第28話 大灯台(4)
魔王は月明かりにピンクのフリルを踊らせ堤防の上を歩いていた。アレキサンドリアの西の端から北の港を取り囲むように伸びる堤防の突端に大灯台がある。
静かだった。街の喧騒は届かず、港で死人たちが働く音も聞こえない。海は穏やかで小さな波がザザンザザンと鳴っている。月が輝く青い夜空と黒い海の間で、魔王はひとり大灯台に向かって歩いていた。
魔王は、ふと、自嘲するように笑った。黒い海の上に細く伸びる白い堤防を歩く自分が、まるで黄泉への細道を歩いているように思えたからだ。
ザザンザザンという波の音が頭に染み込んでくる。ぼうっとしていると、そのまま吸い込まれそうだ。
どこに?これは地獄からの招き声か。黒い海の下には赤城に殺された105万1598人の仲間がいるのかもしれない。この堤防が黄泉への路というならば、その先にそびえるあの大灯台はなんだろう。墓標だろうか。
魔王はちらりと王宮のある東に目をやった。もうキョー助が王宮で騒ぎを起こしているはずだが、爆音も怒声も聞こえない。うまく失敗したようだ。魔王はほっとして笑った。
キョー助に指示した場所が、赤城の警戒網のなかであることは先刻承知だ。
キョー助はあっさり捕まる。だが赤城はキョー助を殺さないだろう。もし赤城がその気ならキョー助はとっくに灰にされている。ほんの僅か赤城の注意をそらすことができれば、魔王にはそれで十分だった。キョー助を道連れにしたくなかった。
目の前に月の光を正面から受け白く輝く大灯台が迫ってきた。魔王は大灯台を見上げ、唇を固く結ぶ。あれは墓標などではない。地獄の閂だ。壊せば地獄の門が開き、105万1598人の仲間が帰ってくる。
大灯台の周りには十数の警備兵がいた。だが魔王は表情を変えず、歩みを止めず、ピンクのポーチから黒い爆弾を2つとりだし、無造作に投げた。爆弾は魔王の手を離れると弾丸のように一直線に飛び、大灯台の白い壁にコツンとぶつかり、ポンポンと乾いた音を立てて破裂した。警備兵たちが出てきてなにかと見上げている。
次の瞬間、爆弾から黄金と蒼銀の炎が溢れ出し、螺旋を巻き、白く輝く巨大な火柱となって一気に大灯台を飲み込んだ。
タワーマンションほどの大きさの大灯台を飲み込む火柱。その光は夜中のアレキサンドリアに昼をもたらした。その熱量はあたりの海水を消し飛ばし、堤防はおろか海底の岩をも溶かしていった。
魔王は火柱が巻き上げる灼熱の風に金髪をなびかせ、じっと火柱を見つめていたが、ぽつり「やっぱあかんかぁ」とぼやいた。魔王が起こした火柱はその圧倒的な熱量で、大灯台の周囲の地形を変形させつづけている。しかし大灯台の基礎と本体は全くの無傷だった。
「そりゃそうやよねぇ」
赤城も馬鹿ではない。ここがアレキサンドリアの物流の急所である以上、手を打つのは至極当然だ。魔王はピンクのポーチに手を入れ、中から丸い真っ赤な爆弾を取り出した。
「これを中で起動させんといかんわけやね」
魔王がめんどくさそうにため息をつく。そもそも陽動作戦は、魔王がそのめんどうをするための時間稼ぎが目的だった。だが何をめんどうがることなどあるだろうと、魔王は爆弾をポーチにしまい、「よし」と火柱に飲み込まれている大灯台に向かって飛んだ。
だが大灯台に降り立とうとした魔王の紅の瞳が驚きで大きく見開かれた。白く輝く火柱の中で人影が動いたのだ。
警備兵たちはみな蒸発した。この熱量の中で生きていられる人間なんて。まさか赤城か?魔王の喉が乾き、細かく震えだす。
人影は太陽のように輝く火柱の中から魔王を射殺さんばかりに睨んでいる。
魔王はすぐに気がついた。あれは赤城ではない。あの男は魔王にこんな激しい感情を向けない。人影はこの街の住人でもない。街の住人たちの目に魔王の姿は映らない。
火柱の中の人影の黒々とした憎悪に魔王の体が震えだした。白い両手で自分の体を抱きしめるが震えは止まらない。魔王はこみ上げてくる震えと感情に戸惑った。これは恐怖か?いや、魔王にとって赤城以上の恐怖など無い。顔に手を当てると、いつのまにか口角が上がっている。そして「あははっ」と笑いが出るのを抑えられなくなった。
中から湧き上がってきた感情、それは喜悦だった。憎悪を向けられる喜悦。敵と認められる喜悦。火柱の中の人影は魔王のことを魔王だとわかってくれている。すっかり忘れていた。魔王は憎悪を集めてこそ魔王である。
魔王は感謝した。あの憎悪に敬意を払おうではないか。ただ殺すのではなく憎しみで顔を歪ませ、呪詛に耳を傾け、それから殺してやろうではないか。
魔王はパチンと指を鳴らした。するとアレキサンドリアを昼に変えていた火柱が一瞬で消えた。
熱によって干上がっていた場所に海水が流れ込み、断崖のような大波が轟音をあげ大灯台にぶつかる。大波と飛沫が謎の人影を覆うが、魔王はじっと人影から目を動かさなかった。
やがて波が収まると、西に傾いた月の光が夜闇の中に黒い人影の姿を浮かび上がらせた。
浮かび上がってきたのは一人の女の姿だった。女はまとったベールに月明かりを含ませ、背後の大灯台よりも輝やいていて美しかった。
「へぇ!あんたか!」
魔王は歓声が轟々と渦巻く海の上に響いた。その女のことは知っていた。いやこの女のことを知らぬ者などいないだろう。
それは美人で善人、天使だ女神だと崇められるアレキサンドリアの姫だった。姫の深い藍色の瞳からは黒々とした憎悪が滲み出し、その奥には魔王への殺意がむき出しだった。姫の後ろには頭から白い布を被り鎖で繋がれた奴隷が立っていた。
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