第5話 ここは天国か地獄か異世界か(5)


 女はフードの奥からキョー助を睨んでいる。キョー助は蛇に睨まれた蛙のごとく動けない。


「なぜ私を助けようとしたの?」


 フードの女が無機質に言った。


「助けた?違う、お前が俺を殺したんだろ!」


 キョー助は右手を首に当て怒鳴った。フードの女は静かに首を振る。


「でも、あなたは死んでいない」


 たしかにキョー助は死んでいない。首を切り落とされたにも関わらず。でも、あの暗闇に消えていく恐怖は忘れようもなく、キョー助の声が荒くなる。


「だからって俺を殺してもかまわないっていうのか!」


 フードの女は表情を変えずキョー助の怒りを受け止めて言う。


「あなたは死なない。それでもあなたは私が殺すの」


 ゆらりとフードの女が動いた。キョー助がギョッとして身構える。だがフードの女はそのまま前のめりに倒れ込んで動かなくなってしまった。


「え……、おい、どうした?」


 キョー助がへっぴり腰でフードの女の様子をうかがう。泉がくたびれた猫の体を跳ねさせてフードの女に駆け寄り、キョー助を振り返った。


「手を貸してもらえませんか?」


 緊張した声にキョー助は反射的に動いてしまい、泉の指示に従ってフードの女を仰向けに寝かせてフードを取った。キョー助は現れた女の顔を見て「あ」と声を上げた。


「由木じゃないか」


 フードの女の正体は、キョー助と同じクラスの由木三星ゆきみつぼしだった。


 なぜ声を聞いたときに気が付かなかったのかと思ったが、キョー助は由木の声を聞いたことがなかった。部活をしてたり、誰かと話したり遊んでいるところも見たことがなかった。いつも視界の隅に一人でいる由木のことを、キョー助は「変わったやつだなぁ」と思っていた。


 そういえば終業式後の下校途中にも、由木はキョー助の視界の隅にいた。そして後ろから白い車が突っ込んできたのを思い出した。


「俺が助けたのって由木か?」


 泉が頷いた。


「彼女も組織の調査員なのです」


「マジか?」


「マジです。キョー助くんの監視と護衛を任務としていたのですが、逆にあなたに助けられて、そしてあなたは死んでしまった。彼女はそのことを恥じていました」


「だから、俺を殺すってのか?」


 泉は首を横に振る。


「由木さんは春日さんにあなたを渡すわけにはいかなかった。あなたが春日さんの手に渡れば世界が改変されてしまうかもしれませんからね。彼女はキョー助君の体を燃やし、首をもってここまで逃げてきたのです」


「俺……、燃やされたの?」


「しっかり灰になるまで。でもなんの問題もないでしょう?」


 キョー助は唖然としながら、あらためて体に異常がないかと確認していく。首はつながっているし、火傷もない。少し汗臭い制服すら元通りだ。キョー助はここでやっと一番最初の根本的な不可思議に考えをめぐらせる。


「俺はなぜ死なないんだ?」


「ここが異世界だからとしか言いようがありませんね」


「ここにいる人間はみんなそうなのか?」


「それはわかりません。ですが……」


 泉は由木のフードをめくると、キョー助は息を呑んだ。由木の左腕の肘から下が無い。終業式が終わった後の下校途中、視界の端にいた由木三星にはちゃんとあったはずだ。


「春日さんに切り落とされたそうです。この世界ではキョー助くんは生き返りますが、由木さんの傷は癒えません」


 泉が由木の左腕をギュッと縛り上げると、それが痛んだのか由木が苦しそうに目をあけた。由木はぼうっとキョー助の顔を見ていたが、左腕が無いのを見られたと気がつくと、たちまちフードを深く被ってしまった。キョー助は由木の前に膝をつき、フードの奥の目を見て言う。


「俺は春日に会って生き返るぞ」


「ダメ、絶対に!!」


 それまでの無機質さとは違う、由木のいまにも泣き出しそうな声にキョー助は一瞬怯んだ。由木は横にいるくたびれた猫を睨めつけ、再びキョー助と向かい合う。


「どうして生き返りたいの?」


 無機質な声に戻っていた。キョー助は由木の変化に戸惑いながらも答えた。


「生き返りたくないやつなんていないだろ」


「死んだ人間にインタビューでもした?」


「いや、そんなの無いけどさ……。でも怪我人に手当をしたら喜ばれるだろ?飢えてる人に食い物を渡したら感謝されるだろ?それと同じさ」


「生き返って何をするの?」


「そりゃ、進学して、遊んで、就職して、できれば嫁さんもらって、仕事して、子供育てて、また遊んでって感じだな」


 キョー助は言いながら、我ながら具体性のない人生設計だなと落ち込む。


「その人生の中心は春日涼水なんでしょう?」


 由木の冷たく無機質な言葉はキョー助の臓腑をえぐった。由木は冷たく続ける。


「いままでだってそう。進路や選択科目、趣味や考え方に至るまで、あなたは春日を中心にして生きてきた」


「あいつは天敵だ」


「その天敵から逃げることがあなたのすべてでしょ」


「お前が俺の何を知っているっていうんだ!」


 キョー助はズボンで手のひらの汗を拭う。由木は無機質な表情で言う。


「私はずっとあなたを見てきた。だから知っている。覚えている。あなたは春日に支配されている」


 キョー助はいままで鍵をかけていた箱をこじ開けられた思いがした。だが、自分が間違っているなどと認めるつもりはない。


「確かに俺は春日から逃げてきた。それを支配されていると言うならそうだろう。それでも生き返ることの何が悪い。生きることは可能性だ。死ななければその支配も克服することもできる!」


「春日に死ぬことも許されないのに?」


「だからなんだ!それでも俺は生き返るぞ」


 キョー助は由木と泉に背を向けると、出口に向かって歩き始めた。


「私があなたを殺すから」


「やれるもんならやってみやがれ!」


 キョー助は振り返らずにいうと、そのまま出ていってしまった。泉はキョー助のあとについていく。由木は肘から先がない左腕を抱き、キョー助の背中が見えなくなるまで見つめていた。

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