盗賊

 軽やかな蹄の音が辺りにこだまする。新羅と百済の国境付近は恐ろしい程に静かだった。大和は馬に跨りながら辺りを見渡してみる。思いの外気候は似ているらしい。山の中に入ってしまえば、朝鮮半島とは言えど倭国にいるように見えた。

 遣隋使の一行はこれから陸路にて百済へ入ろうとしている。突然の進路変更であったが、新羅の人々の協力もあってか意外とスムーズに話が進んだ。もちろん、その話を進めたのは大使の妹子である。

 大和は背後にいる当の彼をちらりと見た。大和を抱えるようにして馬の手綱を引いている妹子は、乗馬の経験はないと言っていたわりに手馴れているように見える。大和の視線に気づいたのか、妹子が「なんですか?」と眉をあげた。何でもないと言うと、じゃあ見るなと言いたげに目を細めて前へ向き直った。


 それは実に静寂とした旅路であった。しんしんとした森の空気が冷たい。大方の荷物は水夫かこたちが先に船で運んでくれている。今陸路で百済を目指しているのは、倭国の遣隋使節と裴世清を筆頭に十数名派遣された隋の使節達だ。船に残った水夫たちとは百済に入って最初の港町で合流することになっていた。

 新羅の港町の人々から貸してもらった荷車には、船に乗せなかった土産品などが積んである。カラカラと砂埃を蹴るタイヤを見ながら、横にいた通訳の福利はどこか不安そうに口を曲げた。

 どうも納得がいかないのだ。前回の遣隋で感じたことだが、造船に携わった者や水夫たちは船について人一倍詳しい。彼らが大丈夫そうだと言ったのに、新羅の首長たちは「船が壊れかけている」などと口を揃えた。そして、大使の妹子もそれに従って陸路での旅を選択した。正直、何か仕組まれているのではないかと思う。

 この荷車も怪しいのだ。周りに新羅の商人たちが付き添い、土産品に布を被せて縄で固定してあるものの、その布がチラチラと風に踊っては中の品が顔を出す。それも隋の品物となれば一目で高級品だと分かる色艶をしたものばかり。これではまるで盗賊に「奪ってください」と言っているようなものではないか。こちらに来る際に百済の首長たちが言っていた「国境付近には盗賊が出る」という言葉が脳裏をよぎる。風ひとつない穏やかな旅路がどこか嵐の前の静けさに見えて、福利は言いようもない胸騒ぎがした。


 ザワザワとした木々の葉音に大和は顔を上げる。そこでおや、と眉を寄せた。風でも出たかと思ったが、空を覆う木の葉が全く揺れていない。しかし依然として木々の擦れる音は辺りにこだましている。これは一体どういうことなのか。

 このざわめきは風の音ではない。そう気づいた時には草陰から何人もの男が飛び出してきていた。

「盗賊だ!」

 荷車を押していた新羅の商人たちが一斉に叫んだ。その言葉を聞いて、通訳の福利が「盗賊です!」と慌てて妹子の方へ声を張る。その倭言葉やまとことばで倭国の者達も状況が飲み込めたらしい。ある者は馬から落ちかけ、ある者は地にしゃがみこんで頭を覆い隠した。隋の使者たちも答礼使の裴世清を庇うように道の脇へ避難させている。

「あいつが良い服を着てるぞ!」

 ふと、盗賊の一人がそう叫んだ。しかし大和や書記官たちにはその百済言葉が分からない。それにいち早く反応したのはやはり福利であった。

「妹子さん!」

 かなり訛ってはいたが盗賊の言葉は聞き取れた。彼らの狙いは遣隋大使である妹子だ。それが分かるやいなや、福利は誰かが転げ落ちて空となった馬の背中に飛び乗った。そのまま手綱を引き寄せると高く声をかけて妹子の方へ馬を向ける。元は馬具を作る鞍作部くらつくりべの男である。馬の扱いには慣れていた。

 福利の掛け声に驚いたのか、馬は白く目を剥き駆け出した。周りの混乱に気が狂い、妹子の乗る馬もその場で身体をひねっている。それに衝突しないよう、福利は自分の手綱を無理やり引っ張って進路を変えた。その僅かな角度が幸をなし、福利の馬は妹子の馬の横へと腹をつける。

 やっと周りを見渡せば、盗賊は荒れ狂う二頭の馬に手が出せないようだった。不思議なことに、妹子を諦めて荷車に向かうことも無く、元々荷車へ集った盗賊達も本気で暴力を振るうことはない。しかし今はそんなことなどを考えている場合ではなかった。福利は真剣な顔で妹子の方へ向き直ろうとしたが、次の瞬間、突然袖を引かれて馬から転げ落ちた。

「すみません、体勢を崩して······」

 一緒に倒れた妹子が福利の袖を掴んだまま顔をもたげる。同情を引き出すかのような下がり眉に、福利は「え?」と顔をひきつらせた。

「かかれ!」

 福利が眉を寄せるのもつかの間、突然後ろから身体を掴まれた。見ればいつの間にか後ろにいた盗賊たちが自分の腕を後ろ手に縛っている。隣にいた妹子も同じように手首を縛られ、その首に刃物を向けられていた。

「その服脱ぎな」

「は?」

 福利は困惑したように盗賊を見上げる。しかし彼らは「おめぇじゃねぇよ」と言葉を吐くと、「そっちの兄ちゃんだ」と妹子を顎で指し示した。

「随分良い布纏ってんじゃねぇか。まさか役人か?」

 妹子はその問いには答えなかった。素なのか演技なのかは知らないが、ただただ盗賊を睨みつけつつ、その瞳に不安を灯していた。

「この服を渡せば見逃してくれますか?」

「さぁな。荷車を見てからだ」

 妹子はちらりと荷車を見ると、そこで土産品を守るようにしていた新羅の商人らに「見せてやりなさい」と声をかける。すると彼らは困惑したものの、大人しく荷車から身体を離した。

 盗賊の一部が荷車を漁りはじめる。そして小さくも値の張る小物を二、三 ふところに入れながら、こちらに居た盗賊の片割れに合図を送った。

「まぁいい、上着だけ寄越しな」

 そう言って手首の縄を解いた彼らに、妹子はしばらくそちらを睨んだ後、しぶしぶと腰の帯紐を解いた。その白い指が上着の留め具を払い、上質な布がするりと肩を滑り落ちる。それを盗賊に手渡すと、「もういいならお帰りください」と静かに彼らを牽制する。

 盗賊たちは上着を受け取ると山の中へと帰っていった。その背を見送りながら、福利は慌てて妹子に駆け寄る。

「ちょっと! いいんですか?」

「構いませんよ、あのくらい」

 妹子はそうとだけ言うと意外にも落ち着いた様子で踵を返した。そして隋の使者たちの安否を確認した後、新羅の商人が宥めていた馬の方へ近寄る。商人が気を鎮める草でも嗅がせたのか、先程まで暴れていた二頭の馬はすっかり大人しくなっていた。

「行きましょう。もうすぐ百済に入ります」

 何事も無かったかのようにヒラリと馬にまたがる妹子を見て、福利は複雑な顔をする。やけに対応が早い。やはり何かがおかしいと思った。もしや、全て仕組まれていたのでは。


 そんなことをしていると、先程から静かに成り行きを見ていた大和と目が合った。大和は福利に同情の目を向けると、来た時のように妹子に抱えられながら馬に乗る。その瞳には、福利と同じ困惑が映し出されていた。

 そこからは何も変わらぬ平穏な旅路が続いた。まるで盗賊騒ぎが無かったかのように静かな山を抜けていく。

 その間、大和は何を喋るでもなく妹子の鼓動に耳を済ませていた。さきほど盗賊に立ち向かおうとすれば立ち向かえたのだ。あの謁見の場で皇帝・楊広ようこうにそうしたように······。しかし、どういうわけかそこまでの焦りがなかった。無意識に身体が動くことも無かった。それはどういうことだろう。何かがおかしい、ただひたすらにそう思った。

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