(3)

 家にいても、陰鬱とした気分がたまるだけだ。


 そう思った俺は、外をのんびりと歩いていた。


 綾乃と距離を置いてから三日。頭はとっくに冷めきっていて、だけども彼女との連絡は一切取らないままでいる。


 理由は二つある。


 どんな顔をして綾乃に謝ればいいのかがわからないこと。そして、また同じような態度をとってしまったらどうしよう、と思っていることだ。どちらかというと、こちらの方が比重としては大きい。俺の不満、というより不安を一方的にぶつけるようなみっともない真似は、少なくとも当分の間はごめんだった。


 焦燥感と劣等感。これが俺の不安の正体だった。友達は就職へ向けて動き出し、綾乃は自立した生活を送っている。きっと将来のこともしっかりと考えていて、それに向けて動いているのだろう。


 片や俺は実家暮らしで、将来の目標なんかも決まっていない人間だ。大学生というモラトリアムを受け、抜ける意志さえ見いだせていない。


 その差異が俺には耐えきれなくなってしまって、あの日綾乃の前から逃げ出したのだ。


 距離を取ってしまったのも、綾乃に寂しそうな顔をさせてしまったのも、あまつさえ自分への好意を疑わせてしまったのも、全部自分のせいだった。


 ぐるぐると回る嫌悪の海に溺れそうになりながら歩いていると、向かいから二つの影が現れた。


 というか、片方にはめちゃくちゃ見覚えがあった。


「花楓?」

「お兄ちゃん?」


 お互いに顔を見合わせる。


 そういえば、今日は出かけるって話だったか。


「なにしてるの、こんなところで」

「散歩だよ。お前は?」

「今から家でのんびり女子会タイム」


 あー、と花楓の隣にいる女の子を見る。


「花楓の友達?」

「葉村真央です」

「あ、どうも、二宮柚真です」


 お辞儀をされたので、こちらも少し頭を下げる。

 それにしても。


「今日は例の彼氏じゃないんだな」

「それは、毎日一緒ってわけにもいかないし」

「そりゃそうだ」


 高校生にも部活とかいろいろあるだろう。


 暇を持て余している俺みたいな大学生よりも、よっぽど忙しいように見える。


「っていうか、お兄ちゃんこそ、今から綾乃さんのところ?」

「……ちげーよ。散歩っつったろ」


 目線を逸らして答える。


 逸らした先で花楓のお友達と目が合う。速攻で逆方向に視線を変えた。


「あ、そうだっけ。っていうか、この前もだいぶ暗い感じで帰ってきたし、もしかして、喧嘩でもしてるの?」

「…………」

「あれ、図星? その感じだと、お兄ちゃんが何かしたんでしょ。ちゃんと謝った方がいいよ」


 耳が痛い。言ってることもまさしくその通りなので、反論することも出来ずに受け止めるしかなかった。


「お兄ちゃんって沈むときにはとことん沈むから時間もかかるし、その間連絡とかも取らなくなっちゃうし、下手したらそのまま自然解消なんてことに」

「ちょっと、花楓」

「なに?」

「お兄さん、すごいことになってるから」

「え? ……あ」


 割と言われたことそのままの状況になっていて、なんかこういろいろとやばかった。体中から流れる汗が暑さのせいなのか冷や汗なのかもよくわからなかったし、顔もひきつるし胃も痛かった。


「えっと、……ごめんって」

「いや、うん、だいたい合ってるし……」

「……これ、いる?」


 花楓がラムネを差し出してきた。


 気まずい空気の中それを受け取る。


「えっと……ほんとごめん。お兄ちゃんと綾乃さん、仲良かったし、その……」

「いいよ別に、怒ってないって」

「うん。あ、何かあったら相談乗るからね!」

「……おー」


 多分乗ってもらうことはないだろうけど、とりあえず頷いておく。


 なんだか気合を入れている花楓を眺めていると、花楓の隣からも声をかけられた。


「あの、お兄さん」

「え、なに?」

「私からも、これ。あげます」


 その手にはストラップが乗せられていた。


「今日の戦利品です」

「あ、あぁ、そうなんだ。ありがとう……?」


 どや顔の彼女から受け取ったストラップには、デフォルメされた黒い猫の顔が引っ付いていた。


「真央、いいの? それ……」

「いいよ。これはたぶんお兄さんが持ってた方がいいものだし」

「へ? どゆこと?」


 俺もよくわからん。俺が持ってた方がいいってなんだそれ。


 だが葉村さんとやらはその疑問に答える気はないらしく、我関せずで妹の言葉を受け流している。


「……はぁ、もういいや。そろそろ家に行こう。暑いし」


 花楓も諦めたらしく、少し疲れた顔をして話を切り上げた。


「それじゃお兄ちゃん、私たちは帰るね」

「おう」

「それでは、また」


 歩いていく花楓たちを見送り、反対方向へと歩き出す。


 正直なところもう陰鬱とした気分は吹き飛んでいたのだが、後を追いかけて行くのはなんだか締まりが悪い。


 なんだかなぁ、と思いながらサイダーを呷る。


 炭酸が喉にしみて、夏の暑さが軽減されたような気がした。

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