第肆話 【 とある少女の恋物語 Ⅳ 】

 結局、私が起きた時には、お兄さんは仕事に行ってしまい、

 私は自分の住んでいるマンションへと一人で帰るのでした。





 暗い夜道が、一人の時はいつもよりも長い道のりに見えます。


「はぁ……。人の心って、難しいなぁ……」


 相手の年齢は自分の数十倍、時代が違ければ考えだって違う。

 向こうからすれば、私は赤子同然のただの子供なのでしょう。


 それが分かっていても、想いは止められない。そんな葛藤が、

 辛くて、苦しくて……。でも、出会えた奇跡が嬉しいと思う。


 そんな複雑な心の感情に、私の頭が掻き乱されてた時でした。


「う、うぅ……」

「……ん?」


 知らない一人の男性が、苦しそうな声を上げて倒れています。



( どうしよう……。怖いけど、でも…… )



 正直、あまり良い思い出がない為、男性の方は苦手ですが、

 誰かが困っているのなら、迷っている場合じゃないですよね。


「……あの、大丈夫ですか?」

「……せろ」

「……え?」


 私が聞き返そうとした瞬間、男性は突然、バッと立ち上がり、

 目の前にいる私に向かって、覆い被さるように襲ってきました。


「──キャッ!? 何、離して──」

「──ヤラせろッ!! ヤラせろッ!!」

「──やめてくださいっ! だれか、たすけっ……」


 誰もいない夜道で、知らない男性に馬乗りにされた私は、

 誰にも見つけられず、好き放題にされるのだと思いました。



( どうして……。私ばかりが、こんな目に…… )



「オンナ、オンナァァアア……」

「おねがい、たすけて……」



























           ( ……お兄さん )



























 その瞬間、フワッと身体が浮くように、男性が吹き飛びました。


「ようやく見つけたぞ、手こずらせやがって……」

「オンナ、オンナァァアアアッ!!」


 私が顔を上げると、男性を捕えるお兄さんの姿がありました。


「お兄さん……。どうして、ここに……」

「……ん? 氷麗……? お前こそ、何で、ここに居るんだ」

「その、今、帰りで……」

「そうか。悪ぃ、今日は泊まるように言っときゃ良かったな」


 そんなことを言いながら、男性を片手で押さえているお兄さん。

 すると、男性の身体から、黒いモヤの何かが溢れ出したのです。


「お兄さん、その人……」

「コイツは『 呪い人 』、今回の依頼の獲物だ……」

「……呪い人?」


 モヤが形を成すように集まりだし、力強く地に足をつきました。



『……ギギギッ! ギャァァァ、オンナ、オンナァァッ!!』



 それは、無数の手と瞳……。そして、大きな口を持つ何かでした。


「な、なな、なんですか……。あれ……」

「コイツの中に入ってた呪霊だな」

「……呪霊っ!?」

「人の心の負の感情が身体から抜け出し、形を成した異形の化け物だ」

「……人の心の負の感情? もしかして、この男性の……」

「いや、その男じゃない」

「……違うんですか?」

「呪霊は形を成すと、欲望を発散しようと周囲の人間に取り憑く」

「……周囲の人間?」

「あぁ……。その邪念の原因にもよるが、大体は弱っている奴だな」

「取り憑かれたら、どうなるんですか?」

「理性を失った廃人のように彷徨い、呪霊の欲望のままに暴走する」

「そ、そんな……」

「実際、世の中の犯罪には、呪霊が原因の犯行も少なくはない」

「じゃあ、あの異形は……」

「あぁ……。己の欲望を発散させる為に、お前を襲ったんだだろ」

「…………」


 そんな説明を聞かされた私は、全身から鳥肌が立ちました。

 もし、今……。お兄さんが助けに来てくれなかったら──


「安心しろ、氷麗……」

「……え?」

「この街に俺らがいる限り、お前は必ず守ってやっから……」

「……お兄さん」

「それに、お前は運がいい」

「……運が、いい?」

「呪力を感知し呪霊を狩れるのは、だからな」


 お兄さんが私の前に立ち、自分の影を大きく広げていきます。

 すると、相手よりも何倍も大きな獣が、影から出てきました。


『……ギギギッ!?』

「食事の時間だ、牙朧武……」

『うむ、吾輩なら一口じゃ……』


 その巨体に見合わない速度で動き、獲物を喰らう牙朧武さん。



『ギギギ、ガギギギャアアッ……』



 その姿は正直、どう見ても正義の味方とは思えませんでした。


「うっし、終わったな」

『やれやれ、腹の足しにもならん……』

「足しになられてたまるか。お前の呪いが上書きされたらどうすんだ」

『吾輩の中の感情を上書き出来るものは、おらぬと思うがのぉ……』

「そう出ないと困る。任務は終わった、あの男を連れて帰るぞ」

『うむ、承知じゃ……』


 何事も無かったかのように、影の中へと消えていく牙朧武さん。

 そんな牙朧武さんも、今の異形と同じ『 呪霊 』だとしたら、

 お兄さんの影に取り憑いている理由は、一体何なのでしょうか?


 お兄さんは、不死の身体だから、何ともないのかもしれませんが、

 もし、お兄さんも同じ【 呪い人 】ならば、お兄さんの心も──


「なぁ、氷麗……」

「……はい?」

「お前には、今の俺が何に見える?」

「何って、それは……」


 その質問の意味は分かりませんが、私は答えられませんでした。

 そんな中、近くの小道からカラッカラッと下駄の音が響きます。


「あら……。やっぱり、もう終わっていたのね」

「……あ?」

「うふふっ……。さすが、灰夢くん……」

「……霊凪さんか」


 小道の影から出てきたのは、店の女将である霊凪さんでした。


「霊凪さん……。どうして、ここに……」

「呪い人の依頼の話を聞いて、少し心配になっちゃってね」

「もしかして、私の為に……」

「まぁ、その必要は無かったみたいだけど……」


「意外とすばしっこくて、手間はかかったけどな」

「だとしても、氷麗ちゃんが無事なら御の字よ」


 霊凪さんは微笑みながら、私の手を優しく取ってくれます。


「大丈夫だった? 氷麗ちゃん……」

「はい。お兄さんが、助けてくれたので……」

「ふふっ……。そう、良かったわ……」


 それでも、さっきの恐怖が忘れられなかった私を察してか、

 霊凪さんが頭を撫でながら、優しく抱き寄せてくれました。


「氷麗ちゃん……。今日は、うちに泊まって行きなさい」

「えっ、でも……」

「言ノ葉も、きっと喜ぶわ。だから……ね?」

「……はい、ありがとうございます」


「んじゃ、帰るか」

「灰夢くん、その男性はどうするの?」

「影に入れておく。帰って唯に渡せば、あとは処理してくれんだろ」

「そうね。なら、先にメールで連絡しておくわ」

「あぁ、頼む……」


 そういって、私は二人に連れられながら、再び祠に向かいました。


「ねぇ、氷麗ちゃん……」

「……はい?」

「良かったら、後で皆でお風呂に入りましょ……」

「ふふっ、そうですね。是非……」


「灰夢くんも、良かったらどう?」

「入るわけねぇだろ。お前の旦那に殺されるわ」

「あら、残念……」





 いつものツッコミを入れながら、私たちの前を歩くお兄さん。

 そんなお兄さんの背中は、何故か、いつもより悲しげでした。



























 異形の魔物を影に宿し、死ぬことのない身体を持つ異様な人間。

 そう、頭で分かっていても、お兄さんのことが気になるのです。


 そんな、私は……。やっぱり、人としておかしいのでしょうか?

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