偽り
「ね、貴方もそう思うでしょう? 大和さん」
突然呼ばれた己の名にビクリと肩が震えた。福利が驚いたように扉へ目を向ける中、微笑んでいるのはただ一人······余裕の笑みを浮かべた妹子だけだった。大和はその視線を感じると、一呼吸置いて恐る恐る顔を出してみせる。
「な、何で分かったん? 俺がいること」
「気配がしましたから。貴方、どこか人間と違うんですよね、雰囲気が」
当たり前だと言いたげに妹子が笑う。そこはテーブルと小棚があるだけの質素な部屋だった。妹子と福利が向かい合って腰かけており、間に置かれた灯火が彼らの顔を照らしている。丸い目で大和を見つめる福利に対し、妹子は唇に弧をえがいていた。その笑顔は先程廊下で見た表情そのもので、あの不気味な違和感が再び大和の背をなぞる。
「お前、疲れてるんか?」
「どうして?」
「だって今までそんな態度じゃ······」
「なんだ、気づいてなかったんですか? てっきり大和さんは気づいてるものだと思ってましたよ」
妹子は心底呆れたように眉を寄せた。
「こっちが素ですよ」
大和は顔をひきつらせる。今までの彼は偽りだったのか。それに気がついた瞬間ぶわりと鳥肌が立った。自分は取り残されていたのだ、何も知らずに一人だけ。それにさえ気づかなかったことに恐怖を抱く。
「まあ私の事なんかどうでもいいんですよ。問題はここの皇帝です」
大和の困惑に気づいているのかいないのか、妹子はさらっと話を進めた。そこにあるのは賢しい政権者に似た顔で、健気な地方豪族の面影などどこにもない。
「正式な儀式の場で玉座をおりる。さらに権威の象徴であろうお飾りの宝剣で異国の使者を斬りつける。そもそも初めから喋りすぎなんですよ。政に積極的なのは結構ですが、場を把握出来ぬのは皇帝として致命的。恐らく頭の良い方なのでしょうが、本当に聡明な方は周りを置いていったりしません。彼はそれが出来ていない。あれでは後に暴君とでも呼ばれるでしょうね。ただ先見の明や積極性があるだけでは駄目なのですよ、天子を目指すのならば」
「······」
福利と大和は口を閉ざした。確かに妹子の言っていることは分かる。しかし、それに同意するにはあまりにも恐れ多かった。それだけの勇気が二人にはなかった。そして、その言葉を易々と述べてみせる目の前の男が何よりも恐ろしかった。
「まあいいです。手は既に打ってあるので追い返されることはないでしょう」
「手?」
大和は思わず聞き返した。すると妹子はニコリと笑う。
「貴方にはまだ教えられませんね。素性の知れない貴方を信用出来るとでも?」
そこで大和は息が詰まった。妹子の顔には面白がるような微笑が浮かんでいた。出会ったのがたった一年前だとはいえ、共に荒い海を越えてここまでやってきたのだ。穏やかな凪の中の世間話も、荒れた潮の臨場感も、その全てを分かちあってきた。正直、大和は妹子のことを信頼していたし仲間だと信じていた。しかし彼はそう思っていなかったらしい。彼は自分のことを信頼していなかった。
その事実に声も出せずに立ちすくむ。妹子が横を通り過ぎて小部屋の扉へと向かった。大和の心がギュッと締め付けられるかのように傷んだ。
「ただ、そうですね」
部屋を出る直前、妹子が足を止めて振り返る。
「貴方は一体何者なのか、それを教えて頂ければ全て話してもいい」
「何者······」
大和は彼の顔をそっと見上げる。
「あなた方土地は、我々人間の政治に口出しできるのか否か」
妹子はキッパリとそう言った。
「私はそこが知りたい。それが分かったらもう一度私の元へおいでなさい」
小部屋の扉がカタリと閉まる。後には大和と福利だけが残された。まるで嵐の後の明け方のように、冷たく仄暗い静寂が満ちる。福利は同情するかのように大和を見つめていたが、しばらくして立ち上がった。
「もう寝ましょう、大和さん。夜も更けました」
それは涼しい夜風のような声だった。福利の言葉に頷くと、大和はとぼとぼと彼の後を追う。消された小部屋の灯火だけが、細長く煙を吐いていた。
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