懸念


 トントンというノックの音の後に、扉の向こうから「入ってもええ?」という声がした。それを聞くと、妹子は「どうぞ」と声をかける。

 おずおずと姿を現したのは大和だった。もう夜だからか彼は緩い寝巻きを着ている。そうすると、まだ幼い彼の容姿がますます子供じみて見えた。

「なぁ、こないだ言われたことなんやけど、答えが分かったから教えにきてん」

 妹子はその言葉に視線だけを返す。大和が顔を上げれば、彼は机に向かって何か書いていた。普段は冠を被るか団子に結っているその髪も、今は項の辺りで一本に緩く束ねているだけ。しかし、冷たい華のような視線はいつもと何ら変わらなかった。その針のような鋭さに、大和は思わず尻込みをする。

「俺らが人間の政治に口出しできるか、洛陽さんに聞いた」

「で? 結果は?」

 随分と素っ気なく返された。やはり信頼されていないような気がして、大和は柔く唇を噛む。

「······ダメやって。俺らは政治には手出し出来へん。頼まれたらやってもええらしいけど」

 妹子は特に質問もせずに「そうですか」と背を向ける。やはり淡白な男だと思った。

「せ、せやからな。教えてぇな、お前が何を企んでるのか······」

「企んでるだなんて人聞きの悪い」

 ピシャリと雷のような声音だった。妹子は大和から視線を外すと、再び筆を動かしながら言う。

「今日、蘇威殿に会ってきました」

「そい? 皇帝の側近の?」

「知ってましたか」

「洛陽さんから聞いた」

「彼は倭国と国交を結ぶと言ってましたよ」

 思わず「へ?」と素っ頓狂な声が出る。大和はぽかんと妹子の背を見つめた。

「ほんまに?」

「ええ。言ったでしょう、手は打ってあると」

「そ、そやからそのが何なのかを聞きたくて······」

「国書ですよ」

 妹子はサラッと言ってみせた。大和が「は?」と聞き返すと、彼はくるりと振り返る。

「前にも言いましたが、あのような国書を提案したのは私です。私は皇子みこさまに言いました。多少強気な事を書け、但し文法と文字の美しさには気をつけろ、と。前回の遣隋使が謁見を許されなかったのは国書が支離滅裂だったから。もしくは通訳が未熟だったから。ならばそれを利用すればいい。私はそう考えました」

 妹子が立ち上がって大和の横を通り過ぎる。部屋に飾られてもいないのに、ふわりと花の香りがした。

「未熟さを晒せば晒すほど、わずかな成長でも大きく見えるものです。元々優秀だと見られている者の十の成長より、駄目な奴だと言われている者の一の成長の方が賞賛される。世の中そのようなものですよ。皇子さまは指示通り今回の国書を丁寧に書いてくださった。そこに特段目立つ文法の間違いも崩れた文字もない。そして前回が酷かったからこそ、その正しさが力を持つ。そこに倭国の成長が詰まって見えるのです。皇帝が愚人だったことは計算外でしたが、逆に側近たちは優秀でした。案の定、蘇威殿は感動しておりましたよ。あの国書に込められた倭国の成長に」

 戸棚から木簡の束を取り出すと、妹子は再び机の前に腰を下ろした。それに何か書き付けながらちらりと大和を一瞥する。

「だから文法さえ間違えなければ多少強気な要望をしても通してもらえると思ったのです。ま、とりあえずこれでいいですか? これからのことは時を追って説明しますので」

「まだ何かあるんか?」

「何も隋だけが仕事場じゃありませんよ。むしろこれからが本番です。蘇威殿によればあちらからも使者を送ってくれるそうですよ。隋のしきたりでは相手国の王に謁見しなければならないとか」

 大和は一瞬眉を寄せた。だからどうした、と思った。しかし、隋の使者が大王に謁見するという言葉にハッとする。

「何故 大王おおきみの名ではなくわざわざ男性だと見られやすいような仮の名を国書に記したのか。もうお分かりでしょう」

 蝋燭の光が妹子の顔に美しい陰影を落とす。大和はそれを見つめながら自傷気味に笑った。

「大王が他国の使者に顔を見せるかどうか、分からんな」

「そうでしょう?」

 妹子がやっと分かったか、といいたげに呆れた目をする。万が一、大王と使者を会わせない事になれば隋はそれで納得するのだろうか。倭国での謁見を考えると、厩戸や馬子が使者を迎える可能性が高い。そのことを今まで忘れていた。

「あとは大王が女性であることがどう響くか······。この国では男性が尊ばれているようですね。まあ別に女帝だからと言う理由で国交を切られることは無いでしょうが、下に見られたくないのならばそこも考慮が必要かと」

 妹子が面倒くさそうに足を組む。そこまで嫌そうな顔をするならば、なぜこの役目を引き受けたのだろう。そうは思ったが口に出さないでおいた。

 外交は思っていたより難しい。肩に重荷が乗ったような気がして、大和も釣られてため息をついた。











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