第漆話 【 お見舞い 】

 ある土曜日の朝、氷麗は洗面台に向かうと、

 自分の体が、ふらついている事に気がついた。





( あれ、なんだろう……。風邪、かな…… )



 フラフラとした足取りで、再びベッドに向かう。

 そして、布団の中に入ると、静かに天井を見上げた。



( これじゃ、お兄さんのところ、行けないなぁ…… )



 まだ部屋にこもっていた、過去の自分を思い返し、

 ふと、一人で孤独に生きていた時の辛さを思い出す。



( お兄さんに、会いたい…… )



 そんなことを一人で思いながら、一筋の涙を流し、

 孤独を誤魔化すように、氷麗は再び眠りについた。



 ☆☆☆



 そして、眠り始めてから小一時間が経った頃──


 ふと、氷麗が朦朧とした中、静かに目を覚ますと、

 じーっと自分を見下ろしている人影に気がついた。


「……だぁれ?」

「あっ、悪ぃ……起こしたか?」

「……おにぃ、しゃん?」

「生きてはいるみてぇだな。……少し動くなよ」


 そういって、灰夢が氷麗の首元に、そっと手を添える。


「えへへ、おにぃしゃんらぁ……」

「あ〜、ダメだな。中身が死んでらァ……」

「死んれないれしゅよぉ……」

「38、6℃……。まぁ、普通に風邪ってところか」

「えへへぇ、おにいしゃぁん……」

「まぁ、肉体が死んでねぇだけマシか」


 冷静に氷麗を診断すると、灰夢が部屋の出口に向かう。


「飯を作ってやるから、そのまま寝てろよ」

「…………」


 そう告げると、灰夢は部屋を出ていった。



( 私……。お兄さんに会いたすぎて、幻覚まで…… )



 そんなことを思いながら、氷麗が天井を見上げる。


 そして、一瞬首元に触れた手を思い返すように、

 自分の首元に手を当てて、静かに目を瞑っていた。



( お兄さんの手、大きかったなぁ…… )



 そんな時、ふと氷麗の中に疑問が浮かぶ。



( ……ん? 大きかった……? お兄さんが、私に触れた? )



 ──その瞬間、ハッと現状に気がつき、

 氷麗が慌てて、部屋のリビングに向かう。


 すると、そこには、さも当然のように、

 台所で一人料理をする、灰夢の姿があった。


「──お兄さんッ!? なんで、ここに……」

「バカっ、寝てろっつったろっ!」

「だって……。おに、い……さん、が……」

「あぁ、おいっ! ったく……」


 熱の入りすぎで、崩れ落ちそうになる氷麗の体を、

 灰夢が慌てて受け止め、優しく両手で抱き抱える。


「いいから、病人は無理せず寝てろ」

「おにぃ、さん……。どうして、ここに……」

「お前が来ないから、梟月に『 様子を見てこい 』って言われたんだよ」

「そっか、梟月さんが……」

「お前が休日に来ないなんて、滅多にないからな」


 そう言いながら、灰夢が氷麗を布団へと戻す。

 そして、水に浸したタオルを氷麗の額に置いた。


「大人しくしてろ。今日は看病してやっから……」

「おにぃ、さん……」


 氷麗の体からは、シュワーっと冷気が上がっていた。



 ☆☆☆



 しばらくして、灰夢はパッとサムゲタン作ると、

 それを持ちながら、静かに氷麗の部屋に戻った。


「……ほら、食えるか?」

「……はい」


 氷麗が体を起こし、朧気な瞳で灰夢を見つめる。


「……なんだよ」

「お兄さん、どうやって入ったんですか?」

「普通に玄関からだが?」

「鍵、かかってたはずなんですけど……」

「影で隙間からすり抜けられるのは、お前も知ってるだろ」

「あの、それ……普通に不法侵入ですからね?」

「飯作ってやったのに、真っ先に出る言葉がそれか」

「ここも一応、女の子の部屋なんです」

「部屋のインターホンも押したし、玄関で呼び掛けもした」

「その時点で玄関に入ってるのも、どうかと思います」

「お前だって、いつも俺の部屋とか男湯に勝手に入って来てるだろ」

「まぁ、確かに……」


 灰夢の証言に、氷麗が言葉を無くす。


「嫌なら帰る。これは置いておくから、食ったらちゃんと寝ろよ」

「あっ、待って……」

「……ん?」


 サムゲタンを置いて帰ろうとする灰夢の羽織を、氷麗が慌てて掴む。


「……なんだ?」

「えっと、その……」

「…………」

「嫌、とかではなくて……」

「……?」

「寝顔と部屋着を見られるのが、恥ずかしかっただけで……」


 顔を赤らめながら、必死に目を逸らす氷麗の言葉を聞いて、

 灰夢が『 もやし 』と書かれたTシャツへと視線を向ける。


「いいと思うぞ、『 もやし 』。他の奴には無い独特なセンスを感じる」

「むぅ〜っ! 確実に思ってないじゃないですかっ!」

「じゃあ、俺にどうしろってんだよ」

「あの、あまり部屋をジロジロと見ないでください」

「ったく、注文の多い奴だな」

「──わ、私を見るのもやめてくださいっ!」

「──じゃあ、どこ見りゃいいんだよっ!」


 ブツブツと文句を言う氷麗にため息をつくと、灰夢は再び座り直した。


「まぁ、嫌じゃねぇならいいか」

「…………」

「ふ〜、ふ〜。……ほら、口開けろ」

「……え?」


 何も言わずに食べさせようとする灰夢を見て、氷麗が固まる。


「……食べさせて、くれるんですか?」

「だって、これがいいんだろ?」

「嬉しい、ですけど……。ちょっと、ビックリです……」

「……なんでだよ」

「ふふっ……。お兄さんも、少しは乙女心が分かってきましたね」

「言ノ葉の看病の時、あれだけ言われりゃバカでも覚える」


 そういって、灰夢が氷麗にそっと食べさせていく。


「……どうだ、上手いか?」

「……はい」


 そう小さな声で答えると同時に、氷麗の目から涙が流れ出す。


「……氷麗?」

「ぐすっ、ごめんなさい……。これは、違くて……」

「…………」

「さっきまで、不安で……。一人が、辛くて……」

「……そうか」


 灰夢は小さく笑みを見せると、そのまま黙々と食べさせていた。



 ☆☆☆



 食事を終えた氷麗が、再びベットに横になる。


「あとは安静にしとけ、俺は皿を洗ってくる」

「はい、ありがとうございます。お兄さん……」


 氷麗の返事を聞いた灰夢が、寝室を出ていく。


 食事を終えた氷麗は、ベッドの上でホッと一息つくと、

 どこか安心したように、意識する間もなく眠りについた。



 ☆☆☆



 しばらくして、氷麗が再び目を覚ますと、

 灰夢は布団の横に座って、漫画を読んでいた。


「……おにぃ、さん?」

「……ん? 起きたか、どうだ? 調子は……」

「はい、だいぶ良くなりました……」

「そうか、よかったな。あっ、タオルを取り換えねぇと……」


 そういって、灰夢が氷麗の額のタオルを外す。


「お兄さん、ずっと居てくれたんですか?」

「まぁ、今日はガキ共の修行も休みにしたからな」

「……そう、ですか」

「…………」

「お兄さんに風邪を移しちゃったら、ごめんなさい」

「安心しろ。不死身は風邪を引けねぇから……」


 灰夢がタオルをお湯に浸けながら、氷麗に返事を返していく。


「お前って、家だと眼鏡かけてるんだな」

「普段、外にいる時はコンタクトなので……」

「……ふっ、そうか」

「……な、なんですか?」

「いや……。なんか、芋キャラっぽさが増して面白ぇなと……」

「あぁっ! また、そういうこと言うっ!」

「悪かったよ。普段は取り繕ってっから、少し意外だったんだよ」

「んもぉ……」


 氷麗が頬を膨らませながら、灰夢の顔をじーっと睨む。

 そんな氷麗を見て微笑みながら、灰夢がタオルを洗う。


「あの、お兄さん……」

「……ん?」

「その……。体、拭いてくれませんか?」

「……はぁ?」


 その言葉に、灰夢は一瞬、面倒くさそうな顔を見せるも、

 小さくため息をついて、ジェスチャーで後ろを向かせる。


「ふふっ、やった……」

「はぁ……」


 そして、タオルのお湯を強くギュッと絞ると、

 服を脱いだ氷麗の背中を、優しく拭き始めた。


「お兄さんって、病人には優しいですよね」

「前に、『 病人は気が弱くなる 』って聞いたからな」

「……前に聞いた?」

「あぁ……。昔、世話になった婆さんにな」

「自分の時に優しくしてもらった、とかじゃなくて?」

「風邪もそうだが、俺は体調不良にならねぇからな」

「……ほ、本当に凄いですね。不死身って……」

「まぁな。だから、そのせいで俺には病人の気持ちが分からねぇ……」

「なるほど、それで……」


 そんな話をしながら、灰夢が淡々と背中を拭いていく。


「ほら、後は自分でやれ……」

「前は拭いてくれないんですか?」

「……拭くわけねぇだろ」

「女の子の体に触れられる、数少ないチャンスですよ?」

「ガキの体に興味はねぇ、とっとと自分で拭け……」

「むぅ……」


 冷静に言葉を返し、灰夢が氷麗にタオルを渡すと、

 氷麗は素直に諦め、大人しく自分の体を拭いていた。


 その後、体を綺麗に拭き終わり服を着た氷麗が、

 再び布団に横になったのを見て、灰夢が手を伸す。


「少し、動くなよ……」

「……?」


 灰夢が氷麗の首元に手を当てて、静かに目を瞑る。

 そして、脈拍と体温を測ると、小さな笑みを浮かべた。


「もう大丈夫そうだな。明日の朝には治ってんだろ」

「今日は来てくれて、ありがとうございます。お兄さん……」

「病人が気を使うな。……晩飯は食えそうか?」

「はい、少しだけなら……」

「そうか。なら、簡単なものを作ってくっから、ここで待ってな」

「……はい」


 灰夢は、そのまま夜が明けるまで、氷麗の面倒を見ていた。



 ☆☆☆



 次の日、氷麗が目を覚ますと、灰夢の姿は消えていた。


 氷麗がリビングに向かい、食卓のテーブルの上を見ると、

 朝食代わりの切られたリンゴだけが、ポツンと置いてある。


『 今日は安静にしとけ 』と綴られた、置き手紙と共に──


「ふふっ……。本当に、お節介なんだから……」


 そんなことを呟きながら、氷麗は一人で微笑んでいた。



 ☆☆☆



 午後になると、氷麗は夢幻の祠に足を運んでいた。


「……お邪魔します」


 カウンターの中で、一人コップを拭く梟月が、

 店にやってきた氷麗を、優しい笑顔で出迎える。


「やぁ、いらっしゃい。灰夢くんや言ノ葉たちなら、二階にいるよ」

「あっ、梟月さん……。昨日は、ありがとうございました……」

「……?」


 氷麗の言葉に、梟月がキョトンとした顔で見つめ返す。


「……昨日? ……なんの事だい?」

「昨日、お兄さんに様子を見に行くように言ってくださったそうで……」

「……ん? わたしは、そんなことを言った覚えはないが……」

「……え?」


 まさかの梟月の言葉に、氷麗が目を丸くする。


「じゃあ、昨日……。お兄さんが、私の看病をしに来てくれたのは……」

「……看病?」


 その時、店の二階から灰夢がカウンターにやってきた。


「梟月……。悪ぃが、今から少し出かけて……あ?」

「お、お兄さん……」

「お前、『 今日は安静にしとけ 』って言ったろ」

「えっと、その……」

「はぁ、ったく……。まぁいい、もう体調の方は大丈夫なのか?」

「…………」

「……おい、どうした?」


 その場に固まったままの氷麗を、灰夢が不思議そうに見つめる。

 その瞬間、氷麗の顔が赤く染り、シューッと冷気を放ち出した。


「お、お前……顔、真っ赤だぞ? やっぱ、まだ熱あるんじゃねぇか?」

「お、お兄さん……。わた、わたし……」

「……あ?」

「──私、頭を冷やしてきますっ!!」

「──は? おい、氷麗っ!? お前が自分で冷やしたら凍るだろッ!」


 氷麗が店を飛び出し、一人でどこかへ走っていく。


「なんなんだよ、あいつ……」

「青春だね、灰夢くん……」

「……は?」


 飛び出す氷麗を見て、微笑ましく笑みを浮かべる梟月に、

 現状が理解できない灰夢は、横でしかめっ面を向けていた。



























   青空の下、顔を真っ赤に染めながら、氷麗が全力で駆けていく。



























       己の中の恋心衝動に、駆り立てられるように──



























     ( もう、私……。心が、壊れそうなくらい…… )



























        ( お兄さんのことが、大好きだ── )

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る