第弐拾話【 涙の咆哮 】

 狼牙は死術を体に取り込み、全身の血流を加速させると、

 一歩目から足を折り、目にも止まらぬ速度で動き出した。




「──ヴアァァアァァアアァァァアアァァァッ!」

「──うらああぁぁああッ!!!」


 振りかぶる腕を避けた狼牙が、霊鬼を山へと蹴り飛ばす。



( ただ、笑っていて欲しかった── )



 吹き飛んだ霊鬼が体勢を立て直し、前を向くと同時に、

 目の前に飛んできた狼牙が、尽かさず追撃を叩き込む。


「──ヴァウゥッ!?」

「──くたばれッ!!!」


 地面に顔をめり込むように、打ち付けられた霊鬼に、

 狼牙は追い打ちをかけると、力一杯の拳を叩き込んだ。



( 幸せになって欲しかった、それだけなのに── )



 霊鬼が反撃を試みようも、全てを力技でねじ伏せていく。

 まるで、感情の重さそのものが、のしかかるように──



( なのに……。何故、それすら許されないんだッ!!! )



 リミッターを開けた狼牙は、無我夢中で攻撃を繰り返す。

 拳を入れる度に腕が砕けるも、痛みを感じる間もないまま、

 破壊と再生を繰り返しながら、感情の全てを叩き込んでいく。



 ( 自ら望んで、生まれた訳でもないのに── )



 その姿は人間ではなく、獣でもない、ドス黒い影のような、

 禍々しいオーラを纏う、この世のものとは思えない姿だった。


「……狼牙はん」

「…………」


 必死に治療を行う神楽と、神楽に抱えられた刹那が、

 山を翻すひるがえ勢いで暴れる狼牙の姿を、静かに見つめる。


 怒りと憎しみ、恨みと絶望、その全てを込めて、

 荒れ狂う一人の青年が、世界を相手に抗うように、

 恨みを体現した魔物に向け、一心不乱に怒りを注ぐ。



























    ──そんな青年の頬には、儚き少女を想う一筋の涙が流れていた。



























 ( なぁ、神様……。こんな苦しみと絶望に満ちた世界なら、


         ──どうして、俺たちに『 心 』なんてくれたッ!!! )



























 その青年の溢れる憎しみは、神の怒りを買ったかのように、

 必死に足掻く霊鬼の声すら届かぬほど、大地を震わせていた。


「おら、立てよ。クズ……」

「ヴアァァァァ……」

「同じバケモノになってやったんだ。ガッカリさせんじゃねぇ……」


 全身を包む灰で、壊れた肉体を再生させながら、

 歩み寄る狼牙の姿に、ボロボロの霊鬼が後ずさる。


 そんな狼牙の背後からは、影を具現化したような、

 紅く鋭い瞳をした黒い獣が、霊鬼を睨みつけていた。


「あれは、呪力……? まさか──」


 その姿を見た神楽が、慌てて自分の背後を振り返る。

 すると、そこに眠る狼たちの死体から黒いオーラが溢れ、

 狼牙を包み込むかのように渦巻き、影を具現化させていた。



( 狼牙はん……。家族の憎しみまで、その身に背負って…… )



「……じゅ、りょく?」

「呪力は、心から切り離された負のエネルギーや……」

「負の、エネルギー……」

「あそこまで濃い呪力に吞まれたら、もう、元の人間には……」

「そんな、狼牙くん……」


 悲しげな瞳で見つめる刹那の先を歩く、一人の青年が、

 霊鬼を殺すことだけを求め、その身に怨念を纏っていく。


「お前を殺せるなら、罪でも呪いでも背負ってやる」

「ヴァウゥ……」

「テメェだけは、俺が死んでも許さねぇ──」



( ごめんな、刹那……。約束、果たせなさそうだ…… )



「──死ねッ!」

「──ッ!?」


 歯を噛み締めると同時に、目にも止まらぬ速度で駆け出し、

 何度も何度も地面に叩きつけては、無数の攻撃を叩き込む。



( でも、もう……。これで全部、終わらせるから── )



「──うらぁッ!」

「──ヴァッ!?」


 狼牙が脚を砕きながら、霊鬼の身体に蹴りを打ち込むと、

 厚い雲のかかった空の上へと、力いっぱいに蹴り上げた。


「ヴゥ……」


 蹴り上げられた霊鬼の瞳に、白く輝きを放つ大きな満月と、

 己の心に鬼を宿し、呪いを纏った一人の青年の姿が映り込む。



 ──それを見た霊鬼が、微かに口を動かす。



「……ユル……シ、テ……」


 その言葉と共に、狼牙は身に纏う呪力を集め、

 涙を流す霊鬼の懐に、最後の一撃を打ち込んだ。


「夜天に散れ、痴れ者が──」



























     ( ありがとう、刹那……。俺は、お前に出会えて── )



























           ( ──本当に、幸せだった )



























          【  ❖ 幻影呪術・月影げんえいじゅじゅつ・げつえい ❖  】



























 放たれた呪力の禍々しい爆発は、空を覆う雲を一瞬で払い、


       夜空に浮かぶ白い月と、呪力でできた黒い月を生み出した。

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