第27話 大灯台(3)
「なんだこれ」
とつぜん鮮明に蘇った記憶に戸惑うキョー助に赤木が鈍い銀の小箱を見せる。
「消された記憶をこの薬で思い出させたんだ。それで何を思い出した?」
赤木が見下ろして聞くと、キョー助は両の手のひらで顔を抑え呟いた。
「とてつもない美人が歩いていくのを……」
「どこで見た!?」
赤木の声が思わず大きくする。キョー助は西の空を差した。
「……南北を走る大通りを南に歩いて行ったよ」
「誰かと一緒じゃなかったか?」
「鎖につないだ奴隷を一人」
「それだ!」
赤城はキョー助を突き放すと、駆け出し、夜の街の空に向かってミサイルのように飛んで行ってしまった。
そばでくたびれた猫のふりをしていた泉が人間のように口を動かした。
「本当の事を教えたんですか?」
キョー助は泉をみると、ニッといたずらっぽく笑った。
「女を見たのは本当だ。ただ歩いていった方向は南でなく北だ。あれが自白剤でなくてよかった」
「春日さんは連れ出されていたんですね」
「あのとき気がついていれば」
キョー助は頭を掻きむしった。
「でも赤城氏の注意を引く手間は省けました。春日さんを確保できれば挽回できます」
泉は励ますが、キョー助は首を横に振る。
「それは違う。赤城さんの手にある内は、春日の身の安全は保障されてたんだ。急いで探さないと」
キョー助は焦りをにじませると、言葉とは反対にその場に胡座をかいて座り込んだ。
「何をやってるんですか?」
「闇雲に走り回っても赤城さんを出し抜けないからな」
キョー助はこめかみをぐりぐりして、ベールの女が何者か考え始めた。
街中の男どもが見惚れる美人で、キョー助の記憶を操作し、しかも赤城の監視を逃れて王宮の中から春日を連れ出すことができる美人だ。只者であるはずがない。
赤城は女のことを「あの人」と呼んでいた。その時の赤城の顔には、苛立たしさと、ある種の諦めが見て取れた。目の上のたんこぶに毒づくような、そんな感じだった。
一人で100万の敵を焼きはらう勇者様の目の上のたんこぶになる美人。
そんなの一人しか思い浮かばない。アレキサンドリアの姫だ。
だが美人で善人で天使や女神のように崇められている姫が、なぜ春日を鎖で繋いで街の中を引き回すようにして連れているのか。
姫は南北に走る大通りを北へと歩いて行った。その先は大灯台がある北の港だ。魔王が大灯台を壊そうとしている夜に偶然とはおもえない。キョー助はぐりぐりを止めて、泉に尋ねた。
「お前、痴情のもつれに詳しいか?」
「トラブルを未然に防ぐため已む無くですが」
「男がグダグダと婚姻届に印鑑を押さなかったら、女はどうする?」
「結婚しない言い訳の根拠を、一個ずつ確実に潰していくと思います」
泉は確信を持って断言し、キョー助もうなずく。
「この場合なら魔王の首が婚姻届の印鑑だな。だが赤城さんは入籍を先延ばしだけでなく別の女まで連れ込んだ。姫がキレて、春日と魔王を殺そうとしてもおかしくない」
キョー助の推測に泉は首を傾げる。
「でも姫はどうやって魔王を殺すのでしょうか?魔王を倒せるのは赤城氏だけでは?」
キョー助は立ち上がると、袋を拾い、散らばっている爆弾を詰め込みながら言った。
「春日はこの世界で死んだらどうなると思う?」
くたびれた猫の黒目が真ん丸になった。考えもしなかった想定だった。泉は考えをまとめながら、言葉を何度も切りながら答えた。
「春日さんも、生き返る……のではないでしょうか。この異世界と現実世界において春日さんとキョー助君は特別です。ならばキョー助くんと同じように、春日さんも生き返ると考えるのが妥当でしょう」
「死なない女と勇者に力を与えた女との組み合わせだ。どんな不思議も不思議じゃなくなる」
腹の底がざわつくようなとても嫌な感じがしていた。この感じは前にもあった。いつだったろうか。
「とにかく魔王のところへ急ごう」
キョー助は爆弾が詰まった袋を抱え泉をつまみ上げる。
「待って」
キョー助の頭上から冷たい無機質な声が降ってきた。
見上げると月夜の深い紺色の空から、コンクリート色の肌をした少女がスカートをなびかせて降りてきた。
キョー助がその少女、由木三星のスカートの中身に目を凝らすと、上から氷のような視線が向けられた。その刺すような視線にキョー助は「ああ、あのときか……」とつぶやく。
キョー助はわざとらしい咳払いをして「遅かったな」と由木を責める。由木はそれを無視して、いつもの無機質な声をさらに冷ややかにして言う。
「どこにいくの?」
「魔王のところだ。嫌な感じがする」
「嫌な感じ?」
「お前に白い車が突っ込んでいったときと同じやつだ」
そう。あのときも腹の底がざわつくような嫌な感じがしてなんとなく振り返った。視界の隅には由木がいて、その背後から白い車が突っ込んできていた。
そういえば……、誰かがあの事故を見ていた。ガラスの影のような透明で冷たい笑顔をうかべて。あれは……。
キョー助が記憶のモヤの中に分け入ろうとしたとき、背中にドシンと冷たい重量感がぶつかってきた。由木がキョー助の背中に飛びついていた。
「なんだ!?」
由木は慌てるキョー助の右腕一本で抱えた。
「喋らないで。飛ぶから」
「またかよ!?」
キョー助が叫ぶのと同時、由木はしっかりとキョー助を掴むと一気に空に飛び出した。
歪んだ月が光る紺色の月夜の空に、キョー助とくたびれた猫の情けなく愉快な悲鳴が響き渡る。コンクリート色の肌の少女の無機質な顔に、星の瞬きよりも微かな笑みがこぼれていた。
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