに上に向けると、死人達の群れが津波のように湧き上がり魔王めがけて雪崩を打った。

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