第2話 ここは天国か地獄か異世界か(2)

 キョー助は固く冷たい床の上で目を覚ました。

 

 薄汚れた石造りの天井が見える。

 

 恐る恐る右手に意識を向ける。

 体の感覚がある。

 右手に意識を向けると思い通りに動いた。

 首に触れると温かい感触が伝わってきた。

 頭はしっかりと体とつながっていた。

 キョー助は安堵して全身をどっと冷たい床に放り出す。


 さっきの出来事を思い出した。首を切り落とされ、体の自由を失い、感覚を失い、そして冷たい暗闇に消えた。震えがこみ上げてくる。


 キョー助が目を覚ましたのは石造りで小さな窓がわずかしかなくて暗く、部屋にしてはやたら広く、床に横長のどす黒いシミが整然と並んでいる空間だった。


 キョー助の他にだれもいない。ここで目を覚ましたのは二回目で、最初は白い車にぶつかった後だ。


「おはようございます。よかった、ちゃんと目覚めてくれて」


 若い男の声の日本語が響いた。キョー助はあわてて前後左右上下を見回したが誰もいない。恐怖で精神がやられたかと不安になる。


「ボクはここですよ」


 声はキョー助の不安を察するように優しく響いた。窓の方からだ。見るとくたびれた猫が座っていた。


 猫は白いような黒いような、トラのような三毛のような、しっぽが長いような短いような、なんとも表現しにくく、くたびれているとしか言いようのない猫だった。

 

 キョー助にはそのくたびれ具合が妙に懐かしい。くたびれた猫の口が人間と同じように動いた。


「またあえて嬉しいですよ、キョー助君」


「……誰?」


「いやだなぁ、ボクですよ。わかりませんか?」


「しゃべる猫の知り合いなんていねーよ」


 くたびれた猫は、窓から飛び降りてキョー助に近づいてくる。


「同じクラスの泉純一いずみじゅんいちです」


「泉?お前が?お前も死んで猫に転生したのか?」


「いいえ、ボクはまだ死んでいません」


「じゃあ、なぜ猫?」


「ボク達の現実世界を救うために、キョー助君にこの異世界を壊しくれるようお願いに来たんです」


「そうか。わかった。じゃあな」


 キョー助は立ち上がり、くたびれた猫に背を向けてスタスタと歩き始めた。


「ちょっ、ちょっとまってください!」


 泉を自称するくたびれた猫は面食らい、慌ててキョー助を追う。


「わかったって、なにがわかったんですか?」


「お前に付き合うと碌な目に合わないということがだよ」


「どうして!?」


「お前が泉純一の偽物なら俺を騙すためだからアウト。本物なら、女からも男からもモテるキラキラなイケメンは敵だからアウト。アウト2つでゲームセットだ」


「無茶苦茶だ!」


 キョー助の暴論に泉を自称するくたびれた猫は悲鳴を上げるが、キョー助は振り返りもしない。


「だいたい俺は泉純一とまともに話したことがない。そんな奴がこんな所で友達面かましてくるなんて怪しいだろ。これでスリーアウト。文句ないだろ?」


 キョー助はくたびれた猫を置いて出口に向かって歩いていく。薄暗い石造りの空間に足音を響かせていると、静止していたカビ臭い空気がキョー助の肌の上をゆっくりと流れていく。ここは誰からも忘れられてかなりたっているようだ。

 

 その時、キョー助の背中に向かってヤケグソ気味の大声がした。


「キョー助君、ボクは熟女が好きです。大好きです!!」


 泉を自称するくたびれた猫だ。くたびれた猫は後ろの足で直立し、右前足を胸に当ててさらに大声をはりあげた。


「たしかにボクはイケメンです。自分で言うなと言われるでしょうが事実です。ボクはそれを買われてキョー助君と同じ学校に送り込まれたからです。この顔とキャラのお陰でボクは女子から好意を、男子からは信頼を得ました。それが上から与えられた役割だったからです」


 突然の告白に、キョー助はあんぐりと口をあける。くたびれた猫はさらに暴走していく。


「でもそれは仮面です。いくらミニスカやブラウスが透けている女子高校生にちやほやされても、ボクは萌えないのです。なぜならボクは熟女が大好きだからです!」


「おい、なにを……」


「特に働く熟女が最高です。夜の電車内で疲れて寝ている仕事帰りの熟女OLの少し乱れたスーツ姿にこそボクは燃えるのです。いきり立つのです!」


「もういい、やめろ!」


「いいえ、やめません!あなたに信用してもらうためなら隠していた性癖を晒すしか無い。ぼくは熟女が大好きだ―!!!」


「わかった、わかったから!だから自分を社会的自殺においこむような真似はやめるんだ!」


 キョー助は泉の猫肩をしっかりつかんだ。泉は猫毛で覆われた胸をハアハアと上下させてキョー助を見上げる。


「信じて……くれるのですか?」


「ああ信じてやる。信じるに決まっているとも。誰にだって変態性癖の一つや百はある。バレれば社会的な死あるのみ。だけどお前はそれを堂々と打ち明けてくれたんだ。それを嗤うやつは男じゃない」


 男の連帯性の本質は、みな変態性癖を持っているという事実の承認と不可侵。それが男の友情だとキョー助は信じている。


「ありがとう……キョー助君」


 猫の姿をした泉は目に涙を浮かべて頭を下げた。


「無茶しやがって」


「でもキョー助君に信用してもらえないと、社会的自死よりもひどいことになりますから」


「現実の世界を救うためにこの異世界を壊してくれ、だったか。一体どういうことだ?」


「ある人によって現実世界が改変されてしまいました。このままでは世界の時間が閉じ意味消失してしまいます」


「ナ、ナンダッテーー……って、何を言っているのか全然わからないんだが」


 キョー助は棒読みで驚くと、泉は肉球の付いた両前足をきれいに揃えて、猫の黒目をキュッと細めて話し始めた。

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