第弐話 【 悪魔 】

 とある中学校の屋上の柵の外に、少女はいた。





「…………」


 段差の後ろに、綺麗に揃えられた上履き。

 普段と何ら変わらない、夕暮れ時の校庭。


「…………」


 まるで、全ての希望すら失ったかのような、

 光のない瞳で、少女は静かに校庭を見下ろす。


「…………」


 その時、まるで心の声ように、脳内に声が響いた。


(ふっふっふ、人間共が……)

「何も知らないで、平和に暮らしやがって……」

(わたしが本気になれば、あんな奴ら一瞬で……)

「そうだ。全て殺して、見返して……ん?」


 ふと、正気に戻った少女が、何となく後ろを振り返ると、

 目隠しをしたヤクザ風の男が、柵の中から見つめていた。


「……え?」

「──やぁっ!」

「──うわぁっ!?」


 その姿に驚いた少女が、思わず足を踏み外す。


「……へ?」

「……あっ」

「──ひゃああぁぁああっ!」

「おっと……」


 落ちそうになる少女の手を、白服の目隠し男がパッと掴むと、

 そのまま柵の内側まで、ゆっくりと落ちないように引き戻した。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

「……大丈夫?」

「し、死ぬかと思った……」

「ごめん。人類を見下す魔王ごっこが楽しそうだなって思って、つい……」

「……そ、んな……特殊な、遊びは……して、ません……」


 少女が深呼吸をしてから、冷静さを取り戻すと、

 傍で見つめる男の表情を、じーっと睨みつける。


「君、こんなところで何してたの?」

「何って……。それは、その……」


 気まずそうに目を逸らす少女の前に、男がゆっくり腰を下ろす。


「あなた、誰ですか?」

「……僕? 僕は……悪魔だよ」

「……悪魔?」

「そそ。寿命で終わる人の魂を狩り取るのが仕事でね」

「そんな言葉、本気で信じると思っているんですか?」

「別に信じなくてもいいけど……」

「そうですか。でもまぁ、ちょうど良かったですね」

「……ん?」


 少女はそっと立ち上がると、再び校庭を見つめる。


「もう、わたしの人生は終わりますから……」

「あぁ〜っ! ちょっと待って!」

「なんですか、魂が欲しいんでしょ?」

「自殺ってね、ノーカウントなんだよ」

「……ノーカウント?」





「僕たち悪魔は役目を終えて、寿命で出てきた魂を集める。

 それを集めた数で、僕らの魔界での成績が決まるんだよ。


 でも、自殺の場合は、自ら魂を捧げる行いだから、

 役目を終えていない魂は、ノーカウントになるんだ。


 だから、出来れば役目を終えてから死んで欲しいかな」





 そういって、悪魔が小さな笑みを見せる。


「悪魔の都合なんて、わたしには関係ないです」

「まぁ、そりゃそうだよね」

「いつ来るか分からない寿命なんて、待ってられない」

「あっ、それは大丈夫だよ。君、一週間後に死ぬから……」

「……え?」


 その突然の宣告に、少女が固まった。


「だから、僕がこうして迎えに来たんだもん」

「な、なるほど……」

「せっかくだからさ、あと一週間だけ頑張ってみない?」

「で、でも……」

「お願いっ! 僕を助けると思ってさ、ね?」

「…………」


 困った顔で告げる悪魔に、少女は無言で頷いた。


「やった〜っ! ありがとっ!」

「ちゃんと、一週間後に死ぬんですよね?」

「うん、もちろん。僕の目に狂いは無いさっ!」

「そもそも、本当に悪魔かも、まだ怪しいんですけど……」

「ん〜、じゃあ……。こういうのを見せたらいいかな?」

「……え?」



 ──その瞬間、悪魔が少女の前から消える。



「き、消えた……」

「ほら、こっちこっちっ!」


 声の方に振り向くと、悪魔は貯水タンクの上に座っていた。


「瞬間……移動?」

「どうだい? 少しは信じてくれたかな?」


 そういって、悪魔が瞬間移動を繰り返し、

 再び少女の前に戻って、そっと腰を下ろす。


「嘘……。本当に、悪魔なんだ……」

「……まぁね」

「どこかのヤクザの組長だったら、どうしようかと思いました」

「あははっ、どこを見たらそんな風に見えるのさ」


「……え?」

「……え?」


 無言の沈黙が、二人を包む。


「僕も君に、ひとつ聞いてもいいかな?」

「……はい。何でしょうか?」

「なんで、自殺しようと思ったの?」

「そ、それは……」

「……ん?」

「……イジメです」


 ボソッと小さな声で、少女が答える。


「イジメかぁ……」

「どうせ、『 そんな簡単な理由で…… 』とか、思ってるんでしょう?」

「いやいや、そんなことは無いよ。言葉も集えば、数の暴力だから……」

「いいんです。この気持ちは、どうせ当事者にしか分からないから……」


「その意見も一理あるね。僕なら、やり返せばいいのにって思うし……」

「そんなことしたら、悪化するに決まってるじゃないですかっ!」

「でも、どうせ死ぬんだし、最後くらい良くない?」

「それは、その……。そっか、わたし……どうせ死んじゃうのか」

「……うん」


 悪魔の言葉で冷静になった少女の表情は、

 何かが吹っ切れたように落ち着いていた。


「そうか。なら、最後くらい……。やり返しても、いいかな……」

「そうそう。どうせ最後なんだし、パーッと一週間やり切ってみなよ」

「わ、分かりました……。よし、やってやりますっ!」

「うん、その意気だ。頑張ってっ!」





 そういって、少女は拳を掲げ張り切っていた。

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