(2)

「あー生き返る、クーラーさいこー」


 綾乃の家にたどり着いた俺は、文明の利器が生み出す涼しさを享受していた。


「はい、素麺できたよ」

「さんきゅ」


 綾乃が大皿に盛ってきた素麺を、テーブルを挟んて向かい合わせに二人で囲む。


 手を合わせてからにつけて啜る。さっぱりとした味わい。


「やっぱうまいな」

「夏といえば、だからね」


 そのまましばらく無言で食事。傍らに置かれたテレビからは街を散策するタレントの声と芸人の笑い声が流れていた。


 ややあって、綾乃が口を開いた。


「最近さ、急に暑くなったよね」

「そうだな」

「今日も外、暑かったでしょ。大丈夫だった?」

「あぁ、うん」

「そっか、それならいいんだけど」


 綾乃が答えて会話が止まる。数分後、また綾乃が口を開く。


「そうだ。この間、管理棟に用事があっていってきたんだけど」


 心臓が止まった気がした。言葉を返すことができず、口をつけようとしていた麺をじっと見つめる。


「あ、えっと。……みんな、夏休みを楽しんでるなって、それだけ」

「……そっか」


 それだけ返して、持っていた素麺を胃の中に流し込む。

 次を取ろうとして、空になっていることに気が付いた。


「……ご馳走様」

「お粗末様です。あ、片付け」

「いいよ、俺がやるから」


 立とうとした綾乃を押し止め、俺が席を立つ。


「……そっか、じゃあお願い」

「おう」


 食器を流しまでもっていき、水を出す。


 スポンジを泡立てて皿を洗いながら、さっきまでの会話を思い返す。


 あれはない、と自分でも思う。


 わざわざ気を使って話しかけてくれているのに、明らかに不機嫌ですと言わんばかりの態度を返してしまった。


 俺のわがままな感情に付き合わせて申し訳ないと思いつつも、自分ではどうしようもできないその感情に嫌気が差す。


 洗い場にあった食器をすべて洗い終え、もやもやとした気持ちを抱えたままリビングに戻った。


 その後もしばらく話すことはなく、テレビを眺めたりスマホをいじったりと各々の時間を過ごす。


 俺はいったい何をしにここへ来たのだろう。頭に浮かんだ疑問を打ち消すように、綾乃が話しかけてきた。


「そういえばさ」

「ん?」

「花楓ちゃん、うまくいったんだね」

「あー、らしいな」

「らしいって」


 不思議そうな視線が返ってくる。


「そういう話、しないの?」

「妹の恋愛事情にそこまで興味ないしな」

「そっか」


 会話が途切れる。少し空白の時間ができて、ふと気づく。


 もしかして、話題を作ってくれてたんだろうか。そっと綾乃の方を覗き見る。少し寂し方な顔をしていた。


 失敗した、と思った。


 挽回しなければ、とも思った。そんな顔をさせたいわけじゃかったし、気を使われているのもよくわかっていた。


「あー、えっと、綾乃」

「ん、なに?」

「……いや、なんでもない」


 声をかけようとして、やっぱりやめた。今の俺は、きっとどうしようもないことしか言えない。


 前まではこんなじゃなかった。言いたいことは何でも言えたし、喧嘩をしても必ず仲直りができると信じられていた。


 そうじゃなくなってしまったのは、自分の気持ちが冷めてきてしまったからだろうか。そんな風に思ってしまう自分が嫌になる。


 意味もなくスマホの画面に目を落とす。インターネットに流れる文字列や写真をなんとなしに眺め、小さく息を吐いた。


「ねぇ、柚真」

「なに?」

「私と一緒にいて、楽しい?」


 は、と顔を上げる。綾乃は寂しそうな顔で笑っていた。


「ここ最近、ずっとつまらなそうだから。もしかして、私のこと、嫌になったのかなって」


 目の前がぐにゃりと歪んだ気がした。


 綾乃が俺の返事をじっと待っている。


 それだけが視界の中心にしっかりと映っていて、すぐに否定しなければならないとを分かっているのに、言葉がのどに突っかかる。


 それでもどうにか、なんとか言葉を絞り出す。


「嫌になんて、なるわけないだろ」


 嘘ではなかった。綾乃が嫌になったわけじゃない。これは全て自分に原因があって、綾乃が気にかけるようなことじゃない。そう思えど、それを伝えきれるほど今の自分には言葉も余裕もありはしなかった。


「……そっか、よかった」


 全然よくなさそうな表情で微笑む。


 そんな顔をさせてしまっていることが不甲斐なくて、自己嫌悪に陥る。


 綾乃が何かを話していたが、耳には入れど脳が言葉として処理をしてくれない。


 ぐるぐると綾乃から出てくる音が頭を廻り、口からなのか耳からなのかあるいは目なのか、それとももっと別の場所からか、分からないけれど全てが抜け落ちていく。


 ただこの場所にいるのが苦しくなってきて、気づけば俺は立ち上がっていた。


「……柚真?」


 心配そうな声が聞こえた。けれどそれに何も答えることはできず、ただ少しだけ逡巡して、


「ごめん。今日は、帰るわ」


 それだけ言って、玄関へと向かう。


「あ……うん、気を付けてね」


 引き留めたそうな、気持ちを抑えつけたような言葉が耳に届いて、俺は綾乃の家を出た。


 蝉の音がやけに煩い。


 何かを致命的に間違えてしまったような感覚と夏の容赦ない日差しを浴びて、俺はその場に座り込む。


「……何やってんだ、俺」


 ぼやいてみても現状は変わらない。綾乃にひどい態度をとってしまったという事実だけが残ってる。


 謝らなければいけないと思いつつ、今のままではまた同じことの繰り返しになってしまうだろうとも思う。


 少し、時間を置くべきだろう。


 綾乃にメッセージを送る。


[今日はごめん]


 返事はすぐに帰ってきた。


[ううん、大丈夫!]

[気を付けて帰ってね!]

 数瞬の後。


[次はいつ会える?]


 その問いに、俺は少し迷ってこう答えた。


[悪いんだけど]


[少し、時間を空けたい]

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