第陸話 【 沙耶ちゃんは眠れない 】
夜影衆が夢幻の祠に引っ越してきてから、数日がたった日の夜。
いつも通り灰夢は自室にこもりながら、黙々とゲームをしていた。
そんな灰夢の部屋の扉が、ゆっくりと音を立てずに開く。
「……?」
その扉に気づいた灰夢が振り向くと、黒い瞳が見つめていた。
「は、はこびやぐぅん……」
「何してんだ、沙耶……」
青白い顔をしている沙耶に驚きもせず、灰夢が冷静に言葉を返す。
「……今は、誰もいないのかい?」
「風花と鈴音なら、女子会だとかで言ノ葉の部屋で寝てる」
「……そうか」
モジモジした様子の沙耶が、灰夢をチラチラと横目で見つめる。
その目には、前に眠った時に消えた隈が、くっきりと付いていた。
「アレから、また寝れてないのか?」
「……う、うん」
「そうか。少し、こっちに来てみろ」
「……?」
灰夢が沙耶を手招きで近くに呼び寄せ、自分の前に座らせる。
「少し、触るぞ……」
「……え?」
そして、足から手、顔まで、何かを調べるように触っていく。
「隈以外にも、不眠症の症状が出てるな」
「あれから、抱き枕を買ったり、枕を変えたりしたのだが……」
「……ダメだったのか?」
「……うん」
沙耶が暗い顔で俯きながら、コクリと小さく頭を動かす。
「そうか。なら、もう一回、ここで試してみるか?」
「……いいのかい?」
「その為に、わざわざ来たんじゃねぇのか?」
「まぁ、それはそうなんだが……」
「睡眠不足が解消された時の沙耶は、修行中のキレもよかった」
「……運び屋くん」
「修行効率にも繋がるなら、俺も少しぐらいは手を貸してやる」
「そうか……。ありがとう、恩に着るよ……」
灰夢が布団を敷き、その上に寝巻き姿の沙耶が横になる。
「だが、俺が横に居なきゃ眠れないのも問題だな」
「なら、今日は前回と違って、このまま一人で寝てみようと思う」
「そうか。なら、俺は横でゲームしてるから……」
「あぁ……。おやすみ、運び屋くん……」
「……おう」
そういうと、沙耶は一人で丸くなり、灰夢の横で眠りについた。
☆☆☆
「すやぁ、すやぁ……」
「とか言ってた割には、めっちゃついてくるな。こいつ……」
眠ったまま抱きついてくる沙耶を、灰夢が呆れ顔で見つめる。
「沙耶、離れろ。これじゃ、前回と同じだぞ……」
「んんぅ……」
灰夢が沙耶の両手を引き離し、少しだけ布団との距離を置く。
「これでよし……。ったく、こいつは……」
「まっ、て……」
「……ん?」
沙耶の声を聞いた灰夢が、起きたのかと思い視線を向ける。
すると、沙耶は怯えるように、毛布を抱えたまま震えていた。
「おいて、いかないで……」
「……沙耶?」
「たす、けて……」
「……っ!?」
いつもは見せないような弱気な声と、瞳から流れる涙を見て、
何かを察した灰夢が、ゲームを辞めて自分の布団の中に入る。
そして、沙耶の横に寝そべりながら、そっと身体を抱き寄せ、
優しく頭を撫でると、沙耶はホッとしたように眠りについた。
「なんだったんだ、今のは……」
「……灰夢はん?」
「……あ?」
部屋の扉から聞こえた声を聞いて、ふと灰夢が顔を上げる。
すると、様子を見に来た神楽が、隙間から顔を覗かせていた。
「神楽、お前も来たのか」
「少し、気になってな」
「……そうか」
子供のように眠っている沙耶を見て、神楽が笑みをこぼす。
「よかった、ちゃんと眠れてるようやな」
「今、少し
「……そうか」
神楽が静かに横に座り込み、眠っている沙耶の頭を撫でる。
「神楽……。お前、沙耶の眠れない理由を知ってるのか?」
「まぁ、一応な。あくまで、推測やけど……」
「よければ、俺にも教えてくれ。可能なら治してやりたい」
「…………」
神楽は少し悩んでから口を開くと、沙耶の過去を語りだした。
「今から十年以上前に、わては沙耶を、ある実験施設で見つけた。
そこは生物を培養したり、生物実験なんかを行っとったそうや。
わてが着いた時には、もう研究施設はもぬけの殻になっとって、
誰もいない施設の中を、見たこと無い怪物が歩き回っとってな。
手に負えなくなった怪物のせいで、研究員は逃げ出しとってな。
その施設に残されたままの実験体たちが、怪物に喰われとった。
そこで、沙耶は怯えながら、部屋の中で蹲っとったそうなんや。
せやけど、匂いで嗅ぎ付けられたのか、その怪物に見つかって、
わてが見つけた時には、その怪物に喰われる寸前やったんやわ。
結果的には、無事に沙耶の事を守り抜くことは出来たんやけど、
あの時のトラウマが、きっと記憶の中に刻まれとるんやろうな。
それからというもの、沙耶は不眠の体質になってまったそうや。
わても色々と試してきて、だいぶ性格は明るくなったんやけど、
それでも、過去の恐怖を忘れることが出来るわけやないやろし。
あれから十数年たった今でも、トラウマは消えとらんのやろな」
そう灰夢に告げる神楽は、娘を心配する母親の顔をしていた。
「……そうか」
「せやけど、灰夢はんの横では眠れるんやな」
「みたいだな。俺にも、よく分からねぇが……」
「わてでもダメやったのに、ちょっと悔しいわ」
「なんで、お前が拗ねてんだよ。神楽……」
頬をぷっくらと膨らませる神楽に、灰夢がしかめっ面を向ける。
「でも、安心できる場所が見つかって、ほんまに良かったわ」
「……そうだな」
頭を撫でられながら、灰夢と神楽に優しく見守られる沙耶は、
普段は見せない子供のような表情で、幸せそうに眠っていた。
☆☆☆
翌日の昼過ぎに、日の光を浴びた沙耶が静かに目を覚ます。
「んんぅ、はぁ……。あれ、今、何時だ……?」
沙耶が今の時間を確認しようと、身体を動かそうとした瞬間、
寝ている灰夢に抱かれていることを自覚し、思わず目を見開く。
( ──んっ!? どういう状況、これ……っ!? )
いつもは見せないような灰夢の温もりに、沙耶が一人で戸惑う。
だが、ガッチリと固定された身体は、身動き一つ取れなかった。
「運び屋くん、起きてくれ……。運び屋くん……」
「んんっ……。おう、起きたか……」
「あぁ……。起きたには、起きたのだが……」
「……ん?」
完全に抱きしめられたままの状況に、沙耶の頬が赤く染っていく。
「これは一体、どういう……」
「あぁ……。お前が昨日、一人で
「もしかして、ボクを安心させる為に、運び屋くんから……」
「まぁ、そんなところだ……」
思わぬ灰夢の優しさを前にし、沙耶の鼓動がドクンッと高まる。
そんな沙耶を抱きしめたまま、寝ぼけ眼の灰夢が静かに微笑む。
「よく眠れたか? 沙耶……」
「は、運び屋くん……」
「……ん?」
妙なギャップとシチュエーションのせいか、いつもの違う灰夢が、
まるで、フィルターが掛けられているかのように、かっこよく映る。
「ボ、ボク……。ボクは……」
「……?」
そんな灰夢に、感情の高ぶった沙耶が何かを言おうとした瞬間、
全ての空気をぶち壊すように、灰夢の部屋の扉が勢いよく開いた。
「──運び屋さんっ! 沙耶姉、知ら……な、い……す、か……」
「あっ……」
部屋に乗り込んできた透花と、抱きしめられた状態の沙耶が、
無言で見つめ合ったまま、部屋の中に気まずい空気を醸し出す。
「沙耶姉、あんた……。運び屋さんと、そういう関係だったんすね」
「──ち、ちがっ! これは、そういうんじゃなくて……」
「──この、裏切り者〜っ!」
「──だから、違うってっ! 話を聞け〜っ!」
勘違いしている透花と、灰夢の腕から抜け出した沙耶が、
ガヤガヤと騒ぎ立てながら、部屋の中でバタバタと暴れ出す。
そんな二人を、透花と一緒に来た夜影衆の子供たちが見つめる。
「何事だ、一体……」
「なんだか、修羅場に突入したみたいですね」
「雅弥お姉ちゃん……」
「修羅場って……」
「なんですか……?」
「それはね。みんな、狼くんが大好きってことだよ」
抜け駆けした沙耶に怒る透花と、それを否定する沙耶の二人を、
灰夢は面倒くさそうに見つめたまま、大きく溜息をついていた。
「はぁ……。朝っぱらから、うるせぇなぁ……」
それからというもの、色んな意味で居心地の良さを覚えた沙耶は、
度々、宿を抜け出しては、灰夢の部屋で寝るようになるのだった。
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