第8話 狂騒と静寂の古代都市(3)
南北に走る大通りから西に三本入った一角に、ひときわ人の集まる見世物が出ていた。その見世物は「ほー」と珍しそうな、「ひぃ」と不気味そうな、「すげー!」と興奮した、さまざまな反応を呼んでいた。
好奇の目を集めていたのは世にも珍しい、熟女の魅力について熱く語る猫だった。熟女好きな猫、すなわち泉準一は「絶対に嫌です!!」と爪を立ててしがみつき泣きわめいていたが、そんな泉の耳元でキョー助はささやいた。
「年増がいいなんてどうかしてるぞ」
キョー助の囁きに泉の猫の目が獰猛な肉食獣の目に一変した。
「聞き捨てなりませんね」
泉は近くの空き箱の上にひらりと飛び乗ると、キョー助を見下ろし、虎のごとく吠えた。
「あなたは女性は年齢、容貌、血筋で価値が決まるとお思いか?女性の価値は……いやそもそも女性を価値で測ること自体ナンセンス!。価値というのは聖人を銀貨何枚と見る考え方だ。あなたは人間を物だとお考えなのか?血で血を洗う競争の世界で、女性が与えてくれるつかの間の安らぎが何かと交換して与えらるものだとお考えか??もしそうだとしたら、あなたは救いようのない愚か者です!」
人が変わったような、いや、猫が変わったような泉の痛罵に、キョー助はうっすらほくそ笑んだ。泉が激昂し熟女の魅力について熱く語り始めるや、客が大いに湧いた、大ウケだったからだ。
思惑通りに踊ってくれる猫に笑いを抑えられないキョー助と、その顔を見てさらに激昂する泉。そして泉が熱くなればなるほど見物客の人だかりは大きくなっていった。
1時間後。キョー助の前には、小銭でいっぱいなった箱と、ぐったりうなだれるくたびれた猫がいた。
「魂を売った気分です」
「人は腹が減ればなんでもするさ。たとえ禁じられた実を食べるとかでもな」
「それで楽園を追放されるんですか?笑えませんよ。現実世界すら失おうとしているのに」
泉が憮然としていると、そこに一人の若い女が声をかけてきた。
「ねぇねぇ、さっきの口上なかなかだったわよ。猫なのによくわかってて感心だわぁ!」
若い女は金糸で編み上げられたポーチから飴を数個取り出して泉に手渡した。泉も「あ、ありがとうございます……」と半端な笑顔で肉球の付いた両手で飴を受け取る。
その若い女はキラキラとたなびく深緑色のワンピースをゆったりと纏い、首や手首、足首には小さな宝石が付いた金鎖のアクセサリーを揺らめかせていた。どこかお金持ちのお嬢様のようだ。お嬢様は両手で猫の泉を抱き上げると、大きな指輪を4つつけた瑞々しい手で泉の頭を優しく撫でた。
「この子が人間で、私があと30歳若ければほっとかなかったのに」
お嬢様はそう言い「あっはっはっ!」と豪快に笑った。キョー助はその楚々とした見た目との差に、思わず「そんなに若返ったら母親のお腹の中じゃないですか」とツッコミを入れてしまう。お嬢様の艶をたたえた長い黒髪、シワひとつ無い白絹のような肌、スラリと伸びた手足を見るに、彼女が三十より年をめしているとは思えないからだ。
「あなたも若いのにお上手ねぇ」
お嬢様はニンマリ笑うと機嫌よく金糸のポーチから飴を取り出してキョー助に手渡した。
「わたしね、こうみえても58歳なのよぉ」
「え……?」
「にゃ……?」
一人と一匹の驚きように、緑の服を纏ったお嬢様はさらに機嫌をよくした。そして小銭で一杯になった箱を見て聞いてきた。
「あなた達、芸人さんなの?」
「え、ああ、まあ……」
「それなら納得だわ。芸人さんなら投銭は勲章みたいなものよねぇ。この街でわざわざ小銭を稼ぐなんておかしいと思っていたのよぉ」
見た目うら若いお嬢様が、おばちゃんがするのと同じように手を振り、体をよじり、喋る倒す姿はなかなか奇妙だ。キョー助ははっとして泉に「女を見た目で判断するなというのはこういうことか?」と目だけで問うが、泉は「そういうことじゃないです!」とやはり目で返す。
「この街でお金を稼ぐのはおかしいですか?」
キョー助がお嬢様に聞いた。この街は商売がとても盛んだ。それなのにお嬢様は小銭を稼ぐことがおかしいという。
「南北の大通りと、東西の大通りとが十字に交わる辺りに教会があるわ。そこに行けばこれをくれるのよ」
お嬢様は金糸のポーチから、名刺ほどの大きさの銀色の板を取り出して二人に見せた。銀色の板には細かい文字と文様がびっしりと刻まれている。
「これは?」
「私たちは教会の護符って呼んでるわ。これを持っていれば、大概の買い物がタダになるのよ」
「マジですか?」
素で驚くキョー助に、お嬢様はいたずら好きの女の子の目になる。
「本当ですとも。どこでいくら食べても飲んでも歌っても、お代を払わなくてもいいの。私のこの服も、ポーチも、飾りもみんな護符のおかげで貰ったのよ」
お嬢様は「いいでしょ?」と二人の目の間でふわりと回って見せる。深緑色のワンピースや首飾りが街灯の明りを湛え、女性を綺羅びやかに輝かせる。このような品々がタダだなんて信じられない。泉が横で「魂を売ることなかったじゃないですかー!」と血を流さんばかりに泣いている。
「この護符にはもっとすごいご利益があるのよ」
お嬢様がテレビショッピングのようなセリフに、二人はゴクリと喉を鳴らせてお嬢様の顔を見る。
「これにはね、美容と健康と若返りのご利益があるの」
お嬢様の答えがまさににテレビショッピングそのものだったので、キョー助は「またまたぁ……」と笑ってしまった。お嬢様は気分を害した様子もなく金糸のポーチからロケットを取り出して二人に見せた。中には椅子に腰を掛ける老女の姿が細やかに描かれていた。絵の中の老女は皺深く、過酷な生に擦り切れているようだった。
「これは?」
キョー助がお嬢様を見ると、お嬢様は目からいたずら心を溢れさせた言った。
「10年前の私よ」
「……??」
うまく反応できなかったキョー助は冗談ではないのかともう一度絵を見る。10年前ということだから絵の女性は48歳。そして目の前に立っている女性は絵の中から10年たった後の姿のはずだ。
キョー助は礼を失するのを承知でお嬢様の足元から髪の先までマジマジと観察した。艶をたたえた黒髪、白絹のような肌、スラリと伸びた手足。どうみても20代の美貌だ。老女のような48歳が20代のような58歳になるなんて、いくらなんでも程度というものがある。これではご利益というより魔術だ。
「どう、すごいでしょ?」
お嬢様はキョー助と泉が期待通りに驚いてくれてご満悦だ。たしかにすごすぎて、キョー助は「でもお高いんでしょう?」と、やはりテレビショッピングでおなじみのセリフしか出てこなかった。
「それがね、これもタダなのよ。教会に行くだけでもらえちゃうの」
「お姉さん、それ騙されてますよ」
「私もね、はじめはそう思ったのよ。そんなにうまい話なんてあるわけがないって。教会は悪魔の手先だって言う人もいたぐらい。でも護符が配られるようになってから、食べ物に困る人も、病気に苦しむ人もいなくなった。どんな贅沢でもできるようになった。いまじゃ、この街の全員が教会の護符のお陰で人生を楽しんでいるわ」
お嬢様は教会の護符を握り祈りを捧げると、大事そうに金糸のポーチにしまった。
「一体どういう仕組なんですか?」
「くわしいことなんてわかんないわよ。5年ぐらい前から姫様と勇者様がうまくやってくれているらしいから、まかせておけば大丈夫なんじゃない?」
「勇者様?」
「この街を仕切っている人よ。なんで勇者なんて呼ばれているのかは知らないけど。そういえば、あなた達って勇者様と似た顔をしてるわね。なんというか平べったいし、肌も黄色いし。どこから来たの?」
地理に疎いキョー助がどう答えようか困っていると、泉がお嬢様の腕の中から答えた。
「僕たちは東の端から来ました」
「ガンジス川のあたり?」
「もっと東からです」
「まー!」
お嬢様は口に手を当てて驚いた。一瞬できた隙に泉はお嬢様の腕のなかから飛び降りた。お嬢様は「ああんっ」と泉の毛並みを名残惜しいのか、泉の前にかがみ頭を優しく撫でている。
「世界ってガンジス川の向こうにも広がっていたのね。そんな遠くから大変だったでしょう?」
「ええ。2回死にました」
キョー助の軽口に、お嬢様はまた豪快に笑った。
「そういえばさっき珍しい屋台が出てたんだけど、そこの女の子もあなた達と似たような感じだったわね。同郷なのかしら」
一人と一匹が顔を見合わせた。一人のほうが聞いた。
「その屋台はどこに出てましたか?どういう店でしたか?」
「場所は南北の大通りを挟んだ向こう側の公園の近くよ。たしか美味しいタコヤキがなんとかって呼び込みしてたけど……なんなのかしら、タコヤキって?」
間違いない、春日だ。異世界にまで来てたこ焼きの屋台を出すなんて、何を考えているのかまったくわからない。しかしお陰で100万人のなかから探し出す手間がだいぶ省けそうだ。
「たこ焼きというのは、カリカリトロトロアツアツのソウルフードですよ」
「あら美味しそう。教えてくれてありがとうね」
「こちらこそ、何かお礼ができるといいのですが……」
「じゃあ、この子をもらってっていっていい?」
お嬢様は瑞々しい両手をぬうっと伸ばし泉の猫の体を捕まえた。キョー助が「いいですよ」とノータイムで承諾すると、泉は首を激しく振ってニャーギャーと泣いた。
それでも泉はお嬢様の白磁の肌に爪を立てるような真似は一切しなかった。そういうところはさすが熟女を愛する男である。お嬢様も無理に連れて行こうとは考えていなかったらしく、泉を箱の上に放してやり、もう一度やさしく猫の小さな額を撫でた。
「そろそろ行くわね」
20代に見える58歳のお嬢様は街灯がきらめく暗がりに向かって軽やかに歩いていった。
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