第6話 狂騒と静寂の古代都市(1)

 街は夜になっていた。街灯が並ぶ通りは日本の駅前よりも明るい。アルコールが入り始めた街はますます活気の度を上げていた。


 キョー助は片側5車線はありそうな白亜の大通りに出た。露店が途切れなく並び、人々がぎっしり行き交ってる。熱気で息が詰まるかと思ったが、水気を含んだ夜風が流れてきて思ったよりも快適だった。


「ここはどこなんでしょうね」


 キョー助がじろりと振り向くと、人の言葉を話すくたびれた猫、もとい泉準一が歩いている。


「なんでついてくるんだよ」


「同じクラスのよしみじゃないですか」


 泉は不機嫌なキョー助の足に頬をスリスリさせる。


「同じクラスの由木は俺を殺す気だけどな」


「彼女は彼女、僕は僕です。我々は世界改変を防ぐという同じ目的を持っていますが、いまは緊急時です。判断は各自に任されています」


「お前の判断は?」


「状況を見極めようと思っています。キョー助くんが生き返り世界改変もない可能性があるかもしれません」


「もしなかったら?」


「それはその時です。それよりここがどこだが気になりませんか?」


 泉はキョー助の背中に飛びつき、爪を立てて肩に顔を乗せてきたのでキョー助は顔をしかめる。


「異世界の地理なんて知るわけ無いだろ」


「星の並びは現実と同じみたいですよ」


 キョー助は夜空に目を凝らした。ほとんどの星は街の明かりでかき消されていたが、北斗七星と北極星はすぐに見つけることができた。見慣れた場所より幾分低い空にある。北極星の位置から見るに、どうやらこの大通りは南北に伸びていて、水気を含んだ夜風は南の方から吹いているらしい。キョー助がふと気がついた。


「海風って夜に吹くもんだったか?」


 キョー助は水気を含む夜風を、海から陸にむかって吹く海風だと思い込んでいた。泉も気になって「確かめましょうか」と提案すると、キョー助は回れ右をして北極星に背を向けた。


 だが人の流れが二人の前に立ちはだかった。人の流れは南から北に向かっている。それに逆行するモチベーションなんてないので、キョー助は北極星に向き直り、人の流れに身を任せて白亜の大通りを北へと歩いていった。風の向かう先に何があるのかも、それはそれで気になる。


 キョー助は歩きながら、酒を手に歩く男どもや、テーブルを囲み嬌声をあげる男女を眺めていた。異世界というのは魔王がいたり、未知の生命体に脅かされているものだと思っていたが、この世界はとても平和そうだ。


 ためしに少し暗い路地を覗いてみたが、膝を抱えた子供なんていないし、恨めしそうな目で賑わいをみている老人なんてものいない。どの顔も若々しく輝き、みな人生を楽しんでいる。露店の裏から出てきた野良猫ですら、大きなお魚をくわえて幸せそうだ。だがキョー助はこの平和に気味の悪さを感じた。それがなぜなのか自分でも不思議だった。


 ほどなくキョー助と泉は大通りの北端についた。そこで目にしたものに二人は驚いた。水気を含んだ風が向かっていったそこに大きな港があったのだ。

 港の規模に二人はさらに驚いた。夜だと言うのに船が続々と出入りし、岸には横浜港のコンテナを思わせるほどの荷物の山がいくつも並び、見てる間にどんどん新しい山が生み出されていく。その横では人と車が荷物を運び出し山があっというまに消えていく。めまぐるしい荷物の山の生成と消滅はちょっとしたスペクタクルだった。


 キョー助はここでも気味の悪さを感じていた。だが今回はその正体がすぐにわかった。妙に静かなのだ。荷物と荷物がぶつかる音や、荷車が岸を削り走る音はけたたましく鳴り響いている。人も大勢いて、走り回ったりロープを引いたりと忙しく働いている。だが人の声が聞こえてこない。人が活動している声や息遣いが聞こえてこず、活気がまったく感じられない。街中とはあまりに対称的だ。


「ははぁ、なるほど」


 泉は猫の黒目をめいいっぱい大きくして港の出入り口の方を見ていた。キョー助もみると、北に開いた港の向こうに島が東西にのびていて、東の端に灯台が立っていた。灯台の最上部には火が焚かれている。


「でかいな。タワーマンションぐらいあるぞ」


「100メートルは超えていますね。四角柱の基部に円柱が2つ重ねた3段構造。かなり特徴的な灯台ですが、お陰でこの街の見当がつきました。さっき歩いてきた白亜の大通り、そしてあの大灯台。おそらくここはアレクサンドリアを模した街です」


 キョー助が眉根にシワを寄せる。


「どこ、それ?」


「現実世界では地中海に面したエジプト第二の都市です。紀元前3世紀にアレクサンドロス大王の命で都市化されました。三大美女と言われる大クレオパトラの物語の舞台でもありますね」


「なんで異世界に現実世界の街がある?」


「アレクサンドリアになにかしらの思い入れがあるのかもしれません」


「春日がか?」


「いいえ。春日さんに異世界を作るきっかけを与えられた誰かが、です」


「この異世界騒動に巻き込まれた奴が、まだ別にいるのか?!」


「異世界の時空間を成り立たせている人物がいるはずです。いまキョー助くんの生死が保留されているのは、この異世界の時間がテレビゲームのように閉じているからです。ゲームではキャラが動かないと画面が変化しないように、この異世界でも時間と空間が一人の存在とリンクしています。いわばこの世界の主人公的な人物がいるはずです」


「それじゃあ異世界を壊せっていうのは、俺にその主人公というのを……」


 キョー助が手刀で首を切る真似をすると、泉はうんうんと軽く頷いた。


「キョー助くんには、その人物が強くなる前に殺してほしかったのですが」


 キョー助は泉の顔を鷲掴みにして怒鳴った。


「そんなの自分でやれよ!」


「猫にできるわけ無いでしょう!?」


「だったら猫なんてやめちまえ!」


「これが精一杯なんです!もともと僕たちは招かれざる客なんですから!」


 泉はキョー助に顔を掴まれ、口をタコのようにしながら弁解する。キョー助は「ふんっ」と泉の顔から手を離して言った。


「どうせ俺は生き返るんだし。その主人公とやらと戦う必要は無いけどな」


 肉球の付いた両手で頬をさすっていた泉が言った。


「春日さんはどこにいるんでしょうね」


 キョー助は街の方を振り返った。街は煌々と光を放ち南の空に星はほとんど見えない。無数の笑い声、怒鳴り声がここまで聞こえてくる。


「現実のアレクサンドリアもこんなに人が多かったのか?」


「一説では100万人いたとも言われています。世界の学術の中心だった街ですからね。この中から春日さんを見つけるのは骨が折れそうです」


 そうかもしれないと思う一方で、キョー助にはすぐに春日に出くわしそうな予感、というより悪寒があった。ふと由木の「あなたは春日に支配されているの」という言葉が頭をよぎり、キョー助はわずかに顔を歪めた。


「春日は、すくなくともここにはいないな」


「なぜ分かるんです?」


 キョー助は大勢の人間が働いているのに誰の声も聞こえこない不気味に静かな港を見て言った。


「あいつがいたら、こんなに静かなわけがない」

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