第26話 大灯台(2)

「そろそろか」


 キョー助は魔王からもらった砂時計を取り出した。中には月からすくってきたような砂がサラサラと流れている。不思議なことに振ってもひっくり返しても砂の流れは変わらない。流れがもうすぐ終わりそうなのをみて、キョー助は体を起こした。


 歪んだ月は西に傾き始めている。キョー助は枕にしていた袋を開け、中から魔王謹製の爆弾を3つ取り出した。手にとった爆弾は月明かりを浴びて黒く鈍く光り、重く冷たい。


「まあ、なんとかなるだろ」


 キョー助は空元気を出して、爆弾をポケットに突っ込む。


 路地の向こうから誰かが歩いてくる気配がした。由木だろう。キョー助は慌てず、残りの爆弾をポケットに押し込んでいく。足音がキョー助のすぐ後にまでやってきた。


「遅かったじゃ……」


 振り返ったキョー助の顔が瞬間冷凍されたように強張った。そこに立っていたのは由木ではなく、ごつい黒ブーツを履いた男だった。男はキョー助よりも頭一つ背が高く、白い肌に、理知的な目と、まっすぐな濃い眉というコントラストの高い顔をしている。


 キョー助は男の顔を指差し「あ、あ、あか、赤……」と男の名を呼ぼうとするが、黒ブーツを履いた男はキョー助の腕を取り、眉を逆立てた。


「オーナーをどこにやった!?」


 黒いごついブーツを履いた男、赤城がキョー助の腕をねじり上げた。


「痛い痛い痛い!なんのことだよ?!」


「とぼけるな!お前たちがオーナーを連れ去ったんだろう!」


「春日?今からやろうとしてたところだよ!」


「それでオーナーをどこにやった!?」


「だからまだやってないって!!」


 赤城はキョー助の腕をねじりあげたまま辺りを見渡す。そこにあるのは大きな袋と、くたびれた猫一匹。赤城は空いている手で袋を掴み、中身を地面にばら撒いたが、爆弾しか出てこないとわかると袋を投げ捨てた。


「本当に知らないのか?」


「ああ」


 赤城は苦悶の顔に脂汗をにじませるキョー助をじっと見て、そしてキョー助の腕を離した。キョー助は地面にもろに尻を打つ。赤城は尻を抑えてうずくまっているキョー助に目もくれず、ブツブツ言いながら考え込んでいる。


「春日がどうしたって?」


 キョー助が尻をさすり聞くと、赤城は探るようにキョー助を見て答えた。


「さっき寝室を覗いたらいなくなっていた」


「あんた、こんな時間の女の寝室に……」


「やましいことはしてない!」


 理知的な顔をみっともなく乱れさせる赤城に、呆れと哀れを感じたキョー助は慰めるような声になった。


「月も出てるし、散歩でもしてるんじゃないのか」


「オーナーにはまだ自分の意識はない」


「誰かに連れ出されたのか」


「そうだ。お前たちがやったんじゃないのか?」


「しつこいな。もしやってたら、こんなところでのんびりしてるはずないだろ。………あれ?そういえば、赤城さんはなぜ俺がここにいるってわかったんだ?」


 その質問を待っていたとばかりに、赤城は手を広げ不敵に笑った。


「人が溢れかえるこの街で、なぜ王宮の周りだけ人が少ないのか不思議に思わなかったのか?」


 キョー助は自分の迂闊さに「あちゃぁ……」と顔に手を当てた。赤城は教師が教壇からできの悪い生徒を見下ろすに教えてやった。


「テロリストは群衆に紛れてやってくる。群衆がいなければ、不穏な気配を察知するのはたやすい」


 赤城は意図的に王宮の周りから人を遠ざけていたのだ。どうやったのかわからないが、キョー助は赤城が張った網のなかにまんまと飛び込んでしまったわけだ。


 しかしおかしい。赤城は潜んでいたキョー助を察知できたのに、なぜ春日を見失ったのだろうか?


 赤城も同じ疑問をもったらしく顎に手を当て考え込み、はたと空の一点を睨みあげ「そうか」と呟いた。目は焦燥で震え、口元の筋肉には鬱屈が堆積し、10歳は老けて見えた。


そして苦々しそうに「あの人かっ」と呻いた。


あの人?疑問がキョー助の顔に出るよりも早く、赤城が肩を掴んできた。


「女を見なかったか?」


「はぁ?どんな?」


「美人だ」


「美人ってそんな……そういえばとてつもない美人を見たような見なかったような……うっ、頭が」


 キョー助の脳裏に深い青色の瞳がぼんやり浮かび上がるが、焦点を結ぼうとすると頭が痛み、青色の瞳は記憶から消えていこうとする。


 すると赤城がいきなりキョー助の鼻を掴んでつまみ上げた。


 「!?」キョー助が釣られた鯉のような顔で口をあがあがと開けると、赤木はどこからともなく鈍い銀色の小箱を取り出し、中の丸薬をキョー助の口に押し込んだ。


「なんだよ、これ!?」


 激しくむせていたキョー助が、ピタリと動かなくなった。


「……なんだこれ……」


 キョー助の頭の中でぼやけていた深い青色の瞳がはっきり浮かび上がってきた。そしてつい数時間前の記憶が蘇ってきた。


この路地に来る途中、キョー助は一人の女と目があった。それは美しい女だった。


ベールで顔を半分隠していたが、隙間からのぞく深い青色の瞳にキョー助も街の男どもも見とれてしまった。


ベールの女は奴隷を連れていた。全身を白い布をすっぽりとかぶせられ、首に枷を嵌められ、鎖で引かれ生気なく歩いていた。男か女かは分からなかった。とてつもない美女と、鎖で繋がれ死人のように歩く人間。そのどこか猥雑なコントラストにキョー助は目を奪われた。


取り巻きの中から酔っ払った男が見ているだけでは我慢できず、ベールの女に近づいていった。だが女の肩に触れようとすると男は足を絡ませて派手に転んでしまった。ギャラリーがドッと笑った。酔いで足がもつれたのだろうと、キョー助も笑った。


男はすぐ立ち上がり懲りずに女に触れようとするも、一歩も歩かないうちにまた転んだ。三度、四度、五度と男は立ち上がったが、手が女に触れようとするとすぐに転んでしまう。


ギャラリーは腹を抱えての大笑いだ。だがキョー助は笑えなくなっていた。


地面から白い手が生えていた。男が転ぶ時、地面から白い手が伸び出し、男の足を掴んでいたのをキョー助は見ていた。その手ののっぺりとした白さは魔王のアジトにぶら下げられていた死人たちを思い出させた。


キョー助は大笑いしているギャラリーの中でひとり顔をこわばらせていた。するとベールの女がキョー助に目を止め微笑みかけた。その微笑みだけで周りの男連中の顔はだらしなく崩れる。


だがキョー助は心臓に冷気を吹き付けられたようにゾッとした。男を引きつける美しい瞳の奥に、あの死の際に現れる暗闇が見えたのだ。すぐに逃げたかったが、それをぐっとこらえて、周りに合わせて無理やり笑った。


女はキョー助から目をそらすと、奴隷をつないだ鎖を引いて歩いていてしまった。

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