第弐拾壱話【 夢幻桜 】
戦いを終えた狼牙が目を覚ますと、輝きを放つ白い満月と、
狼牙の生み出した黒い月が重なり、蒼い光を降り注いでいた。
( ……俺は、生きてるのか? )
自分のボロボロになった服を見ながら、
あの戦いが現実だったことを朧気に悟る。
そして、再び夜空を月の光を見上げると、
狼牙の脳裏に、一人の少女の言葉が蘇った。
( 蒼い月が出た時は、一緒に見ようねっ! ロウガくんっ! )
その言葉と共に、刹那の傷ついた姿が目に浮かぶ。
「せ、つな……」
そう小さく呟くと、狼牙は癒えたばかりの足を使い、
フラフラと起き上がりながら、刹那の元へと向かった。
☆☆☆
狼牙が木々を抜けると、刹那を抱えた神楽が、
小さなクナイを構えながら、睨みつけていた。
「……神楽」
「……狼牙はん、意識あるんか?」
「あぁ……。どうやら俺は、まだ死ねないらしい」
「いや、そうじゃなく……。狼牙はん、呪いが……」
「……呪い?」
「…………」
呪力を纏っていた面影も無く、平然と答える狼牙の姿に、
驚きを隠せない神楽が、目を丸くしながら言葉を失くす。
「……よ、かった……。ろうが、くん……」
「刹那、終わったぞ……」
「……うん」
神楽に抱かれたまま答える刹那の瞳は、微かに潤んでいた。
「……神楽、傷はどうだ?」
「傷はもう、大丈夫や……」
「そうか、よかった……」
「ただ……」
「……?」
答えにくそうに目を逸らしながら、神楽が手を退けると、
そこには、目を疑うほどに細くなった刹那の身体があった。
「なんだよ、これ……」
「霊鬼から吸われた精気までは、わてにも治してやれん」
「それって、まさか……」
「…………」
答えを返すことなく、その場に固まったままの神楽を見て、
変えることの出来なかった現実を、狼牙が肌身に感じ取る。
「……ご、めん……ね、ろう……が、くん……」
「……刹那」
涙ながらに告げる刹那を見て、狼牙は悔しげに拳を握った。
「…………」
「…………」
互いに何も言わないまま、二人は静かに見つめ合うと、
狼牙が拳を緩め、痩せた刹那の身体を優しく抱き上げる。
「ろ、狼牙はん……」
心配そうに声をかける神楽に、狼牙が一言だけ言葉を返す。
「悪ぃ、神楽……。今だけは、二人にしてくれ……」
「…………」
そう神楽に言い残すと、狼牙は刹那を抱き抱えたまま、
月明かりの差し込む山道の中へと、静かに姿を消した。
☆☆☆
山道を照らす月を見ながら、狼牙と刹那が山道を進む。
「刹那、見てみろ……」
「…………」
「あれが噂の『 蒼い月の光 』ってやつじゃねぇのか?」
「…………」
「これなら、あの桜も咲いてるかもしれねぇな」
「…………」
「この山も、ボロボロになっちまった」
「…………」
「まぁ、引越しをするには、ちょうどいいタイミングか」
「…………」
「二人で静かな場所に行ったら、まずは何をするかな」
「…………」
刹那の力の無いの笑顔に、狼牙は必死に語りかけながら、
自分の住んでいた社の前に立つ、夢幻桜の元へと向かう。
☆☆☆
「…………」
「…………」
社の前に着き、夢幻桜を見た狼牙が無言で立ち尽くす。
そこには、いつも通りの姿で枯れた桜の木が立っていた。
「ははっ、咲いてねえのかよ」
「…………」
「こういう時ぐらい、空気を読めってんだ……」
「…………」
狼牙が刹那に笑いかけると、刹那がゆっくりと微笑む。
それを見て小さく微笑むと、狼牙は刹那を抱えたまま、
ゆっくり歩き出し、社の前の段差の上に腰を下ろした。
「なぁ、刹那……」
「…………」
「初めて会った時のこと、覚えてるか?」
「…………」
枯れた桜の木を見つめながら、狼牙がゆっくりと語り出す。
「お前と初めてあった時は、俺を見て大泣きしてたよな。
あの時は俺にも訳がわからなくて、すげぇ焦ったもんだ。
それからは毎日毎日、凝りもせずに山の上まで遊びに来てよ。
人の気も知らねぇで、心の中まで土足で踏み込んできやがって、
お前の無茶ぶりに付き合わされてから、何度痛い目にあった事か。
それも、今になって考えてみると、忘がたい思い出だな。
グルドたちとも、いつの間にか打ち解けやがって、
お前を運んできてたのも、あいつらだったんだよな。
どいつもこいつも、グルになって俺を振り回しやがって、
お前らのそんな優しいところが、俺は最後まで苦手だった。
お前の持ってきた本の話も、狼が敵になる話ばかりだったな。
毎日毎日持ってきては、同じように狼が痛い目を見る話でよ。
でも、お前は『 狼がヒーローの話もあるはずだ 』って、
最後の最後まで意地を張りながら、そんな夢物語を探してた。
そんな、お前の真っ直ぐな心に、俺は惹かれてたんだろうな。
でも、俺は素直じゃねぇからさ。馬鹿みたいに意地を張って、
どこまでも素顔を隠しながら、気付かないふりをしてたんだ。
でも、お前の不器用でも真っ直ぐな目には、そんな事は関係なく、
俺の御面の下に隠してる素顔にも、きっと気がついてたんだよな。
だから、俺もいつの間にか、お前の存在が当たり前になってた。
お前が来なくなってから、俺の生活は元通りの日常に戻った。
でも、今まで通りのはずなのに、何かが欠けたようだったんだ。
それが、何故か分かるまでは、随分と時間がかかっちまったな。
終いには、お前を迎えに行く前にグルドのやつを怒らせちまった。
あいつ、キレると意外と怖いんだぞ? 知ってるか?
まぁ、元々顔が怖いから、何となく分かるとは思うが。
おかげで目が覚めて、お前に会いに行く決心がついた。
お互い、この現実から逃げるのに、大怪我しちまったが、
不死身だの天女だの言われる俺らなら、きっと大丈夫だろ。
お前と二人だったら、どこに行っても楽しめる気がするんだ。
また、昔みたいにふざけながら、笑顔の絶えない日々を送ろう。
出来ることなら、こんな雪だらけの寒いところじゃなくて、
もっと暖かい、自然を感じられるような開けた場所がいいな。
大きな湖があって、周りには、たくさんの花が咲いてて、
それを二人で見ながら、今みたいに思い出話でもしよう。
そしたら、こんな苦しい時間も、きっと笑い話にできるから──」
そう刹那に笑いかけると、刹那は力の無い手を動かし、
狼牙の頬に手を当てながら、微かな声で小さく呟いた。
「ろうが、くん……」
「……ん?」
「いつか、もう一度……」
「…………」
「もう、一度……。生まれ、変われたら……」
「……っ!?」
「その、時は……」
「……刹那」
「また、わたしを……。見つけ、てね……」
「 ……だいすき、だよ……。ろうが、くん…… 」
「刹那……。そんな、最後みたいなこと……」
「…………」
狼牙を見つめる刹那が、辛そうな表情で必死に微笑むと、
涙で潤んだ小さな瞳から、柔らかい頬を伝って雫が流れる。
──その瞬間、目の前に立つ桜の木が蒼く輝き出した。
「──っ!?」
夜空に浮かぶ満月が傾き、黒い月と桜が一直線に重なる。
それと同時に、物語の魔法のように、蒼い桜が咲き誇る。
その魔法は瞬く間に、満開の桜の花びらで二人を包んだ。
「夢幻、桜……。本当に、咲きやがった……」
その幻想的な光景に、狼牙が思わず目を疑い言葉を失くす。
蒼き月の光に照らされながら、夜空を花弁が舞い散る光景は、
二人を祝福するかのように、鮮やかな世界へと染め上げていく。
「刹那、見てみろ……。お前の見たかった、幸せの桜だ……」
「…………」
「これで、俺たちも……刹那?」
「…………」
言葉を返さない刹那に、狼牙がそっと視線を向ける。
すると、そこには静かに微笑んだまま、両目を閉じ、
狼牙の腕の中で眠る、幸せそうな刹那の姿があった。
「なぁ、刹那……」
「…………」
「お前まで、俺を置いていかないでくれ……」
「…………」
「一緒に桜を見ようって、お前が約束したんじゃねぇか……」
「…………」
「なぁ、刹那……。凄く、綺麗だぞ……」
「…………」
「これ見たら……。幸せになれるんじゃ、なかったのかよ……」
「…………」
「なぁ……。せ、つな……」
「…………」
「へんじ……。して、くれよ……」
「…………」
「せつ、な……」
刹那の細くなった小さな身体を、狼牙が涙を流しながら、
己の無力を噛み締めるように、ギュッと強く抱きしめる。
「なんで……。なんで、どうして……」
「…………」
狼牙が語りかける度に、頬を流れ落ちる涙が、
白く積もった雪を溶かすように染み込んでいく。
「せつ、な……。せつなぁ……」
「…………」
悲しみのこもった狼の遠吠えが、静かな夜の山に響き渡る。
蒼き月の光に照らされながら、夜の景色を彩る桜の花弁は、
二人の悲しみを運ぶかのように、夜の空へと消えていった。
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