福利

「大陸が見えましたぞ!」

 誰かが発した歓声に、ぼんやりと昔のことを思い出していた大和は顔を上げた。横にいた妹子も含め、全員が一斉に船の前方へと顔を向ける。

 なだらかな水平線の奥。淡い空と対峙するかのように、堂々とした黒影が見え始めていた。朝鮮半島である。ゴールが見え始めれば自然と力が湧いてくるもの。水夫かこ達が腕を振るい始めたからか、船は滑るように水面を割いて進んでいった。

 白波とともに上陸すると、多くの人が駆け寄ってくる。数名は遣隋使を待っていた港町の重鎮たちで、その他大勢は野次馬らしい。倭国の使節を一目見ようと各々首を伸ばしている。その視線に気圧されながらも、大和は初めての異国に心を躍らせた。

 ここは朝鮮半島の南西に位置する百済くだらという国だ。当時の半島は三つの国から成り立っていた。一つは、北方に位置する高句麗こうくりである。近年隋ずいと対立しているらしいとの話を厩戸から聞いていた。

 残りは南東の新羅しらぎと南西の百済くだらだ。この二国は昔から対立を続けており、度々戦を行っている。海を挟んで隣に位置する倭国とも関わりが深かった。特に百済からは多くの人が倭国に渡っており、仏教や武器の作り方などを教えてくれる。それは、現在倭国で権力を握っている馬子が百済と親しいからだろう。

 見える景色はあまり倭国と変わらないようだが、人々の言葉は全く理解ができなかった。そこで初めて、異国の風がひしひしと身に染みてくる。

「大和さん。私は族長の方にご挨拶に行ってきますね。今日はここに停泊する予定ですので」

 妹子がそんなことを言いながら船を降りていく。初めて異国に来たにしては落ち着いているように見えた。彼の後ろには数人の護衛と一人の小柄な青年が従っている。妹子も背が高い方ではないが、その青年はさらに小さな背丈をしていた。確か、通訳おさ鞍作福利くらつくりのふくりと言う男だったと思う。百済の言葉を会得しており、前回の遣隋使にも付き従っていた。第一回目の遣隋使は失敗に終わったものの、彼は隋の言葉もいくらか覚えてきたらしい。今回通訳に抜擢されたのもそれが理由とのことだった。妹子も百済や隋の言葉を学んだらしいが、何せ初めての異国である。一度遣隋を経験している福利のことは、そばに置いておきたいのだろう。

 その日は港町の人々にもてなされて眠りについた。水夫や下働きの者たちは停泊している船の中で眠っているが、大和は大使の妹子と共に港町の屋敷に案内された。久しぶりの陸地は心地よく、布団の香りが懐かしい安心感を運ぶ。大和は数週間ぶりに深い眠りに落ちていった。





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