二宮柚真の場合

(1)

 妹に彼氏ができた。らしい。


 今日も「デート」と言って家を出て行った。見事なまでに浮足立ってるな、あいつ。


 まぁ、初恋……とまでは言わずとも、初めての恋人となるとそうなるのも理解できるか、と過去の自分と照らし合わせて考える。


 かく言う俺も、と思考がずれそうになったところで方向修正。なんで大学に通い始めたら高校生のことが異様に若く感じるんだろうかと、ふと浮かんだ疑問も全部放り投げ、これが若さか、という感想に止めておく。


 俺たちにもあんな頃があったんだろうか、そんなことを考えてしまうのは、最近彼女との距離が開いているように思っているからなんだろう。



 俺、二宮にのみや柚真ゆうま水瀬みなせ綾乃あやのに告白をしたのは、奇しくも妹と同じ高二の夏だった。なにがきっかけで惚れたかとか、そういうのはまぁ特段語る必要もないようなありふれたもので、よく話すようになってから段々と惹かれていったというかなんというか、ともかく運よく(当時の俺は割と本気でそう思っていた)告白に成功した俺は晴れて付き合うこととなり、そして大学に通い始めて三年目に突入した今も関係が続いている。


 幸いだったのは、志望大学が同じでなお且つお互いに受験戦争を勝ち抜けたことだろうか。ぶっちゃけた話、俺はこのどちらかでこの関係が終わるものだと勝手に思っていた。遠恋なんて続くとは思えなかったし、学力だってお世辞にもいいとは言えなかったから。


 それでも、低いとは言わないものの高いとも言い切れない壁を乗り越え、キャンパスライフを謳歌し二年と少し。


 きっと、もう慣れきってしまったんだろうと思う。お互いの存在が近くにあるという、この特別感に。ただ傍にいるだけでときめくなんていう時期は、もうとっくの昔に過ぎ去っていた。


 好きでい続けるには努力が必要だ、なんて言葉はいろんなところで耳にするけれど、まさしく事実だったんだなぁとベッドで仰向けになりながらぼんやり考えていると、スマホに着信が入った。


 綾乃からだった。


「あい、もしもし」

『柚真、おはよう』

「おう、おはよう」


 朝の挨拶を交わす。朝というには少しばかり遅かったけれど、こちらは時間のあり余った大学生。予定のない夏休みの一日の始まりは大抵遅くなるものだ。問題はない。


「で、どうかした?」

『別に何もないけど。駄目だった?』

「……いや、大丈夫だよ」

『そっか。ねえ柚真』

「なに?」

『暇ならうちに来ない?』

「あー」


 少し考えるふりをする。実際ただ家で無駄な時間を過ごすだけよりもいい時間を過ごせるだろうと、頷きを返す。


「いいよ、今から準備するから、多分昼過ぎには着くと思う」

『分かった。待ってる』


 通話が切れる。


 こうして声を聴かせて、行動を起こそうとしている綾乃は、俺のことを好きでいる努力をしているのだろうか。


 朝から疑問ばかりだな、と小さく溜め息をついて、ベッドから起き上がった。




「あぢぃ……」


 家を出て数分後、すでに俺は後悔しかけていた。


 うるさく鳴り響く蝉の声が四方から響き渡り、これでもかと照らしつける太陽と熱を反射するアスファルトによって外は灼熱地獄と化している。そういえば、今日は最高気温を更新したんだっけとニュースで言っていたことを思い出した。


 そりゃ暑いはずだ、と流れてくる汗を拭い彼女の家に向かう。


 家から歩いて一時間かからない程度、立地的には大学のほうが遠く、もっといい場所があったのではないかというところで彼女は一人暮らしをしている。理由は、まぁ、家庭の事情とかいうやつ。話したくなさそうだったから聞かずにいたら数年経過してしまった。


 まぁ、知らなくても何とかなっているのだから問題はないだろう。


 ともあれ、仕送りと日々のバイトで彼女は生計を立てていて、その時点でもう俺と彼女の人間性には大きな差がついていた。


 なんだかなぁ、と茹りそうな頭で考えて、顔を覗かせたネガティブなあれやこれやを首を振って追い払う。


 とりあえず綾乃に連絡しよう。


 スマホを取り出して、通話ボタンを押す。数コールで彼女の声が聞こえてきた。


『はい』

「俺だけど」

『それはわかる。なに?』

「あと二十分くらいで着くよ」

『ん、わかった。それだけ?』

「それだけ。――あ、いや」


 そういえば、時間的にはちょうどお昼時だ。思えば少し、お腹も空いてきていた。


「今日、お昼はどうする?」

『素麺でよければあるよ』

「そっか、何か買ってくか?」

『んー、大丈夫』

「おーけー、じゃあこのまま向かうわ」

『ん、また後で』


 言葉が途切れたところで通話を終わらせ、スマホをポケットにしまう。


 炎天下、陽炎が見えそうなほどうだる暑さの中、彼女の家を目指して俺は足を進めた。

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